短編集42(過去作品)
「就職して落ち着いたら、結婚しましょう」
という彼女の言葉通りのものだったと、苦笑いしながら話してくれた。
結婚式は盛大で賑やかだった。一世一代の晴れ姿ではないかと思えるほどの花婿だったが、緊張していたのか、それでも横顔は凛々しく見え、初めて見る晴れやかな顔は、しばらく記憶に残っていた。
だが、結婚してからすぐに遠慮がちな性格が戻ってきた。あまり家で喋るようなこともなく、ほとんどは嫁の言うとおりにしているらしい。
しかし、嫁が強い家庭はうまくいくとよく言われるが、極端なのもどうかと思う。半年もしないうちに少しギクシャクし始めたと水口は漏らしていた。
今まで家に帰ればうるさいくらいの嫁にウンザリしてうたらしいが、最近はあまり話もしなくなったようだ。
「いい機会だからお前の方から話をしてやればいいじゃないか」
と皆に言われていたが、最初はそんな勇気も出なかったようだ。元々喋るのが苦手なところに持ってきて、
「今さら何を話せばいいのか分からないよ」
という水口、考えてみればもっともである。
「何を話せばって、お前たちは夫婦だろう。それなりに会話があるんじゃないのか?」
まだ結婚もしておらず、どちらかというと遊び人というイメージの強いやつの発言、無責任極まりない。
「そう簡単に行くもんか。結婚してみれば分かるよ」
「そうかな? 奥さんなんて、手懐けてしまえば、それまでじゃないか」
もっともなことかも知れないが、説得力はない。だが、彼にしてみれば水口の遠慮がちな性格は許せないところまできているのだろう。
――お前を見ているとイライラしてくるんだよ――
と言いたげな表情を、他の連中はハラハラしながら見ているに違いない。
「奥さんはきっと何かを話してくれるのを待っているんだよ」
と他の連中はいうが、水口本人には、もう奥さんと話しができる雰囲気ではない。
「女房は、僕が何も言わなくとも、すべて分かってくれていたんだ。口ではいろいろ言うんだけどね、とてもありがたいんだ」
と水口は話す。水口にとってこれほどありがたい存在の女性はいなかったに違いない。ハッキリ口に出すのもすべて分かっているという自信があるからで、それも相手によるだろう。
――水口だからあれだけ言えるんだろうな――
奥さんのこともよく知っている敬介はそう思った。どちらかというと人見知りするタイプの彼の奥さんは、水口にだけ心を開いていたのかも知れない。
「今まで、一番付き合いやすいのが女房で、気持ちを分かってくれていたのも女房だったので、うまく行っていたけど、今の状態はまったく逆だからね。すべて分かっていると思うだけに、話をしなくなると、相手には全部筒抜けなのに、こちらからは何も見えないという状態になるんだ。こんな怖いことはないよ。やっぱり、遠慮ばかりして何も話してこなかったのがこんな結果になったんだろうな」
水口は冷静に自己分析をしていた。当たらずとも遠からじであろう。それからしばらくまわりは静観していたが、忘れた頃に結局別れることになったようだ。
「結局、離婚の原因がなんだったんだい?」
「それが分からないのさ。僕の中の何かに限界を感じたとしか思えないね」
それからの水口は今までにも増して無口になっていった。まるで抜け殻になったように思えてきたが、まわりからではどうにもならない。今でも何の変哲もない生活をしていることだろう。
玲子は遠慮がちな性格だったが、言うことはハッキリという人だった。遠慮がちというよりも自分を知っているという言い方が適切かも知れない。
きっと家族からの遺伝なのだろう。田舎はどうしてもそこに住んでいる家族も含めて「家」というものを大切にする。
玲子と正式にではなかったが、まわりから見れば付き合いっているように見えたかも知れない。
身体の関係は男女が一緒にいるのだから自然とできた。ごく自然にお互いがお互いを求めることができたのだ。
白い肌がほんのりと赤く染まっていく。同じように顔も紅潮していくが、それだけで嬉しかった。
――彼女はもう私のものだ――
男としての征服感を味わった瞬間、一番幸せな時を迎えた。しかし、それがピークだったことを思い知らされたのは、しばらくしてからだった。
もちろん童貞だったわけではない。それまでに付き合っていた女性と身体の関係になったことはあった。そのたびに征服感を感じたが、これほどの感覚はなかった。
――身体の相性がピッタリだったんだ――
と思ったのは、まるで相手の身体の中に吸い込まれていきそうな感覚に陥ったからだ。その時に感じた思い、それは彼女の中で自分が生きているような感覚だ。そんな思いは初めてだったにもかかわらず、安心感を感じたが、それはまるで母親の胎内で、羊水に浸かっているような安心感に似ているのかも知れないと感じた。
今まで敬介は自分の母親についてあまり深く考えたことがなかった。
――玲子は母に似たところがあるのかも知れない――
と感じながら見ていると、急に玲子の方から遠ざかり始めた。
最初、積極的だったのは玲子の方だった。
「時々あなたを見ていて不安になることがあるの」
と言っていた。
「どうしてだい?」
「あなたが遠く感じるのよ。あなたが私を見ているつもりでも、私の後ろの遥か遠くを見ているような気がして仕方がないの」
母親に似ていると感じ始めて、母親の面影を追っかけているからだろうか?
敬介の母親は、敬介が東京へ出て行って三ヵ月後に亡くなった。突然だったので、まわりもショックだったが、敬介は逆にあっさりしたものを感じていた。それは死に顔を見た時に、
――なんて安らかな顔をしているんだ――
と感じ、いずれ、またこの表情に出会えるような思いがあったからだ。
――あの時の感覚を思い出したんだ――
それが玲子に対する思いである。
玲子はそんな敬介を見て遠く感じているのかも知れない。
「母親を思い出すんだよ。だから遠くに感じるのかい?」
正直に話してみた。だが、玲子はゆっくりと首を横に振り、
「あなたは未来を見ているのよ。そして、そんなあなたを見ている私はあなたの後ろに昔の人を見ているように思えてならないの」
そういえば、この街の歴史を勉強していて、不思議な伝説があるのを思い出した。歴史上の表舞台にこの村が現われる以前に、ここには先住民がいたというものである。
先住民はどんな人たちだったのだろう? 歴史を勉強するが、彼らに関するものは何も発見されていない。ただ、一人だけ先住民の話の言い伝えを受け継いでいる人がいて、先日その人の話を聞いてきたところだった。
彼らの村は他から入ってきた連中に占領され、一部が逃れて他に自分たちの村を作ったらしい。だが、女性の中には捕虜になり占領した連中と半ば強引に婚姻させられ、子孫を残したという。今でこそその子孫がどうなったか分からないらしいが、先住民の血が受け継がれていることに間違いはない。
作品名:短編集42(過去作品) 作家名:森本晃次