短編集42(過去作品)
――大量生産はまずされていないだろうけど、一体同じようなものがいくつ存在するのかしら――
と感じ、そしてこの砂時計に魅入られた人が他にもいるのではないかと思うと、妙な気分になる。砂時計を挟んで向こう側から誰か知らない人が見ているような気がして一種の興奮を覚える綾香だった。
――向こうにいる人が運命の人だったらいいのに――
と感じるようになり、いつしかそれが現実に起こりそうな気がしてきたのだ。そのうち後光の差した砂時計の向こう側に見えてくるであろう男性が、いつしか目の前に現われる光景を想像して悦に入っている自分に気付いてハッとしてしまう。それがいつの間にか日課になってしまって、密かな毎日の楽しみに変わってしまう。
後光の向こうにいる男性はいつも違う人だった。誰かがいるのは分かっているが、どんな人がいるのかはおぼろげにしか分からない。
小太りの男性だったり、背が高くてインテリっぽいメガネを掛けた男性だったり、あるいはスポーツマンタイプの男性だったりする。一定しないのはなぜか分からなかったが、最近はその理由が分かってきたような気がする。
――きっと自分の理想の男性ではないんだ――
いまだに自分の理想の男性がどんなタイプの人かを分かっていない綾香は、常々表を歩いていて男性を品定めしている自分に気付く。なるべく露骨にならないようにと思っているが、その思いを部屋にいて砂時計を見ながら感じているのだ。
砂時計を見ている時間は、最初五分程度だった。じっと見ていて何も写らない時期があり、ただじっと見ているだけなら五分程度が妥当な時間であろう。そのうちにいろいろなものが写っているように感じられた。最初は自分の姿すら感じることもなかった。なぜなら砂時計をひっくり返した時に見える色の違いの不思議さにただ戸惑っていたからだ。
――こんなバカなことってあるのかしら――
特殊加工が施されているとして、どんなものかを探ろうとしていたが結局分かるはずもなく、途中で考えるのをやめてしまった。すると、今度はガラスの表面にいろいろな人の顔が見れるようになったのだ。
最初は自分の顔だった。
毎日違う表情で写っている。笑っている時もあれば、怒ったような表情の時もある。しかし、砂時計を見ている時の表情はいつも同じはずなのに、どうして写る顔はいつも違っているのか不思議でならない。
普段どんなに精神的に疲れていたり変化があったりしても、砂時計の前に座れば嫌なことは忘れてしまう。一番無表情になっているはずである。
――砂時計の前に座る前がどんな精神状態だったかを教えてくれているようだわ――
と思えてならない。
自分の顔を見ると、それまでの自分の精神状態を思い出し、表情に納得してくると、その後は、違う人が写るようになっていた。会社の課長であったり、同僚であったり、やはり毎日会っている会社の人たちのイメージが一番最初に湧いてくることで、砂時計のガラスは、自分の中にある潜在意識を通じて、表面に知っている人を写し出すのだと思った。
だがそのうちに知っている人から、見たことのある人に移っていく。通勤途中の電車の中で時々見かける人だったり、毎日一瞬すれ違う人だったりで、
――どこかで見たことがある――
という程度の人が多くなった。
きっと自分の生活が今までずっと変化のないもので、それを当たり前のこととして受け止め、何も感じなかった時期があったことへの反発のようにも感じる。
変化のない生活は本当に毎日が同じことの繰り返しなのだが、まったく同じというわけではない。特にその時々で感じる時間には微妙な違いがある。
家に帰ってすぐにテレビを見るとしよう。同じ時間帯の三十分番組であっても、その日によって感じる時間が違っている。考えごとをしながら見ている時もあれば、何も考えずにブラウン管に映っている画像だけを見ている時もある。
何も考えていない時というのはあっという間だ。何かを考えていると、時間が経つのは遅いものである。しかし、それはその時に感じるもの、時間が経ってその時のことを思い出せば、むしろ何かを考えながらの時の方があっという間に過ぎたように思い出される。
変化のない生活は自分で望んだものだと思っていた。波乱万丈の生活を望んではいないが、心の隙間を通り抜ける風を感じていると、寂しさがこみ上げてくる。寂しさを払拭しようとすると、誰かと知り合うことが一番の近道なのだが、一歩踏み出す勇気がない。
もちろん知り合うというのは男性のことだ。田代和夫などのように、知り合うには手頃な男性がいるにはいるが、あまりにも身近すぎて怖い気がする。
かといってまったく知らない人よりはましなのだろうが、男性というものを知らない綾香には田代は眩しすぎる。あまりにも男性っぽいというのか、男らしさが滲み出ているからだ。
彼には本当の男性を感じていた。女性としての綾香が目を覚ますに十分な男性で、
――抱かれてみたい――
と大胆なことを考えていて、ハッと気付くこともある。
――私ったら、何てはしたない――
と感じるが、自分が女であることを認識できてまんざらでもなく思っている。
寂しさに勝てない時もあるのだろう。そんな時は夢に田代が出てくる。普通にデートしているシーンではなく、いよいよという瞬間からしか覚えていない。
お互いに裸になって、抱き合っている。感情が溢れてきて、知らないはずの男の身体を感じている。夢のはずなのに、暖かさまで感じる。根拠はどこから来るのだろう。
目が覚めると安堵で胸を撫で下ろしているのだが、その反面、
――惜しかった――
と思っている自分もいる。
――初めて知る男性が彼だったら――
感じたことがいいか悪いか、夢から覚めてしまっては、判断できるものではない。きっと夢の中で自分なりに彼に対しての結論を出しているに違いない。
そのうちに、砂時計のガラスに写る人物の多くが、田代のように見えてきた。ぼやけていてハッキリとしないのだが、見ていると夢を思い出せそうになってくるので間違いないだろう。ガラスに写っているからこそ、彼の夢だったと思い出せるのであって、もし砂時計がなければ思い出すことはできなかっただろう。
初めて砂時計を見た時の衝撃は今でも覚えている。
まわりを見て、誰か自分の驚きに気付いた人はいないかを真っ先に確認したものだ。誰にも知られたくないという思いと、何に驚いているのかを聞かれて、説明したくなかったからだ。その瞬間ほど、自分の目を疑ったことなどなかった。
密かに買ったのだが、店の人もこの砂時計の不思議な魔力に気付いていないのではないかと思ったが、そのわりに、
「これ、ください」
と言った時に見せた不気味な笑いは一体何を意味しているというのだろう。じっと綾香の顔を覗き込むようにしていたのを忘れていない。
暗い部屋で、下から見上げられるのがこれほど気持ち悪いとは思わなかった。明るいところではどんな顔をしているのだろうと思ってしまうほどだ。
作品名:短編集42(過去作品) 作家名:森本晃次