短編集42(過去作品)
理沙子も結婚適齢期、自分だって向こうで結婚していたのだから、結婚していて不思議はない。心のどこかで考えていたことだろうが、なぜか信じられないという気持ちもある。
――理沙子が結婚だなんて――
それは理沙子が自分以外の男性と結婚している姿を想像できないからなのだ。理沙子に対して結婚しない女性だというイメージはない。それを考えると、
――自分が一番好きなのは、本当は理沙子だったんだ――
と思わずにはいられない。
それにしては、この寂しさは何なのだろう?
「理沙子さん、最近ずっとここで寂しそうにしていますが、何か不安なことでもあるんですか?」
マスターが横から口を挟んだ。ずっと抱いていた思いを今になって話したようだ。一対一で話すのが辛いほど、寂しそうだったにちがいない。
「結婚はしたんだけど、何か物足らないの。どうしてなのかしらね」
離婚した信夫には、何と答えていいのか分からない。きっと元妻も同じように思っていたに違いないからだ。元妻の場合は性格から言って、誰も話し相手がいなかったに違いない。自分から人を避けていたところがあり、それはまわりへの不信感だった。常に冷静にまわりを見ていたために、信じられる人を減らしていったのだ。
きっと消去法だったに違いない。冷静に見ている人は、自分のまわりから人を減らしているように思う、気がつけば誰もいなくなっていて、
――それでもいいや――
と思ったことだろう。建設的ではないのだ。
建設的な人は、自分から合う人を一人ずつ探していくから、最後に誰もいなくなるという感覚がない。増やしていく楽しさに酔ってしまうこともあるだろう。だから熱血的なイメージを自分の中に感じる。
理沙子は信夫が考えているよりもずっと冷静沈着な女性のようだ。
――大人の女性――
というイメージが強い。
以前に、少し怖い面を感じたことがあった。それがどこから来るのか分からなかったが、今はそれが冷静なところにある「冷たさ」であることを感じる。
――忘れられなかったんだ――
元妻と一緒にいて、妻の後ろに誰かを見ていたように思ったが、それが誰か分からなかった。しかし今はハッキリと分かる。
――理沙子だったのか――
心の中で反芻してみる。反芻しながら理沙子を見つめていると、理沙子は次第に目がトロンとしてきて、冷静さの中に熱い何かがこみ上げてくるのを感じた。
短い会話の後、お互いに見つめ合っている。マスターはそれを知っているはずなのだが、わざと何もなかったように自分の仕事を黙々とこなしている。
無言がどれくらい続いたのだろう。あっという間だったように感じるだろうと頭で思っていたが、本当に感じたのは、ずっと後になってからだった。
気がつけば、前に行ったことのあるホテルの一室で抱き合っていた。
暗い部屋の中が湿気に溢れ、お互いを貪るように唇を重ねている。終始、真っ暗な部屋で無言の中展開していくが、途切れ途切れの吐息が艶かしい。
――自分のことなのに、他人事のように感じる――
まるで夢を見ているようである。感覚が麻痺している。波のように寄せては返す快感に身を委ねることがこれほど心地いいとは思わなかった。
――受身だったのかな?
男は終始主導権を握るものだと思っている信夫は、女性に主導権を渡すようなことをしたことはない。それは最初に付き合った皐月にしてもそうだし、元妻にしてもそうだった。
――だが、果たしてそうだったのかな?
今から思えば二人と愛し合っている時にも同じような受身を感じたように思う。それは、今感じている受身と同じだから頭の中に残っているのだろう。体も当然感覚を覚えているはずだ。
信夫によって理沙子の身体は懐かしいものだった。懐かしいだけに、今まで思い抱いていた理沙子との違いを感じている。理沙子が変わったのか、それとも信夫自身が代わったのかどちらなのだろう。
一度結婚をした信夫には、理沙子が変わったように思う。女性は結婚して、一人の人のものになってしまうと、精神的に束縛された思いを抱くに違いない。しかし、女性自身が変わったわけではない。束縛に対してある種の反発心が芽生えたとしても不思議ではないだろう。
――不倫願望――
今までの信夫にはなかったものだ。自分が結婚している時は、
――お互いに貞操を守ることが義務であり、自分に貞操を守るための苦痛などありえない――
と感じていた。では、妻はどうだったのだろう?
元妻にもありえないはずだ。話をしなくなったからといって、元妻の後ろに男の影は感じなかった。誰かいたとすれば気付いてもいいはずだ。相手の気持ちの変化にはあまり感じることのない信夫だが、妻が不倫をしていればきっと気付いたことだろう。
嫉妬深いと感じたことはないが、目敏いところがある。まるで女性のような執念深さを感じてハッとすることもあるが、いつの間にそんな気持ちが芽生えてきたのだろう。
――女性っぽいところがあるのかな?
今までに感じたことがあるとすれば小学生時代だった。小学生時代には、母親からおかっぱのような髪型をさせられて、嫌だった思いがあったり、なかなか声変わりせずに、高い声が女の子っぽいと友達から言われたことがあった。
――僕は女の子だったんじゃないか?
そんなバカなことがあるはずもないのに、そう感じたのを覚えている。
確かに表で遊ぶのが好きではなかった。女の子と一緒に遊んでいても違和感もなかった。「女の子と遊ぶなんて、恥ずかしくてできない」
という友達が多い中、信夫だけは、女の子の中に混じっていても気にしなかった。
「あいつ、妙に違和感がないんだよな」
普通、女の子の中に男の子が一人いれば違和感があるはずだ。男の子を女の子っぽく見てしまうからだろうが、信夫の場合は違和感がない。おかっぱ頭だったからかも知れないが、女の子の中のルールにも従順に従えていたのである、
だが、そのくせ自分が中心にいないと嫌だという性格の持ち主であった。小学生も高学年になると異性というものについて恥ずかしさを感じたり、自分たちの精神的な変化が、肉体的な変化から見出されていることに気付いてくる。身体の変化が、恥ずかしさを呼ぶのだろう。
理沙子を抱いた時、感じることのなかった小学生時代の違和感を感じたような気がする。すでに女性というものを知っている信夫なのに、なぜ今さら女性との違いについて感じなければならないのか分からなかった。
身体は完全な大人、精神は成長途上にある。そんなギャップが精神的に根本から揺らいできたのと感じていた。
――妻と別れたのも、そのあたりが原因かも知れない――
おかしな感覚は数年前からあった。それがどこから来るものか分からなかったが、結婚してしばらくして感じるようになったのだ。
――結婚がゴールインのように思っていた時期があったな――
今さらながらに考える。結婚することを目的に女性と知り合っているわけではない。結婚して幸せなはずなのに、心のどこかに寂しさがあった。それは目的に到達してしまい、目標を失ってしまった男に似ているだろう。一気に気持ちが萎えてしまい。せっかくの幸せの絶頂を中途半端な気持ちで迎える。
作品名:短編集42(過去作品) 作家名:森本晃次