短編集43(過去作品)
偶然なのか、奇しくも日付は三年前の今日、十一月六日を示していた。その日美穂は熊本からのルートを取ったのではなく、鹿児島から熊本に抜けるルートを取った。当時はまだ九州新幹線も開通しておらず、鹿児島から熊本までは在来線の特急が出ていたが、どちらかというとそちらの観光地に行く人が多かった中で、人吉に来たのは何か思うところでもあったのだろうか?
その時の美穂の心境とは別に、記事に書かれている男性についても興味が湧いてきた。その人は美穂の気持ちに気付いていたのだろうか? いや、今までの美穂の様子を見る限り、誰かと付き合っている素振りもない。ましてや好きな人がいるという素振りさえも見せないところを見ると、自分の気持ちを表に出さずに抑えることのできる人なのだろう。
――俺なんかとは正反対だな――
思わず苦笑してしまったが、それだけにすぐに顔に出てしまう三郎を茶化したくなるというのも無理のないことかも知れない。
雑記帳を先に読み進めてみた。
美穂のことが気にならないでもなかったが、三年も前のこと、今からその頃のことを思い出せと言われても難しい。思い返せばあっという間の三年であって、学生時代の三年に比べれば遥かに短かったように感じるが、どちらの密度が濃かったかと聞かれると、どちらとも言い切れない。豊富な経験と実践の三年間であった社会人になってからと、感受性を重んじていた学生時代の三年間、甲乙つけがたい期間であることには違いない。
それにしても美穂という女性、気になる存在ではあるが、見ていて目立つタイプではない。女性としては身長の高い方で、三人の中でも群を抜いているが、あまり自分から喋る方ではなく、それだけに却って目立たない。
背が高い人が喋らないと、
――ウドの大木――
のイメージが強く、背が高いだけに後ろから黙って見ている印象が深い。
実は三郎もそうだった。
中学の頃まではあまり背が高くなかったが、高校になってから急に伸び始めたので、まわりがビックリするほどだったが、性格的に無口な三郎は、話しかけられてもどちらともつかないような表情を返すだけだった。それではまわりも相手にはしてくれない。
しかし、本心は目立ちたいと思っているのである。小学生の頃は友達と遊ぶこともなかった三郎も、中学になってできた友達と一緒にいるようになり、中学二年生くらいになると、集団で行動するようになった。
――いつかは、輪の中心になりたい――
という野望にも似た無謀な考えだったことに気付くと、今度は友達から離れるようになる。前に出て目立とうとするには発想が貧困で、人を引っ張っていくだけの気概も自分にはない。そのことに気付くと、目立ちたいと思う気持ちが次第に萎えてきた。
初めて高校の時、友達に誘われて旅行に出た時だった。それまでは家族旅行しか行ったことがなく、家族旅行で自分に主導権などあるはずがない。旅行の楽しみを初めて味わったのが、友達と行った時だった。
友達もあまり目立つ性格ではなかったが、旅行に出かけると、すぐに友達ができることで有頂天になった。相手が男性でも女性でも同じことで、旅行に出ると気持ちが大きくなるようだ。
旅先で友達になった人たちは、皆旅行のベテランである。ほとんどが大学生で、中には旅行研究会の人たちもいたりした。その人たちから聞かされる旅行の醍醐味は、今まで知っている世界とはまったく違うもので、興味が湧くことばかりだった。
美穂にも同じイメージを抱いていた。あまり目立たない彼女が旅に出かけた。場所はこじんまりとした観光地である人吉である。同じ九州なら、湯布院だったり、阿蘇だったりと、もっと有名なところもあるだろうに、なぜに人吉なのか、ある意味地味な街に親近感を覚えていたからかも知れない。
有名なところもいいのだが、三郎としては、目的地を決めない一人旅が多かったこともあって、あまり人が多いところは避けるようになっていた。
会社でも引っ込み思案になっている。旅行に出れば少しは大胆に人に話しかけることもあるのだが、会社で目立とうとは思わない。冷めているのか、それとも野心という言葉がないのか、自分でも分からないでいた。
雑記帳を見ていると、普段の生活とは違った、のどかな気持ちで書いているのがよく分かる。社会人の人は普段から人に揉まれるような生活をしているのだろう。文面からも落ち着きたいという気持ちが溢れてきそうだ。学生は逆に、これからの自分の可能性を感じていて、それを確かめたいと言わんばかりの気持ちを感じることができる。それはきっと今までの自分に照らし合わせて見ているからに違いない。しかし、それ以外に雑記帳への見方を知らない。
読み込んでいると、時間を忘れてしまう。そろそろ読み始めて一時間が経とうとしていたが、雑記帳も一年分を読み終えていた。
一年後の今日、つまり今からちょうど二年前、またそこには美穂の名前があった。
内容はまったく同じで、最後に、
「その人と一緒にこの街を訪れてみたい」
と綴られていた。
二度も同じ文章を目の当たりにして、さっきまでの一時間が今度はあっという間だったような気がする。時間を遡って一時間前に戻ってきたように思うのだ。
気のせいか、入ってきた時に感じた匂いをまた感じているようだ。
――木造の喫茶店は、木の香りに満ちている――
入ってきた時にそう感じたが、雑記帳を読み込むうちに、その感覚が次第に麻痺していった。コーヒーの香ばしさだけを感じていたはずなのに、一年後の美穂の記事を見ることで、再度木の香りを感じていたのだ。
雑記帳から顔を上げてまわりを見てみる。入ってきた時に比べれば明らかに暗くなりかかっていて、さっきよりも湿気を感じる。
――雨でも降るのかな――
と感じrほどだった。
部屋の中のライトが点けられ、明かりはオレンジ色と、いかにもレトロな感じを思い起こさせた。
一年周期というのは、三郎にも覚えがあった。あれは確か萩に行った時ではなかったか。
萩という街は今までに旅した中で一番好きなところだった。
――旅に出よう――
と思い立っても、そう簡単に行ける距離ではない。大学一年の時に初めて訪れて、二年生になってももう一度訪れていた。確か最初に訪れた時には、最初の目的地ではなかったはずだ。
最初の目的地は下関だった。下関と門司港という関門海峡を挟んだ観光地が最初の目的地で、萩津和野コースはおまけに近かった。その頃はまだメジャーな観光地に目が行っていた頃で、山陰地方というのは、あまり眼中になかったのだ。
例のごとく下関で友達になった人に、
「明日はどこに行くんだい?」
と尋ねると、
「萩を回ろうと思っているんですよ」
「ここから遠くないですか?」
「いえいえ、二時間ほどで行きますよ」
と言われて、次の日は萩へと向ったのだった。
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次