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オーロラとサッチャー効果

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 と言っていたが、それをテレビで見ていた両親は、
「そんなこと分かってるわよ。世間に失望した人が救いを求めて入信するのが宗教団体じゃないの。そこにつけこむから、彼らのような宗教団体は大きくなってきたのよ」
 という母親の意見に、
「それじゃあ、まるで残飯に群がったノラ猫やノラ犬が、大きくなっていくのと同じ原理じゃないか」
 と父親が言った。
 二人の表情は見るからに汚いものを見ているかのような何とも言えない表情になっていて、
「自分たちは、一切そんな連中にかかわることなんかないんだ」
 と言いたげであった。
 翔子は、そんな両親を見ていて、もっともなことを言っていると思いながらも、その顔に浮かんだ何とも言えない表情が嫌いだった。
 宗教団体への嫌悪はそのまま集団というものへの嫌悪にも繋がっていた。
――人と同じでは嫌だ――
 という発想は、宗教団体に対してのものだというよりも、まわりの宗教団体に対しての勝手な意見を言いながら、それでいて、どこか集団意識を持っている人たちに向けられていたのかも知れない。
 少数派意見を支持する考え方は、他の人にはあるのか疑問だった。日本人は判官びいきだと言われる。弱い者、つまり本人が悪いわけではないのに、弱者になっている人に対して同情的だ。そのくせ、強い者に靡くという習性も持ち合わせている。つまり、表向きは判官びいきなのだが、自分の本心とすれば、
「長いものには巻かれと」
 という言葉に集約されているのかも知れない。
 そのことが分かってきたのは最近になってからだった。
――負け組、勝ち組――
 という言葉は以前からあるが、その言葉の意味を深く考えたことはなかった。
 勝ち組というと、世間で成功している人のことをいい、負け組というと、成功できなかった人のことをいうのだと単純に考えていた。
 そんな単純な考えだけでその二つを考えてみると、勝ち組が世の中での多数派を意味し、負け組が少数派を意味しているかのように意識していた。
 この感覚は無意識の中の意識が感じさせるもので、深く考えていない証拠だった。
 確かに考えてみれば、世の中のどこに成功者が多数派だという理屈にたどり着ける根拠があるというのだろう?
 勝ち組が多くいれば、世の中はもっと潤っているはずだ。過去の歴史を考えても、符号層であったり、支配階級の人間はわずかな人たちではないか、試合階級の方が多ければ、支配される人は少ないことになり、支配する相手もいないのに、支配階級などありえない。支配階級を勝ち組というのであれば、勝ち組が多数派だという考えは明らかに矛盾している。そう思うと、翔子は今までの自分の浅はかさに苦笑するしかなかった。
――そうよね、世の中って、ピラミッド構造なんだわ――
 いまさら何を納得しているのかと言われるが、物事をインスピレーションだけの感覚で見ていると、錯覚してしまうことというのは、えてして多かったりするものなのかも知れない。
 宗教団体のいうように、
「ここに入信した人は、必ず神の御心に預かって、幸せになれる」
 という言葉を吐いていることが多い。
 ただ、宗教団体によっては、
「この世では報われないかも知れないが、今功徳をしておけば、あの世に行った時に幸福になれる」
 という謳い文句がある。
 そうやって、信者から巻き上げるという宗教団体が、当時社会問題になったのだ。
 ただ、考えてみれば、そんな宗教団体が蔓延るというのは、それだけ社会情勢が不安定で、現実世界で貧富の差が激しかったり、一部の支配階級の自己中心的な考えで、世の中の秩序が乱れたことで、世間が混乱し、不幸な人が増えたとも言えなくもない。
 一部の支配階級を勝ち組と称し、不幸になった多数の人たちを負け組と表現するのは、少し乱暴で軽率なのかも知れないが、翔子はそんな連中に対し、今では一刀両断に分けることはできないと思ったのだ。
 宗教団体は、そんな彼らに、
「あの世での幸福の約束」
 として、その見返りを求めた。
 考えてみれば、これほどたやすく金儲けできることもないだろう。
 しかし、実際には自転車操業のようなものだった。元々、生産性のある事業ではない。やっていることは単純で、
――いかに、不幸な人を説得して入信させるかというのが、最初の段階で、入信すれば、彼らの心を常ぎとめながら、彼らにはさらに自分たちと同じような人を団体に引き入れる活動をしてもらえばいい――
 というものだ。
 入信した人を使って、人づてで入信者を増やしていくのは一番楽な方法なのかも知れない。他の会員制も事業と違って、宗教団体というのは、おおっぴらな宣伝活動ができるわけではない。どんなに宣伝したとしても、宗教団体には普通に人を説得できる信憑性がないの、
――さらに最初から宗教団体というのは、胡散臭いものだ――
 という意識が根付いている人が多いことから、宣伝では効果がないことは必然のことであった。
 だからこそ、宣伝以外で人の募集を掛ける必要があるのだが、それには信者に任せるのが一番よかった。
 彼らは、元々同類だったはずだ。一部の支配階級から締め出されたことで世の中に失望していた人から、
「私は、ここで救われたのよ」
 と言われれば、これ以上の説得力はない。
 少々胡散臭いと思っていても、精神的に正常ではなくなっている人が多いことから、錯覚も起こしやすいというものだ。特に宗教団体の中で布教活動にはマニュアルがあるようで、どんなことを言えば説得力があるのかが、明記されている。説得力を感じさせる人に言われると、したがってしまうのも人の弱さだが、藁にもすがる思いだとすれば、それも仕方のないことだろう。
 宗教団体というのは、絶対的な教祖がいるのが前提だが、翔子から見ると、
――どうしてこんな人が絶対的な教祖なの?
 と思えた。
 確かに白衣のようなものを着て、髭を生やした、少し小太りの男なら、教祖としてふさわしく見えるのかも知れないが、入信してきた人には、教団の方針としてあまり食事も与えられていない人から見れば、普通ならおかしいと思うのだろうが、そこは完全なマインドコントロール。感覚がマヒしているのだろう。
 翔子は、宗教団体に一度勧誘されたことがあった。
 あれは高校時代だったが、最初は宗教団体だとは思わずにつれていかれた場所が、道場のようなところだった。その場所では別に武道のようなことをしているわけではなく、好き勝手に座っていて、話をしているだけだった。
「今日は先生がいないので、皆好き勝手にガイダンスをしているだけなので、気軽に入ればいいわ」
 と言って、彼女は知り合いがいるようで、その島にやってきた。
「こんにちは」
 とお互いに挨拶をしている。
 そのうち一人が、
「あれ? 新人の入会者さん?」
 と聞かれ、翔子が躊躇っていると、
「いいえ、今日は見学なんです。今日は先生がいらっしゃらないので、皆さんとお話できればいいと思ってですね」
「そうなんですね。何でもお話ください。ここでは、肉親や知り合いにはお話できないことでも、何でも話せる場所なんです」
 と言って、微笑んでいる。