聖夜の伝染
――気が付けば他の街に来ていた――
と思っただけだった。
他の街にいると、今までの自分が何だったのかということばかりを考えてしまう。自分を否定する考えしか浮かんでこないのだが、次第に自分の何を否定しようとしていたのかすら分からなくなってくる。
そんな時考えたのが、
――どこに行っても、同じではないか?
という思いだった。ただ逃げ出したい一心で他の街にやってきても、何かが変わるわけでも、自分を理解してくれる人がいるわけでもない。他の街に来てみたかったのは、逃げ出したい気持ちの裏に、自分を理解してくれる人を探したいという気持ちがあったからだ。
結局、また自分の街に戻ってくる。今までと変わらない生活が戻ってくるわけだが、達郎がいなくなった時には、かなり大騒ぎになったようだが、戻ってくると、誰も何も言わない。示し合わせているのか、それとも戻ってきたことで、人のことにこれ以上関心を持たないという気持ちが強いのか、皆何事もなかったかのように次の日がやってくる。達郎も、別に意識することもなく毎日を過ごしていたが、結局、他の街に行ったことで何かが変わるということは一切なかった。
今では、他から入ってきた人を「よそ者」として見る目が、他の人と同じように養われていた。中学時代にこの街を離れたことは、誰も何も言わなかったのは暗黙の了解であり、ポッカリと空いてしまった穴を埋めるわけではなく、そのまま放置しているだけだった。放置していてもそこから何かが起こるわけではなく、本人すら忘れているほどであった。
――一体何が嫌になったというのだろう?
これは思い出してはいけない「玉手箱」であり、達郎は、中学時代に一度この街を離れ、そして戻ってきた頃から、躁鬱症の気を自分で感じるようになっていた。
元々、自分が二重人格ではないかと思っていた達郎だが、それが躁鬱症のせいだと分かったのは、大学に入ってからだったが、実際に高校時代から、その兆候はあったのだ。あまり激しい躁鬱症ではなかったので、目立たなかったが、自分で意識するようになったのは大学生になってからで、どうして分かったのかというと、心の底から笑っていない自分を感じた時だった。
友達と一緒にいて、軽薄な態度を取っている時は、心の底から笑っているのだと自分で思っていた。
――実は笑い上戸で、笑い始めると止まらない――
と思うようになったのは高校の時、しかし、実際に笑っているのは、面白いから笑っているだけで、楽しいと感じたからではない。
――表面上に見えていることが、ただ面白い――
それだけで笑っていると、まわりの人の目は実に冷めたものだ。
――こんなやつについていけない――
とでも言いたげな視線に気付いていながら、笑い始めると、止まらなくなってしまうのは実に因果なものだ。
情けないと思っているからであろうか、笑いながら涙を流している。確かに笑いが止まらないと涙が出るようだが、出てくる涙も次第に止まらなくなってくるのは、悲しいからではない。自分を情けなく思うからだ。何に情けないかなど、分からなかった。その時々で、情けないと思っていることが違っていると思ったからだ。突き詰めれば一つのところに行きつくのだろうと思うが、突き詰める気にはならない。まるで恥の上塗りをしてしまうように思うからだ。
躁鬱症というのは、人それぞれで違うものだと思っている。
達郎の躁鬱症は、躁状態になる時、鬱状態になる時の分かれ目が分かっていた。
――躁鬱症は、トンネルの内と外の違いのようだ――
トンネルの外が躁状態、トンネル内が鬱状態。まさしくその表現がピッタリではないだろうか。
鬱状態に入り込んだ時は、昼と夜とでまったく世の中が変わって見える、昼間はまわりが黄色い霧に掛かったかのように見えていて、トンネル内の黄色いランプを想像させ、霧の中だという意識があるので、視界もハッキリとしない。だが、夜はハッキリとしていなかった視界が一転、クッキリと見えてくるのだ。信号機の赤い色や青い色がハッキリと見えてきて、濃い状態が分かってくる。人それぞれ感じ方が違っても、暗い時に関しては、皆同じ感覚なのではないかと思う。ただ、ハッキリと自覚できるのは、明るい時の霧中があるからで、明るい時の霧中を感じることができなければ、躁鬱症を意識できても、躁鬱の分かれ目をハッキリと理解することはできないだろう。
――トンネルを意識できるかできないかで、躁鬱症を自覚できるかできないかに違いが現れる――
と感じていた。
躁状態から鬱状態に入り込む時は、ハッキリと分かる。昼間は霧中に入り込み、夜はクッキリと見えるのであるから、形になって表れる。もちろん、予感がないわけではないが、確証が得られるのは、目に見えた感覚が現れた時だ。
鬱状態から躁状態に抜ける時に分かるのは、いくつかが見られる理由がある。
一つは、鬱状態の期間が決まっているという感覚である。大体十日から二週間くらいで、鬱状態を抜けることが多い。それはまるで口内炎ができた時のような感覚だった。
口内炎が口の中にできた時、最初はさほど意識をしないが、二、三日すると、痛くてたまらなくなる。次第に寝ている時、口の中が乾くことで、寝ていても痛くて、夜中何度も起きるくらいだった。しかし、治ってくる時というのは、次第に口内炎を意識しなくなっている時が多く、気が付けば痛くなくなっていて、治っていたという感覚である。
それが鬱状態に似ているというのだ。
最初はじわりじわりと襲ってきて、急にまわりの景色が豹変する。それが黄色掛かって見えたりする現象である。痛くてたまらない時も同じように普段との違いを痛感させられる。
だが、次第に痛みにも慣れてくるように、鬱状態にも慣れてくる。何度となく繰り返しているのだから、躁状態を忘れてさえしまえば、ずっと鬱状態だったのだと思うほどなので、慣れてくると、意識すら薄れてくるのだ。
ここから躁状態に移る時が、まさしくトンネルを抜ける時。黄色い色が取れてきて、赤や青がしっかりと目立ってくる。夜の状態と変わらなくなってくると、鬱状態を抜ける前兆であった。
期間が決まっているという意識と、トンネルを抜ける時の意識がちょうど重なった時、鬱状態は解消され、躁状態へと移行する。本当は楽でなるはずなのに、躁状態でも得ることができない気持ちがある。それは、安心感であろう。
安心感は、楽であればあるほど、不安感を募るものだ。それだけ自分が信じられないのだろう。安心感を得ることができなければ、自分を信じることなどできるはずもないのだった。
一口に言うと達郎の躁鬱症の始まりは、
――自分に安心感が持てないこと――
であり、自分を信用できないことから始まっていたのだった……。
達郎は、恵美のことを気に入っていたが、それは今が躁状態だからであった。もしこれが鬱状態であったら、理沙を好きになっていたかも知れないと思う。
達郎は今までに女のこと何回か付き合ったことがあったが、途中で好みが変わってしまい、好きだと思っていた女性を好きではいられなくなり、別れてきた。