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オーロラとサッチャー効果

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 今回のように夜更かしをしてくると、同じ四時でも、本当なら寝ようと思った時間が、かなり前に思えて仕方がない。それなのに、バイクの音を聞くと、あっという間に時間が過ぎてしまったという感覚に陥るのは、きっと我に返ったと自分で感じるからなのかも知れない。
――そろそろ寝ないと――
 さすがに眠くなってきたのを感じていた。
 徹夜をしたことがないわけではない。高校時代に受験前に何度か徹夜も経験している。
 勉強をしている時の時間の感覚は、あってないようなものだった。どれほど時間を使っても、頭に入っていなければ、時間が経ったという意識はない。
――まるで、同じ日を繰り返しているかのようだわ――
 と感じたのは、ちょうど時計を見た時、午前零時に差し掛かろうとしていた時間帯だった。
――このまま日付がまたぐのを見ていようかしら?
 と感じた。
 時計のデジタルが、ちょうどの時間を指した時、
――なんだ、別に何も変わったことなんてないんじゃない――
 と、それまで日付をまたぐところを意識したことがなかったので、意識することによって、それまで感じたことのない何かを感じることができるのだと思った。
 だが、午前零時をまたいでも、それ以前もそれ以降も、一秒に変わりはなかった。少し期待しすぎた自分を恥ずかしく思った高校時代、本当は他の人も同じことを考えたことがあって、その人たちは、もっと小さな頃に、
――なんだ、何もないじゃない――
 と、翔子が感じたのと同じ感覚を、味わっていたに違いない。
 そういう意味で、いまさら高校生になって感じるということが、他の人に対して遅すぎる自分を恥ずかしいと感じたのだ。
 日をまたぐ感覚と同じように、誰もが避けて通ることのできない感覚というのがどれほどあるのか分からない。誰もそのことについて語る人はいない。皆はそれぞれ意識をしていて、敢えて話さないようにしているのか、暗黙の了解として、何かを話すと、一人だけ浮いてしまうと恐れているのか、ただ、その思いは皆が共通しての思いであろう。
 しかし、翔子はそのことを暗黙の了解だとは思っていない。何も誰も言わないのは、言葉にしようとした時、何かの力が加わって、話をしてしまうと、自分に災いが降りかかるという思いを抱かせることで、何もいえなくなるのではないかと思うのだった。
 この二つの考えはまったく違っているようで、実は根底で繋がっているのかも知れない。翔子はそのことを思うと、自分が無意識に、
――他の人と同じでは嫌だ――
 と感じていることに気がついた。
 あまり人と関わることが好きではない翔子は、人と同じ考えにホッとすることもあるが、ほとんどは、同じ考えを持っているとすれば、自分がガッカリするのではないかという思いを持っていた。
 人が集団を作っているのを見て、自分ならどの場所が一番ふさわしいのか考えてみたが、見つからなかった。真ん中にいる自分など想像もできないし、端っこにいる自分を見たとすれば、何か屈辱感のようなものがくすぶっていることに気付かされた気がしたのだ。
――私が、人と同じでは嫌な性格だって、本当に感じたのはいつだったんだっけ?
 と時々思い起こすことがあった。
 そんな時に思い出すのは、高校生の頃に友達と興味本位で立ち寄った占いの館だったのだ。
 人と関わることがあまりないとはいえ、友達がまったくいなかったわけではない。集団で行動することは好きではないが、数人であれば、嫌ではない。むしろ三人くらいがちょうどいいと思っていた。ただ、偶数では嫌で、なぜか奇数にこだわった。そのため、五人というと少し多すぎるように思え、三人がちょうどいいのだ。
 翔子は、奇数と偶数という感覚には少しうるさいところがあった。
「初詣なんかは、奇数しかだめなのよ。一社か三社、四社になるようなら、五社を回らなければいけない」
 迷信の類なのかも知れないと思ったが、昔から言い伝えられていることを無視してはいけないという思いも持っていた。
 知らないのであれば、しょうがないことだが、知ってしまったことなら、その言い伝えには従わなければいけないというのが、翔子の基本的な考えだった。
 そういう意味では数が偶数なのか、奇数なのかにこだわりがあった。そんな翔子のこだわりを知っている人はあまりいるわけではない。そのこだわりを理解してくれる人は少ないと感じている翔子は、自分の考えや発想をあまり気安く人に話すことがないようにしていた。
 高校生だった頃には特にその思いは強く、今もその考えが貫かれている。
――考えを貫くことは、私の理念なんだわ――
 と思うようになったのもこの頃で、占いの館に友達と入ろうと言い出したのも実は翔子だった。
 その時の友達のリアクションは、まるで、
――ハトが豆鉄砲を食らった――
 と言ってもいいくらいのものだった。
「いったいどうしたの? 翔子らしくないわね」
 と、少し間をおいて、一人の友達に言われたが、そういいながらその友達の表情にホッとしたものが感じられたのが、翔子にはおかしかった。
「私らしくない?」
 と聞き返し、
「ええ、翔子がまさか占いなんて信じているなんて思わなかったわ」
 と言われ、
「そんなことはないわ。別に占いを信じているわけじゃないの」
「えっ、じゃあどうして?」
「どうしてなのかしら? ただ、占ってもらいたくなったというのが今の気持ちというのかしら」
「至極全うな答えなんだけど、翔子には似合わない気がするわ」
 というと、もう一人の友達は、
「そうかしら? 翔子らしいと思うわよ」
 と言って笑っていた。
 翔子は、この意見が一番嬉しかった。
 占いの館に入ろうと思ったのは、ただの気まぐれだった。確かにそも頃、少し自分の将来について考えたこともあり、
――占いにでも頼ってみようか?
 などと、本当に自分らしくもない思いに駆られたことがあった。
 しかし、すぐにそんな思いを否定し、
――私らしくない――
 と思い返すことで我に返り、誰もが将来に不安を感じていることだと思うと、別に必要以上な意識はしなくてもいいと思い返したのだった。
 だが、占いにまったく興味がないわけではない。世の中のことを何でも、
「科学で証明できないことなどない」
 と言っていた男子のそばで、
「本当にそうよね」
 と相槌を打っている友達がいるのを見て、
――何をバカバカしいことを言っているのよ――
 と、心の底で笑っている自分に気が付いていた。
 だからと言って、非科学的なことを信じているわけではない。特に宗教の類は、胡散臭いとしか思えない。マインドコントロールという言葉が流行ったのは、翔子が小学生の頃だったか、あの頃に宗教団体による犯罪が多発していた時期があった。
「入信させられると、お布施という名目で、多額のお金を搾り取られるのよ」
 という大人のウワサをよく耳にした。
 ニュースでもやっていて、社会問題になっているのは小学生にも分かった。
 そんな時、よく目にするコメンテーターのおばさんがいた。
「彼らは自分たちの閉鎖された世界の中で、教祖によるマインドコントロールで、外の世界から隔絶されているんです」