短編集42(過去作品)
と思ってしまった。思ってしまうともうダメで、自己暗示に掛かりやすい敬介は、そのまま早退した。普段から風邪を引くと三十九度近くの熱で寝込むので、今回もそれくらいあるだろうと思い、熱を測ってみた。
しかし、思ったより熱は高くなく、三十八度そこそこの熱である。そのわりには、身体の節々が痛い。放っておけば、まだ熱が上がりそうな気分だった。
病院で点滴を打ってもらった。
「これくらいの熱なら、たいしたことはないね。薬を出しておきますので、お大事にしてください」
と医者からは言われた。
「いつもは、もっと熱が出るんですけど、今日はそうでもないんですよ」
というと、
「少し長引くかも知れませんね。一気に注射で熱を下げるわけではないので、徐々に治っていくと思います。とにかく暖かくして休むことです」
「ありがとうございました」
小さい頃から見てもらっている医者である。そういえば、心理学にも造詣の深い医者らしく、若い頃は医大の教授をしていたらしい。小さい頃に先生から聞かされた面白い話を思い出していた。
夢に出てくるのは潜在意識だというが、未来のことが見える夢もあると言っていた。
「予知夢」というらしいが、先生は信じないらしい。未来のことが見えたように思うのは、将来になってから感じることで、未来のことが見えてしまうのは、
――自然界の摂理に反するものだ――
という考え方である。
タイムマシンを例にとって話してくれた。
「タイムマシンを開発して過去に行ったとする。そこで自分の父親か母親を殺してしまえば、自分は生まれないだろう?」
子供心にも先生が何を言いたいのか、ものすごく興味があった。子供だから純粋に話を聞けるのかも知れない。
「だけど、親を殺すには自分が生まれなければならない。でも、殺してしまった親から自分が生まれるかい?」
「あっ」
確かにそうだ。
「先生はそれを聞いた時に、ヘビが丸くなって、自分の尻尾を飲み込んでいく絵を思い出したよ。誰の絵だったか。あまりうまい絵だとは思わなかったけど、センセーショナルな感動を覚えたね」
熱があるからだろうか、先生の話には重みを感じた。もっと熱が高ければ、話を聞く余裕もなかっただろう。
「この街にはいろいろな伝説や、言い伝えがあるからね。冒険もいいが、本で調べてみるのもいいんじゃないか?」
さすがに狭い街、ワンパク少年として知られていたようだ。だが、その時の先生の言葉が、今になって街の歴史を勉強してみようと思わせるのだから、おかしなものである。
何箇所か探検してみたが、洞窟を探検した時のように何も出てくるわけではなかった。しかし、自分の目で確かめてみたということに意義があった。何でも自分の目で確かめないと気がすまない性格は、持って生まれたものなのだろう。
都会に出ると、すっかりそんな自分の性格を忘れてしまった。
――自分を表に出しては、都会ではやっていけない――
という思いが強かったはずだ。絶えず誰かの後ろにいて、控えめな性格だった。決して目立つことをせず、自分を押し殺す。
そんな中で生活していると、実に人からは無難な人生を送っているように見えたことだろう。
――可もなく不可もなく――
都会の雑踏に埋もれるような生活だ。
しかし決して平穏無事というわけではない。精神的にはいつもまわりを気にしていて、――田舎者ではないんだ――
と、絶えず虚勢を張っていなければならない。そんな生活が長く続くはずもない。結局胃を壊して胃潰瘍となり、病院通いを余儀なくされる。あまり気にする必要などなかったのかも知れないが、まわりから、
「やつは、精神的に弱いところがある」
と言われているような気がして仕方がなかった。その思いがさらに自分を苛め、追い詰めていく。それが都会を離れる原因となったのは否めない。
それだけが原因ではないのだろうが、結局、自分で自分の首を絞めたのだ。元々被害妄想的な性格があったことに初めて気付かされた。都会から田舎に帰る連中の多くは、大なり小なり同じような性格の持ち主だったに違いない。
だが、それもすべて田舎に帰ってきて気付いたことだ。都会にいる間は一生懸命だったので、自分のことを見ているつもりで、どうしてもまわりから見てしまう。
――見ているはずの自分が見えない――
霧の中を彷徨っているような夢をよく見ていたように思う。最近見る夢は、その時に見ていて、結局肝心なところを覚えていないそんな夢の続きを見ているような気がする。
――前にも何度か見たことがあるような夢だ――
と感じるようになったのは最近で、それが都会にいた頃の夢だったと分かったのは、本当に最近のことである。
同じ夢を何度も見ているのは、敬介だけではないだろう。起きるにつれて忘れていくのが夢なので、覚えていないだけではないだろうか。
都会から帰ってきた時の田舎は、出て行く時と違って、どこかが変わってしまったように思えた。二十年以上も住んでいて、変化を一切感じたこともなかったのに、おかしなものだ。それだけ都会との差が激しいのかも知れない。
どこが変わったといってハッキリは分からないが、何となく知っている範囲が狭くなったように思えるのだ。子供の頃に見たものを、大人になって久しぶりに見ると小さく、そして狭く感じることがある。それは、子供の目線で感じるからで、背の高さが違うのだから当たり前というものだ。
だが、田舎を出て行ったのも大人になってから、帰ってきた時と背の高さが変わっているわけもない。さらに感じたのは、思ったより田舎を離れていた期間を短く感じることだった。まるで数ヶ月しか離れていなかったように思えるのだ。逆なら最初の理屈に叶うのだろうが、考えてみれば狭く感じるという感覚がなければ短く感じる方が理屈に合っているように思う。
田舎と都会を比べるのはあまり好きではないが、どうしても比較してみたくなる。特に人間関係については、避けて通れないだろう。
田舎は大らかで、都会はせかせかしているというイメージを持っていたが、それだけではないようだ。田舎はそれほど単純ではないし、どちらかというと、都会の人間の方が淡白である。
隣人が誰か分からないような都会と違い、田舎だと、何かあっただけで、すぐに街中の噂になってしまう。それだけ、まわりに対しての目は恐ろしいほど敏感であり、一歩間違えれば大袈裟に伝わってしまう。そして悪い噂は十中八九、悪く伝わってしまうものだけに恐ろしい。
熱も下がってくると、玲子が尋ねてきてくれた。
「大丈夫ですか? 心配していたんですよ」
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
熱があるということだけは話していた。風邪なので相手も気を遣ってくれるし、移してもいけない。お互いに遠慮をしていたのだ。
遠慮もあまり過ぎるとロクなことがない。
東京にいる頃の同僚に、遠慮深い人がいた。腰が低くいいやつなのだが、人に気を遣いすぎて、下手をすると何を考えているのか分からない。
名前を水口というが、彼は早くに結婚した。大学時代から付き合っていた彼女に押し切られるような結婚だったようだが、傍目から見ていると仲のいい夫婦に違いなかった。結婚も、
作品名:短編集42(過去作品) 作家名:森本晃次