オーロラとサッチャー効果
「さっきのように、時間を飛び越えると同じ場所に戻ってこれないという発想がまずありますよね。そして、時間を飛び越えることで歴史が変わってしまうって私は思っているんです。小説なんかを見ると、過去に行って、過去の歴史を変えるとそこで歴史が変わるというお話が多いですが、私は時間を飛び越えることそのものが歴史を変えることになると思っているんです」
「じゃあ、タイムマシンは妄想だけの世界だと?」
「ええ、そう思いたいですね。そのために時系列は存在しているんだからですね」
「僕もその意見に同じなんですけど、もしそうだとすると、大きな疑問があるんです」
「どういう疑問なんですか?」
「たとえば、歴史が時系列の積み重ねだったとしますよね。時間が経てば経つほど、新しいものが生まれる。じゃあ、過去に存在していたものというのは、歴史から消えてなくなるということになるんでしょうか?」
「私はそう思っています。そうじゃないと、無限に増え続けていくわけですよね。物事には必ず限界というものがあって、それ以上は増えないようになっているんだって思いますよ」
「それは、この世の理屈ですよね。人が生まれて、そして死んでいく。だから人口も増えないし、安定して発展ができてきたんだって普通に考えていますよね。でも、死んだらどうなるんだって考えたことありますか?」
「ありますけど、必要以上には考えないようにしています」
「どうしてですか?」
「何となく、神への冒涜のような気がしてですね」
と翔子がいうと、田村は興味深い声で、
「へえ、新宮さんは神を信じているんですか?」
「信じているというわけではないんですが、神と呼ばれるような存在を否定しようとは思わないんですよ。ただ、一口に神という存在を信じているのかと聞かれると、その時は信じていないと答えるんですけどね」
「なるほど、その気持ち分かる気がします。僕もね、神なんて信じていないんですよ。でも、実際に神掛かったといわれるような出来事が起こることがある。それは否定できない事実だったりしますからね。そういう意味では新宮さんの話に同意ですね」
「私は、占いも宗教も信じたりしていないんですが、なぜか、私を誘う人は結構いたりするんですよ」
と言って、以前に連れて行かれた宗教団体の会場の話や、友達と行った占いの館の話をした。
「どっちも、新宮さんには似合わないような気がしますけど、でも、新宮さんのような人が宗教に入信したら、きっと嵌ってしまうような気がしますね」
「どうしてですか?」
「自分の考えをしっかりと持っているからだって僕は思います」
「えっ? そうなんですか? 私は逆だって思っていました。宗教に嵌る人は、自分の意見がなくて、神頼みのような発想から入信するんだって思っていました」
「それは、宗教に嵌る人ではないと思います。宗教に溺れる人なんだって思っていますよ」
と、田村は言った。
翔子の中では半分分かっていると思いながらも聞きなおした。
「嵌るのと溺れるのとではそんなに大きな違いがあるんですか?」
「ええ、そうですよ。嵌るというのは、目の前にあるものに危険があるということを分かっていて、遭えて入ってしまう場合もあるということで、溺れるというのは、そこが溺れたりする場所ではないという自覚を持っていながら、気がつけば入り込んでしまっている場合をいうんじゃないかって思います。どちらが抜けにくいかと言われると難しいですが、僕の中では溺れる人の方が抜けやすいと思います」
と田村が言った。
「そうですか? 私は嵌った人の方が抜けやすいと思っていました。溺れている人は抜けることはできないと思うからですね」
「僕は違います。溺れている人は、他から助けようとする力が働けば、その人から救ってもらえると思うんですよ。助かりたいという気持ちを持っていればの話ですけどね。でも、嵌っている人というのは、自ら入り込んだ人であって、最初に抜けようと思えば抜けれたはずなんですよ。それをしなかったということは、宗教には自分の意思で入ったんだっていう思いが強くなっているはずなので、人が何を言おうとも、嵌ってしまった人は抜けようと思わないんですよ」
「言葉と、それを使う時のニュアンスによっても違ってくる発想ですね。一人一人意見が違っているかも知れませんね」
と翔子がいうと、
「それはそれでいいと僕は思っています。一つの団体にはたくさんの思いや考えを持った人がいてしかるべきですからね。それが宗教団体だというだけで、世間から非難されたりするのは、少し違うんじゃないかって思うんですよ」
と田村が答えた。
「でも、今の世の中、ロクな宗教団体がないんじゃないですか?」
「それは偏見じゃないですか? 表に出てきているのは、反社会的な宗教団体ばかりで、それもそのすべてが悪いと言い切ってしまうのは、乱暴ではないかと思うんですよ。たとえば、喫煙する人が今は白い目で見られる世の中になってしまったけど、喫煙者はすべてが白い目で見られるような人ばかりではない。一部のマナーの悪い連中のために、喫煙者が悪く見られるという風潮にあるんじゃないですか?」
「でも、それを言うなら、喫煙者の中には自分たちが迫害されているという被害妄想を強く持っている人がいて、禁煙者に対して恨みつらみを強く抱いている人も少なくはないと思うんですよ。どちらかに優位になれば、結果的に軋轢を生むことになって、その壁は決して埋めることのできない角質になるんじゃないですか?」
「そのことは、最近よく話題になっている『パワハラ・セクハラ問題』とも似ているんじゃないかって思うんですよ」
と翔子がいうと、
「そうなんですか? 海外にいたので、よく分からなくて」
と田村は言ったが、それが本心からなのかどうか、翔子には諮りかねていた。
「この問題は、数年前から大きく社会問題になってきているんですが、最初は受けた方が訴えることで、訴えられた方が悪だという構図ができあがっていたんですよね」
と翔子がいうと、
「それはそうでしょうね。今まで我慢してきた人の不満が爆発したわけですからね」
「ええ、だけど、最近は問題が頻発しすぎていて、本当にセクハラなのかどうか疑問に思うようなことも、訴えさえすれば、こっちが正義だとでも言わんばかりの人もいるようなんですよ。
「逆セクハラというわけですか?」
「ええ、そうです。本来ならセクハラにならないことでも、セクハラだと言って訴え出れば、少なくともまわりは、そういう目で見ますからね。訴えられた方は社会的な立場も微妙になりますよね。今まで訴えられなかった人は、きっと恥ずかしくて訴えることができなかったんでしょうけど、今のような世間の目は、訴える方が正義だという目で見ていますからね」
「そうなんですね。そうなってくると、何が正義なのかって分からなくなってきますよね。世間の風潮に乗っかって、加害者ではない人が加害者のレッテルを貼られ、被害者面している人が、まんまと相手を陥れることができるんですからね。世間というのは恐ろしいものだ」
作品名:オーロラとサッチャー効果 作家名:森本晃次