短編集43(過去作品)
過去の記憶ほど曖昧なものはない。どこかで感じたことがあるなどという曖昧な記憶であれば、それが最近のことなのか、小さい頃に感じたことなのか分からないことも多い。特に物忘れの激しい将人は、その原因の一つを、
――いつも考えごとをしているからだ――
と思っている。考えごとをしていると、発想があらぬ方向へ向うこともしばしばあり、そのために発想の中の自分がどこにいるか分からなくなってしまう。
過去の記憶の曖昧さが、これから積み重ねていく記憶の妨げになるのは当たり前のことで、考えごとを整理できないから曖昧になるのか、生まれる発想の膨大さに自分で戸惑っている。
夢で見た後の記憶に似ていた。
――どこかで見たことのある――
夢から覚めて、見ていた夢を思い出すと、そのように感じることがあった。しかし、それはあくまでも夢の中だけでのこと、夢で見たことは以前に見た夢の繰り返しとしてしか思えない。現実ではどうだろう?
時間の曖昧さ、そして記憶の曖昧さからそのすべてを夢だったと思う傾向がある。「予知夢」という言葉を聞いたことがあるが、まさしく以前に感じたことはその「予知夢」に結びついてくるように思えてならない。
だが、以前に見られていた記憶というのは、夢というよりも、もっと昔、前世で見られていたような気がしてくる。
「うちの先祖は大泥棒だったんだからね」
と母親が口にしたセリフ、それが思い出されるからだ。
――自分の知らない世界が、まるで夢のように遠い昔のこととして思い出される――
頭の中で、そんなセリフがこだましている。
心地よい風に靡く一面のすすきの平原、自分の身長くらいまであるので、どこまでが平原か分からない。遠くの方に山が見えるが、そこまで平原が繋がっているように見えて壮大である。
壮大な平原を思い浮かべることは今までに何度もあった。思い浮かべるにはそれなりに何か精神的な共通点があるものだが、そのことにやっと最近気がついた。今まで気付かなかったのが不思議なくらいだが、それもすべてが妄想として考えてしまうことで、我に返ってしまうと想像したことすら忘れてしまうからだ。
精神的なバイオリズムには、一定の周期がある。普段は気にならない周期だが、バイオリズムが気になってしまう時に周期が頭を巡る。
頭を巡る周期の発端は、鬱状態への入り口である。
学生時代までは鬱状態はいきなり襲ってくるものだと考えていたが、入り口を感じるようになってから、周期的なものであることに気付いたのだ。
胸騒ぎというものがあるが、本当に胸焼けのようにムズムズしてくる時がある。
考えていることが次第にネガティブになっていって、それまでであれば必要以上なことさえ考えなければ神経質になることもなく、神経質な性格すら気付かずに過ごせた。
元々、楽天的な性格だと思っていた。都合のいい方に解釈して、まわりが自分の思惑通りに動いてくれるとまで考えていたこともあった。
しかし考えてみればそれも鬱状態の反動であった。
突然やってきて、気がつけば治っている。
――何でロクなことしか考えないんだろう――
と自覚する頃には、治りかけていることが多かった。だから深刻に考えることもなかったので、鬱状態を自らが作ってるなどと夢にも思わなかったのだ。
そのことに気付き始めたのは、父親の死を境にしてだったように思う。
――肉親の死に対してこれほど無神経でいられるなんて――
と思う反面、
――本当に悲しい時に、涙って出るのだろうか――
と感じたのも事実。その時に、本当の悲しみをいまだ知らなかった自分に初めて気付いた。これから生きていく上で、何度本当の悲しみに出会うことだろう? それを感じるとすべてがネガティブな考えに変わっていく自分に気付いたのだ。
目の前のものが、少しずつ黄色掛かってくる。夜になると信号の色が鮮やかに見えてくる。そんな現象が鬱状態への入り口だと気付いたのは、しばらくしてからだった。
今までに流した涙が本物だったかどうか分からない。しかし、気がつけば目頭が熱くなっていたのも事実だが、後から考えると、
――どうして、こんなことで泣いてしまったのだろう――
と思うことの方が多い。そんな時、
――以前にも同じようなことがあって、感じた思いを素直に思い出そうとすることで、自然に涙が溢れてくるのかも知れない――
と思うようになった。
鬱状態から抜けると、まったく逆の自分が顔を出す。楽天的で細かいことを気にすることもなく、すべてがうまくいくと思い込んでいる自分である。忘れっぽい性格は、楽天的な自分が顔を出した時の性格から来ているのかも知れない。だが、鬱の時も忘れっぽくなっている。それはやはり何とか鬱から抜け出したいと思っていて、そのことに集中してしまっているので、他のことが上の空になっている証拠だろう。
どちらにしても忘れっぽい性格なのだ。一番自分の嫌な性格でもある。
将人の中で大きくなっていった藍子であるが、親密になろうとは思わなかった。本当は彼女のすべてを知りたいと思っているのだが、怖いところがある。それはまるで綺麗な富士山を見たいと思えば、ある程度の距離から見るのが一番いい。中にいては綺麗なものを見ることはできないという感覚に似ている。藍子とも、そういう一定の距離を持って見つめていくことにしていた。
しばらくすると、母が病に臥した。仕事が終わって毎日枕元で見舞う。あれだけ気丈だった母親がベッドから自分を見上げることになるなど考えもしなかったので、不思議な感覚だ。
やつれているわけではないが、ベッドの中で西日が差してくるベッドの中から表を見ている顔は、さすがに疲れて見える。しかし、目だけはしっかりと一点を見つめていて、その先にある青い空が目に光っているようだ。
こんなに落ち着いた顔の母親を見るのは初めてかも知れない。それが病院のベッドというのはいささか皮肉だが、落ち着いた顔の裏には、寂しさや気弱さが隠れていそうで、
――お母さんも、やっぱり人の子なんだな――
と今さら何を言っているんだと言わんばかりだった。
いつも窓の外を見ていた。絶えず動きまわっていた母に、やっと訪れた休息に思える。今まで一人気を張って頑張ってきたに違いない。特に父が死んでからというもの、親戚に頼ることなくやってきた。後ろから見ていても、いじらしいほどだった。
確かに頑なで、人に頼ったりすることが大嫌いな性格だったが、入院してからというもの、逆に人に甘えるようになった。いつもお礼を言っている姿が印象的だ。
「お前も一人前の社会人になったことだし、母さん安心しているんだよ」
と胸のうちを明かしてくれる。顔を見ていると安心できるのか、いつも笑顔を絶やさない母親を見ていると、自分も気がつけば笑顔で答えている。日が差す部屋に、実に似合った光景ではないだろうか。
病院の一室にいて表を眺めていると、藍子の顔を思い出していた。いつもニコヤカであるが、自分を見る時だけは少し違う。
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次