聖夜の伝染
だからといって達郎が冷徹な男性だとは思わない。下手に後ろめたい表情をされると、こちらがかしこまってしまうだろう。それに後ろめたい表情は情けなさが前面に出てしまい、達郎には似合わない。さりげなく、どこかとらえどころのない表情が達郎にはお似合いだったのだ。
というイメージが達郎にはある。後ろめたい表情をされれば、正反対だというイメージが狂ってしまうという思いがあるからだ。
待ち合わせの喫茶店に、達郎は先に来て待っていた。少し早く来たつもりだったのに、すでに来ているというのは、思ったよりもさりげない気の遣い方ができる人なのではないかと思った。ここでも、武雄との違いを思い知らされたのだ。
達郎が思っていたよりも律儀な男性であることに気付くと、少し見直した気がした。元々まったく男性として意識していなかったわけではない。ただ、自分とは住む世界の違いを感じていたのも否めない。それなのに、なぜか気になるのは、達郎の後ろに誰かを感じていたからだ。
――達郎の後ろに見える影――
それが、女でなければ気付かないもの、それも、自分でなければ気付かないのではないかという思いを抱いたのは、恵美も武雄も、達郎に対しての遠慮が微塵も感じられないからだ。
達郎の性格が軽薄であるのは、最初から分かっていたことであるが、同じ軽薄な男性に対してでも、少しは遠慮というものが見えてもいいはずである。そうでないと、お互いに遠慮なしでは、まるで無制限のジャブの打ち合いに思えてならない。発展性もない代わりに、収束も感じられないからだ。
達郎の性格は、相手に遠慮のない態度を取らせても、違和感のないところだった。普通なら、失礼に当たりそうなことも、さりげなく吸収することで、ジャブの打ち合いにならないのだ。単発がいくつか存在するだけで、見る人が見なければ、誰もおかしいとは感じない。
達郎はそんな性格なので、恵美は少し物足りないと思っているようだ。ただ、恵美にもその理由がハッキリと分かっていないようで、
――それが達郎の奥の深いところ――
だとして、いい方に解釈しているようだった。
知り合ってそれほど経っていない恵美の性格だが、彼女にしては寛大な気がする。
――ひょっとすると、好きになった人にはかなり懐を深く開いて、受け止めようと努力しているのかも知れないわ――
と思うのだった。
理沙には理解できないところだった。冷静沈着に見える恵美だが、懐を深く持てるのも、冷静沈着に見ることができるからだという解釈もできる。
理解できないのは、達郎に対してそこまで懐を深くしてしまうことだった。達郎のように底なしの軽薄さを振り向く相手に、懐を深くするのは、底なし沼をさらに広くするようなものだ。そう思うと、恵美が達郎の本当の性格を理解していないからだと思えるのだった。
達郎の底なしの軽薄さに嵌らないようにするには、最初から自分も底なしの沼に入り込んでいるのが一番だ。逆らうようにもがけばもがくほど抜けられなくなる。それが底なし沼の本当の恐ろしさだ。
理沙の想像している底なし沼は水ではない。湯気が立ち込めながら、大きな泡が浮かんでは消えるにも関わらず、熱を持っていない不思議な液体。いや、液体というよりもドロドロになっているコロイド状、まるでホットケーキを焼く前の小麦粉を溶かした状態のドロドロさであった。
身体に纏わりついてくるのだから、水よりも厄介かも知れない。水であれば、まだ身動きが取れるが、コロイドでは動かしたところから、間髪入れずにさらに纏わりついてくる。決して逃げることはできない。もがけばもがくほど逃れられないのも、分かるというものだ。
達郎は、底なし沼であることを隠そうとはしない。もし隠そうとしているのであれば、もう少し違って見えているに違いない。底なし沼であることに誰も気づいていないのは、達郎が隠そうとしないからだというのもあるが、まさか底なしの軽薄さが存在するなど誰も思いもしないからだろう。知っていれば、もっと違ったリアクションを示すだろう。達郎の底なしに気付かないまでも、何かおかしいと感じるはずだからである。
達郎は、世の中のことに関して、結構単純に考えているのだろう。達郎の底なし沼である性格は、生まれ持ってのものではなく、育ってきた環境から培われたものだと思うのだ。そうであるなら、かなり長い間に蓄積されたと考えるべきであろう。その間に形成された性格は、底なし以外にも存在しているはずである。人とモノの見方、考え方が違っているのも仕方のないことであろう。
そんな達郎が理沙に対しては律儀な態度を取り、遠慮を見せている。
――私の考えていることを悟ったのかしら?
と思えた。
それに達郎の性格からして、すぐに女性を呼び出すようなことがないように見えた。確かに底なしに軽薄でも、それは集団で一緒にいる時に感じられること、二人だけになれば、いくら何でも、底なしの軽薄を貫けるわけでもないだろう。
――恵美と二人きりのこの人って、どんな感じなのだろう?
ふいに感じた。一度感じてしまうとその思いは次第に強くなる。
恵美は冷静沈着なところがあるくせに、抜けているところがある。
――天然だ――
と思われれば幸い、とらえどころのない雰囲気に見えても仕方のないところであろう。
ただ今は達郎が何の用事で自分を呼び出したのか分からない状態の理沙は、達郎が口を開くのを待っているしかなかった。
コーヒーを口に含んだ達郎は、それを飲みこむと、それまで何も話そうとしなかった態度から、まるで覚悟を決めたように口を開いた。
「理沙さんは、美佐枝さんをご存じのようなんですね」
――美佐枝?
達郎の口から、まさか美佐枝の名前が出てくるとは思わなかった。一体どういうことなのだろう?
「え、ええ、以前知り合いでした」
「実は僕、美佐枝さんの妹の由紀さんとお付き合いしていたことがあったんです」
またしても驚かされた。この場で美佐枝はおろか、妹の由紀の名前が出てくるとは思っても見なかったからである。
「由紀とは、自分の性格の不一致ということで別れるに至ったんですが、僕はその時から、女性の後ろに、他に誰かがいるのではないかと思うようになったんです」
「……」
理沙は考え込みながら、話を聞いていたが、それには構わず達郎が話し始めた。
「ただ、恵美さんの後ろに感じる誰かよりも、理沙さんの後ろに感じる誰かの方が、僕には気になって仕方がないんですよ。なぜかというと、恵美さんの後ろにいる人の見当はまったくつかないにも関わらず、理沙さんの後ろに見えている人に関しては、何となく分かってきているようで、手を伸ばせば届くくらいのところにいるような感じなんですよね。でも、そこからが遠い。手を伸ばせば今度は却って遠くなってしまいそうに感じてしまうんですよ」
「それで?」
「ええ、まるでシルエットのように浮かんでくるんです。しかもそのシルエットは黒いシルエットで、まるでその人に対して自分が黒いイメージを抱いているんじゃないかって思ったんですよ」
「自分なりに分析して行ったんですね?」