聖夜の伝染
気に入らない親の勝手な考えを堰き止めてくれる人がいなかったのは、理沙の中にトラウマを作る土台を植え付けるにふさわしい環境だった。反発心を持っていたことで、美佐枝と知り合えたのかも知れないと思うと、自分が美佐枝の妹になったかのような気分になっていたのかも知れない。
「ルビー買ったんだね?」
「ええ、クリスマスの記念に買ったんだけど、何かの記念でもないと、やっぱり高いものを買う気にはなれないわ」
というと、美佐枝は、
「そうね。でも理沙らしいわ。私も離婚した時にルビーを買ったのよ。今日はしていないんだけど、今度見せてあげるわね」
「ええ、楽しみだわ」
「ところで、理沙は今お付き合いしている人はいるの?」
「お付き合いというほどではないんだかど、最近知り合った人がいるわ。まだこれからどうなるか分からないんだけどね」
「そうなんだ。羨ましいわね」
「美佐枝も、まだまだ若いんだから、これからよ。バツイチでも子供がいないのなら、問題ないと思うわよ」
「そうかしら? でも、私はまだ少し男性とお付き合いするまでには少し時間が掛かる気がするの。もし誰かと出会ったとしても、すぐに付き合い始められるような気がしないのよ」
「どうしてなの?」
「結婚するよりも、離婚する時の方が、数倍エネルギーを使うというけど、確かにその通りだったわ」
と言って、美佐枝は頭を下げて、考え込んでいた。離婚の時を思い出しているのかも知れない。
確かに離婚の時は結婚した時に比べて、数倍のエネルギーを使うというのは聞いたことがある。結婚も離婚も経験していない理沙には、その言葉に意味が、どうしても分からない。
理沙は、クリスマスの時に知り合った二人の男性を思い浮かべた。恵美の手前、自分は武雄を好きになったと言ったが、実際には達郎への意識も捨てたわけではない。二人を天秤に掛けているわけではなく、今は客観的に見て、どちらの男性が理沙にふさわしいかを垣間見ているように感じていた。
――性格的に、二人の男性は、二重人格性を持っていることは分かっている――
だが、細かいところで、どちらがどんな二重人格性を持っているのかは分からない。二人とも違う意味での二重人格なのは分かっているが、二人とも、裏に秘めている性格が表に出てくることはあまりないと思っていた。裏から操られているような雰囲気があり、それが却って頼りがいに見えているように思えていた。
――意外と頼りがいのある男性というのは、二重人格性を持っているのかも知れないわ――
と感じていた。
美佐枝は、そんな理沙を見ながら、隣にいる恵美を観察していたが、恵美という女性が、思ったよりも気配を消すことができる女性であることにビックリしていた。理沙と話をしている間、ほとんど意識することはなかったのだ。
普通気配を消そうとするならば、却って自分のオーラを表に出すことになってしまい、難しいはずである。それができるということは、よほどその場に自分の雰囲気を馴染ませる技を持ち合わせていなければできないことだろう。
美佐枝は恵美を見ながら、
――彼女は私に似たところがある――
と感じた。
そして、理沙を恵美の視線から見た時に、
――まるで妹を見ているようだ――
と感じ、妹のことを思い出していくのだった……。
◇
達郎は、恵美と知り合ってから、由紀のことを思い出すようになっていた。
由紀という女の子は不思議な女の子だった。達郎はつくづく、
――不思議な雰囲気を持った女の子を好きになることが多いものだ――
と、溜息交じりに考えていたが、由紀のことを思い出すのは本当に久しぶりのはずなのに、ちょくちょく思い出しているような気がするのも、由紀の不思議な雰囲気によるものなのかも知れない。
何が不思議といって、由紀は、集団の中では存在感があるが、一人になると、急に存在感がなくなってしまう。普通であれば、集団の中に存在感が埋もれてしまって、存在感が湧き出してこないということがあるが、由紀の場合は逆だった。
達郎が由紀を敬遠し始めたのは、自分が躁鬱症になった原因について考え初めてからのことだった。躁鬱症の原因など分かるわけはなく、ただ自分が人と関わるのが嫌な鬱状態の時、由紀を見ているのが忍びなかった。だが、鬱状態から躁状態に抜けてくる途中で、ふいに、
――躁鬱症の原因は、由紀になるのではないか――
と思うようになった。
躁鬱症を感じ始めたのは、由紀と付き合うようになってからであったし、最初はそれが躁鬱症だとは気付かずに、何をするのも嫌で、人の顔を見るのすら嫌になった時期があることに、我ながら信じられない状態になった。
それまであまり感じたことのなかった自分に対しての腹立たしさを感じ始めたのも、その時からだったのだ。
その時に、ほぼ同時に感じたのが、由紀に対しての不思議な感覚だったのだ。
集団でいる時には、目立っていないのに、なぜか存在感を感じる。いつも端の方にいるのに、誰に聞いても、
「彼女のことは気になるんだよな」
と言っていた。
それは彼女を意識しているから気になるわけではなく、目を逸らそうとしても、勝手に目が寄っていくような、まるで怖いもの見たさに薄目を開けて見てしまうという感覚に似ている。
かといって、一人になると、まったく気配を感じない。そばにいてもいることを感じない、いわゆる存在感のなさは、「路傍の石」を感じさせる。
ただ、それは集団に紛れているからそばにいても意識がないだけであって、まわりに誰のいないのに存在感がないのは、昔ある物理学者が創造したという「暗黒星」のようだ。
宇宙の彼方に存在するかも知れない星。
星というのは、自らが光を発するか、あるいは光っている星に照らされて、反射の力を利用して光っているかのどちらかである。しかし、自ら光を発することもなく、恩恵を受けるはずの光を遮断してしまい、暗黒に取り込んでしまう星が、存在するかも知れないという。
由紀はまさしくそんな存在ではないだろうか。見えているはずなのに見えていないというよりも、存在自体を消してしまっているので、そこにいても気づかない。由紀はそんな存在ではないかと達郎は思った。
ただ、それは自分が鬱状態に陥った時に感じることで、他の人は誰も由紀にそんな感覚を感じない。達郎だけが感じることで、由紀の不思議な力を感じないわけにはいかなかった。
そして自分の躁鬱症も、由紀の不思議な力に誘われているのではないかと思った時、それ以外の考えはまったく遮断された。それは、由紀が持っている存在感をうちに籠めている感覚に似ている。したがって自分の鬱は、由紀によって作られているのではないかとさえ感じたのだ。
一旦思い込んでしまうと抜けられないもの。達郎がそのことに気付いたのだと由紀が感じていると思い、達郎は由紀に対して、
――絶対に逆らえない存在なんだ――
と感じた。
由紀が、力のすべてを達郎に向ける前に、逃げ出すしかないと思った達郎は、何とか由紀から逃げることを考えた。
由紀から逃げるのに一番の得策は、
――集団に入り込むことだった――