短編集43(過去作品)
「お前は頑張り屋だからな。会社に入ってもしっかりやるんだぞ」
と先生に言われての堂々たる就職だった。
一番喜んでくれたのが母だった。親子で勝ち取った就職も同様だったのだ。
会社に入ってから、しばらくは研修のため、家から離れることになった。期間にして三ヶ月程度であるが、家から離れたことのない将人は少し不安だった。何よりも母が一人で寂しいと思ったのだ。
しかしそんな心配は無用だった。
「大丈夫だから、しっかりやっておいで」
と言って送り出してくれたのだ。
父の死によって、母との絆が深まったのも皮肉なことだった。
――もし、父の死がなかったらどうなっていただろう――
と思うことがある。
将人自身、グレていたかも知れない。職人気質の父親、そして、あまり自分から目立とうとしないようにしていた母親を見ていて、自分の性格を考え合わせると、素直な気持ちでいられたかどうか自信がない。
将人は自分が素直な性格だとは思っていない。あまりまわりに流されることが好きではなく、集団で行動していても、いつも後ろで冷ややかな目で見ていることが多かった。
目立ちたいという気はあるのだが、輪の中心になりたいという気はしない。
他の人と同じ行動をするのが嫌なのだ。
職人肌である父親からの遺伝なのだろうが、それだけに少しでも考えの違う人とは相手をしないようにしている。
しかし、親子ではそうも行かない。父親とずっとすれ違ったままでいるということはまだ学生の将人には無理なことだった。どこかで父親に相談することや、父親の判断を窺わなければいけないことがあるはずである。それを考えると、衝突は免れなかっただろう。
父が亡くなった時に、死をあまり悲しいと感じなかったこととは少し違う。いくら衝突を免れたいと思っていたとしても、死というのとは次元が違っている。
「人間っていうのは、ショックが大きいと他人事のように思えてくるものらしい」
という話を聞いたことがあったが、その話を思い出した。
――そこまでショックだったのかな――
と考えた時に思い出したのが、中学の時に見た父親と思しき男性の後ろ姿だった。
普段の父親からは絶対に想像もできないような何かに引きつけられたかのようにフラフラと歩いていく姿。哀れしか見ることができなかった。
――本当にお父さんだったんだろうか――
思い出そうとすると浮かんでくるが、やはり今でも父親の普段の姿からは想像もできない。
――その後に万引きで捕まったんだっけ――
あの日のことは、将人の中で最大の汚点だった。まさに「魔の一日」と言ってもいい。まったく意識することもなく行動していたなど、後にも先にもその時だけだった。
――これからもあるのかな――
何かの発作でも起こしたとしか考えられない。もう二度とないと思うのは気休めだろうか。
社会人になって物忘れが激しくなったのが気になっていた。
元々将人は一つのことに集中すると他のことが上の空になるタイプである。
――さすが、職人肌だった父親の息子だ――
と思っていたが、さすがに社会の中では通用しないところも出てきた。
学生時代、友達の中にも意識しない行動を起こす人がいた。後になって何を言っても言い訳にしか聞こえなかったが、自分が無意識な行動をするようになると話は別だ。その友達のことが気の毒に思えてくる。
何を言っても言い訳にしか聞こえないことを自らが感じていたのだから始末に悪い。父親のように説得力があればいいのだろうが、そんなものはない。裏づけや実績がもたらす説得力を、学生時代に持ち合わせているわけもない。
友達の無意識な行動はその時だけだった。中学、高校と友達だったが、その間に無意識な行動は一度もない。本人も最初は気にしていたが、次第に気にすることもなくなった。
「気にするから、起こるものなのかも知れないな」
と本人が言うと、まわりも皆頷いていた。確かにその通りだろう。
研修期間も人より一生懸命にメモを取った。だが、取ったメモを後から見ても思い出せないものも多数あった。
――頭の中で整理し切れないのだろう――
整理整頓も苦手だった。
散らかっていても、それほど気にすることもなく、下手をすると、少々散らかっている方が落ち着くくらいである。頭の中が整理できないのも仕方がない。
しかし社会人になってそれはあまり褒められたことではなく、自分の足を引っ張る結果になっている。
だが、独創的なアイデアを出すことには長けていた将人である。宣伝部への配属も適材適所だったのかも知れない。まわりは大学出身者ばかりで、少し浮いた存在であった。
毎日が勉強で、ストレスも溜まっていった。何しろ大学出身者というと、自分よりもエリート、そんな連中も毎日が勉強である。それ以上にしないと自分との溝は深まるばかりだ。
それでも何とかついていった。緊張の連続である毎日が結果的には功を奏してるのかも知れない。今まで持ったことのない自信が徐々に生まれてくるようで、それは嬉しかった。
ストレスを感じていると、まわりの女性が気になってくる。どういう作用なのか分からないが、同じ課の女性の存在が、将人の中で大きくなっていった。
綺麗な人だというイメージだけでなく、
――以前にもどこかで見たことがあるような気がする――
と感じたのも大きかった。さらに、どこか母に似たところがあり、そこが魅力だった。
自分の母親に「女」を感じたことは今までにもあった。一番最初に感じたのは、万引きをして身元引受人として引き取られた時である。あれだけこっ酷く怒られたにもかかわらず、目は母親の身体を追っていた。
口紅で真っ赤に塗れた唇。はちきれそうになった胸、後ろをついて帰った時に見たお尻のふくらみ、すべてが目に焼きついてしまった。説教に関してや表情は覚えていないのだが、女としての母親を感じていたのは事実である。
――何て不謹慎なんだ――
という気持ちが大きく、思い出さないようにしていたが、父が死んでからというもの、母を見る目が自分でも怖いことがあった。
――きっと母親に似た女性が現れれば、好きになるんだろうな――
と思ったくらいだ。
同じ課の女性、名前を藍子というが、彼女に母を見たのだ。今までに出会った女性で母を見た人はいなかった。一緒に住んでいたからだろう。研修期間の少しの間、母と離れたことで、違ったイメージを自分の中で作ってしまったのではないかと感じる将人であった。
――身近すぎて、その存在の大きさに気付かない――
ということをよく耳にする。まさしくその通りだろう。藍子にしても、仕事場の環境が緊張の連続でなかったら、彼女に女を感じることも、母を見ることもなかったかも知れない。
――どこかで見たことがある――
と感じたのは、母の雰囲気とは別である。どこかで見たことがあるというよりも、彼女に見つめられるとかなしばりに遭ったように動けなくなる衝動に駆られるが、その衝動を以前にも感じた気がするのだ。
見たことがあるというより、見つめられたと言った方が正解だろう。
だが、それがいつのことだったか思い出せないのだ。
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次