短編集43(過去作品)
と言っていた友達の両親は共稼ぎをしている。家に帰ってもレンジでご飯を温めて一人でテレビを見ながら食べる毎日、疲れて帰ってくる両親は話もしないらしい。
そんな話を聞くと、
――それが普通の家庭なのかな――
と、どちらがいいのか分からなくなってしまうが、まだ会話があるだけ自分の家庭の方がマシに思えてきた。
――ここで本を読んで帰っているおじさんたちも、家では何も喋らないんだろうな――
と思いながら見ていると、サラリーマンにはあまりなりたくないように思えていた。
将人は中学生のわりに、結構冷めた目でまわりを見ている方だと思う。
――両親の反動――
だと思っているが、喜怒哀楽を表に出していつも会話している両親を見ていると、どこか冷静に見てしまうくせがついてしまった。
「僕は言いたいことがあれば話す。なければ話さない。それだけですよ」
小学生の頃、学校の先生に、
「もう少し元気を出した方がいいよ」
と、言われたことへの返答だったが、それもあまり喋る方ではなかったからで、特に友達と集団で遊ぶことをしなかったことが気になったからだった。元気がないように見えたのだろうか?
その時に、自分がまわりを冷静に見ているということに気付いた。冷静に見ていると輪の中に入りたくないもので、入ってしまえば、見えるものも見えなくなることに気付いていたのだろう。強かな子供だったに違いない。
本屋を後にする頃までは覚えていた。それからの行動はハッキリとしないが、気がついた時には見知らぬおじさんに腕を?まれ、ものすごい形相で窘められているところだった。
何かを大声で叫んでいるが、何を言っているか分からない。自分がどこにいるのかも分からずに虚ろな視線だったようだ。
騒ぎにならないようにと奥の部屋に連れて行かれたが、なぜ連れ込まれなければならないのか分からないまま、抵抗する術もなかった。
きっと相手は将人が観念したと思ったのだろう。強く握っていた手を緩め、表情を和らいで行った。
どうやら文房具を万引きしようとしたというのが事実なようだ。手には証拠の消しゴムがしっかりと握られているので言い訳もできない。だが、どんなに問い詰められても将人自身に意識がないので、理由を尋ねられても答えようがない。それが一番辛かった。
さすがに根負けしたのか、店の人もあまりにも悪びれた様子のない将人を見て追求するのをやめた。初犯で悪びれた様子もないということで、店側も大袈裟にして得になるわけでもなし、結局保護者を呼んで後は任せるということにした。
「学校に知らせることはしないから、安心していいよ」
「ありがとうございます」
その時の将人はそれだけ言うのがやっとだった。それだけ、万引きという事実に意識がないのだ。
「それにしても、不思議な少年ですね。捕らえた時に見上げた顔の表情ったらなかったですよ。まったくの無表情っていうのはああいうのを言うんでしょうね。視線なんてあらぬ方向を向いていましたよ」
と、彼の万引き現場を目撃した男が店長に話していたことを、将人は知る由もなかった。
家に帰って母親からの母親は、最初逆上したかのように怒っていた。それは将人が想像していた通りの怒られ方で、ちょっとして忘れ物に対してもすぐに感情をむき出しにする母親らしかった。
怒り狂ってはいたが、それも長くは続かない。根に持つことがないのも母親のいいところだ。だが、その後にポツリと言った言葉が将人には忘れられなくなり、軽いトラウマのようになってしまった。
「うちの先祖は大泥棒だったんだからね」
というセリフである。
しかし覚えているのはそのセリフだけではない。セリフだけではそこまで気になることもないだろう。その時の母親が見せた顔、それが忘れられないのだ。
それも一瞬だった。
顔色はそれまで真っ赤だったにもかかわらず、一瞬にして真っ青になっていた。視線はあらぬ方向を向いていて、目の色が青く感じられるほど焦点が合っていなかった。
――何を考えているんだろう――
と考えたが、何も考えていないように思えてならない。出てきたセリフにしても、本当に母親の意志で出てきたものなのか不思議なくらいだ。
そういえば声のトーンも違っていたようだ。金切り声を上げていた声のトーンが一気に下がり表情が虚ろになっていった。
――まるで魂が抜けたようだ――
という表現がピッタリである。
それに先祖が大泥棒だったなどという皮肉を怒っている母が言うのもおかしい。曲がったことの嫌いな母は、皮肉を言うところをあまり聞いたことがない。時々する父との夫婦喧嘩でも皮肉が口から出てくることもなかった。
「怒っている時のお母さんは、怒るだけで他に余裕がないのよ」
と話していたことがあったが、その通りだろう。それだけまっすぐな性格なのだ。いいことでもあるが、それが得な性格かどうか、中学生の将人に分かるはずもなかった。
それからしばらくは万引きのことが頭に残っていたが、知っている人がほとんどいないことで、知っている人もまったく話題にするわけではないので、将人自身も少しずつ忘れていった。
――これでいいんだ――
と思っていたが、ある日本屋から出てくる時に、誰かに見られたような気がして、まわりを見渡した。
――誰もいないじゃないか――
と自分に言い聞かせたが、誰かに見られたということが何となく以前にもあったようで少し気持ち悪かった。
以前に見られたと思った時に、嫌な予感を感じたからだ。胸騒ぎのようなものを感じ、意識が朦朧としてくるのを感じたのだった。
――今、初めてその時のことを思い出した――
と感じた。
それからしばらくして父が亡くなった。事故で亡くなったのだが、あっけない死だった。何よりも母の落胆が気になっていた。まだ中学生だった将人を何とか高校まで行かせてくれたことに感謝しなければならない。
父の死に対して、なぜかそれほどショックではなかった。もちろん、中学生ということでそれほど人の「死」というものに遭遇することもなかったが、肉親の「死」というものがこれほどあっけないとは、将人自身が一番驚いている。
あれほど気丈だと思っていた母の、ここまで崩れた姿を見たことがない。ショックを受けている姿を見せたくないという思いからか、葬儀の間以外は部屋に閉じこもって床に臥していた。葬儀の間だけは背筋を伸ばして毅然とした姿に見えたところがさすがだったが、余計にまわりの哀れを誘ってか、
「お気の毒に」
と母を見る人たちは目頭を押さえて一様にそう呟いていた。
喪服は女性を強く見せるのだろうか。将人の目には哀れに見える反面、力強さが感じられた。きっと肉親の目は、他の人と違うところを見ていたのだろう。
四十九日が終わってからの母は、実に気丈だった。職人肌の父の意志を受け継いだかのように頑張っているのは、将人から見てもよく分かった。
将人は高校を卒業すると、建設会社に就職したが、それも母親を見ていて、
――俺も頑張らないと――
と思ったからである。
工業高校だったが、授業態度も誠によく、成績もトップクラスだったこともあって、学校側が推薦してくれた。
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次