二重構造
思わず、投げやりな言い方になったが、これもあすなの性格の一つで、投げやりな言い方をすることで、相手の警戒心を解き、自分が張り巡らせたバリアの一部に「抜け穴」を開けたのだ。
それに気づくかどうか、そして気づいた上で、抜け穴を通り抜けることができるかどうか、二段階必要だった。
「もう一人の自分にももう一人の自分がいて、それが一体誰なのか? この発想が俺とあすなさんの発想の違いなんじゃないかって思うんだ。そして、この発想は正樹さんにも通じることで、彼は彼なりの発想を持っているような気がする。だから、本当なら、彼の意見を生で直接聞いてみたいんだ」
――この人は、正樹さんの死を信じていない――
この時、それまでの疑惑が確信に変わった瞬間だった。
「香月さんは、やけに投書にこだわってるんですね?」
「ええ、元々のきっかけは投書だったからですね。でも、考えれば考えるほど不思議なんですよ。いくら僕がジャーナリストだとしても、どうして投書の相手が自分だったんだろうってね。だってそうでしょう。ジャーナリストは他にもいっぱいいるんだし、そもそも投書がジャーナリストである必要があったのかと思ってですね」
「確かにそうですよね、私たちの身内に対しての手紙でもよかったわけですよね。相手が香月さんだったから、『投書』という言葉になっただけで、身内だったら、そんなことはない。どうしても投書というと、『密告』というイメージが強くなって、あまりいいイメージにはなりませんからね」
「そうです。ジャーナリストと言っても、ピンからキリまでいますからね。人によっては、面白おかしく書くだけの人もいる。信憑性も何もなく、ただ面白さだけを求めて記事にする人もいる。また雑誌社の中には、そんな話題性だけを元に、売っている会社もあるんですよ。信憑性なんて二の次で、ただ面白さだけを追求するあまり、読者を煽るだけ煽るんですよ」
確かに、雑誌に限らず新聞の中にも、
「〇〇氏、電撃離婚か?」
などという根も葉もない話題を拍子に大々的に持ってきて、最後の「か?」という文字だけ、ものすごく小さく書いている。
「新聞や雑誌に対して、読者の誤解を受けるような表記を欺瞞として捉える法律があればいいのだが、食品や日用品などの必需品とは違い、報道にまで法律での規制は掛かっていないですからね。どうしても、『報道の自由』というのが憲法で規定されている以上、報道は別格になってしまう。さすがに人権を脅かすものだとまずいでしょうが、なかなか難しいところですよね」
香月はそう言って、神妙な顔になっていた。
「香月さんは、どうしてジャーナリストになろうと思ったんですか?」
最初の印象があまりよくなかっただけに、香月のことをいいイメージで見ていなかったあすなは、今まで香月に対して一定の距離を保っていたことに気が付いた。今話をしている相手に対してではなく、相手が自分に対して危険な存在であるという意識を持っていたことで、ひたすら避けていたのだ。
しかし、その警戒心が次第に解けてくると、最初に考えるのは、
――相手のことを知りたい――
という思いだった。
――自分の抱いていたイメージが間違いだったかも知れない――
と思ったことで、
――誤解を解くには、相手のことを知ることだわ――
という基本的なことに気づいたのだ。
香月もそのことを理解したのだろう。最初の頃から比べれば、随分と表情が柔らかくなったものだ。疑念だらけの表情にしか見えなかったのは、自分も疑念でしか相手を見ていなかったからだということに気づくと、香月の表情に、懐かしいものを感じたのだ。
「ジャーナリストになりたいと思ったというよりも、本当はジャーナリストという言葉、僕は大嫌いなんだ。ジャーナリストというと、政治的なイメージが強いし、自分が知りえた情報を記事にするのに、読者が興味を引くような内容ばかりを優先してしまうのがジャーナリストだって思っていたんだ。確かに、社会に対して敢然と立ち向かう記者もいるけど、ほとんどが潰されてしまう。そのうちに自分がやっていることは、会社の利益のために、事実を捻じ曲げてでも、読者に対して面白おかしく感じる記事を書くことに専念してしまっているって気づいたんだ。いつの間にか、感覚がマヒしていたんだね」
「分かるような気がします」
「プロパガンダという言葉を聞いたことがあるかい?」
「ええ、政治的な宣伝という意味に聞こえるんですけど」
「そうだよね。かつてはこの国もそんな時代があったんだ。きっと世界の先進国のほとんどは、今までに一度は通り抜けなければいけない壁のようなものだったって思うんだけど、そのプロパガンダが強すぎると、独裁になってしまう。でも、今のように民主的な世の中と言っても、プロパガンダってなくならないんだよ。むしろ、いかに国民に洗脳されているという意識を持たせずに思想をその人に植え付けるかというのが、ある意味大事になってくる。だけど、面白おかしく記事を書いている会社の存在というのは、決してプロパガンダのように、一つの考えに凝り固まっているわけではない。逆にプロパガンダからすれば、敵になるんだよ」
「まるで必要悪ですね」
「そうなんだ。だから、僕は今の面白おかしく記事を書いていることに疑念を感じてはいるんだけど、プロパガンダの敵という意味で、今の社会体制に絶対に不可欠なこの会社での仕事を辞める気はないんだよね。最初は僕だって、もっと理想に燃えていたさ。でも、その理想を一直線に追及すると、どうしても一つの考えに凝り固まってしまう。本当はそれでもいいんだろうけど、ジャーナリストはそういうわけにはいかないんだ。だから僕はジャーナリストと名乗りながらでも、本来の意味のジャーナリストを自分の中から捨てて、自分個人の新しいジャーナリストを探したいって思うようになったんだ」
香月の話は、自分がジャーナリストの中でも異端児で、何とかその異端児な自分を正当化させたいという風に言っているようにも思えた。
だか、それは香月という人間を第一印象だけで見ていた時に感じることだったであろう。いろいろ話をしているうちに、誤解も解けた気持ちになった上で聞いた彼の話には、十分な信憑性が感じられ、あすなにも納得できる内容であったのだ。
――この人なら、正樹さんの気持ちが分かるかも知れない――
あすなは、正樹の気持ちが分かるのは自分しかいないと思っていたが、果たしてそうなのだろうか?
香月の話を聞いていて、彼が自分の持っていた信念、あるいはプライドを捨ててまで、今の仕事に情熱を燃やしているのは、ただ面白おかしい話を書くだけのためではないことは分かった。
――では、この人の本当に目指している何なんだろう?
と思って、香月を見つめていたが、彼が考えている心の奥までは覗くことができなかった。
これまでも、すべて彼の言葉から発せられたことに信憑性を感じ、信じようと思ったあすなだった。それを思うと、正樹に対して感じていたことに対して、ハッとしないわけにはいかなかった。
――私は、正樹さんの何を見てきたというのだろう?
正樹と話をしていて正樹に感じたことは、すべて正樹の口から発せられたものだった。