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オーロラとサッチャー効果

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 言われてみればそんな雰囲気も滲み出ているような気がするが、あくまでも、
――言われてみれば――
 である。
 最初から気付かなかった理由は、彼の笑顔が印象的だったからだ。彼の笑顔にはどこか癒し系を感じさせ、イヌのような雰囲気があった。
 しかし、癒しの中に、相手への依存も隠されていた。
――いや、隠されていたというわけではないわ。ハッキリと表に出ていたと言ってもいいかも知れない――
 と感じるほどだった。
 翔子は、子供の頃、近所で迷子のイヌを見つけて、家に連れて帰って、
「このイヌ、飼いたいんだけど」
 と言ったことがあった。
 しかし、母親からは、
「ダメ、捨ててらっしゃい。そんなもの拾ってきてどうするの」
 と、秒殺だった。
 翔子は、正直その時の母親を見て、それから以降の母親への見方が変わったのだと思っている。どんな事情があるのかも知れず、いきなり話も聞かず捨ててこいというのは、あまりにもむごいと思ったのだ。
 純粋な少女の心を傷つけたことを母親はどう思ったのだろう? 自分にだって少女時代はあったはずだし、同じように、捨てられている子犬がいれば、放っておくことなどできないはずだ。そう思うと、翔子は、
――本当に私はこの人の娘なのかしら?
 とさえ思ったほどだった。
 それからの翔子は、母親に逆らうことはなくなった。だが、その代わり、母親のいうことを聞くことはない。
――逆らわないことと、いうことを聞かないことは違うんだ――
 と翔子は思っていた。
 しかし、当の母親はそんなことは思っていない。
「あの娘は、まったく私のいうことを聞かないで、逆らってばかりなのよ」
 と、近所の人に触れ回っていた。
――どうしてそんなことができるのよ――
 と、母親に反発心を抱いているくせに、どこかまだ許容できるところがあると思っているのか、そんな風に感じていた自分に対して、後になってから矛盾を感じていた翔子だった。
 結局、翔子はその時、さすがに犬を捨てることはできず、友達に引き取ってもらえる人がいないかを探した。実際に何人目かの友達に、
「いいわよ」
 と快く引きうけてくれた人がいたので事なきを得たが、
「翔子ちゃんも、偉いわね。ちゃんと最後まで面倒を見ようとする態度は、おばさんはとても好感が持てるわよ」
 と友達の母親に言ってもらえた。
 テレる気持ちと裏腹に、
――この人がお母さんだったらよかったのに――
 ちゃんと、相手の立場も分かって、行動を冷静に見ることができる人こそ母親にふさわしいと感じた。
 ただ、それが他人の娘だから冷静に見れるとも言えなくもなく、翔子はテレながら、冷静な気持ちを失うことはなかった。
 その犬は、友達の家でスクスクと育ち、子供たちの間で人気者になった。それから少しして、人命救助に一役買ったということで、警察から表彰されるまでになったのだが、まさかあの時のイヌがそんなことになろうなど、母親も思っていなかっただろう。それを聞いた時の母親の顔が思い浮かぶようで、翔子は溜飲が下がった気がして、スッキリした気分になっていた。
 それでも、翔子は友達のところに行ってから、凛々しく育っていく犬はもちろんのことだけど、それよりも最初に感じた慕うような、情けなさそうな表情が忘れられなかった。たまに夢にも出てくるほどで、きっと夢に見ることが多かったことで、田村の顔を見てすぐにその時のイヌの顔を思い出したに違いなかった。
「僕は海外ばかりの赴任だったので、よく分からないんだけど、日本でも、事務所の中で結構裏表が激しかったりするんですか?」
 と聞かれた。
「海外はどうなんですか?」
 と聞くと、
「そうですね。ないとは正直言いませんが、ただ、比較になる対象がないので、それがどれほどの程度なのか分からないんですよ。何か具体的な例でもあれば説明できるんですが、私は海外赴任中にそのような具体的な事例に遭遇したことがなかったので、何とも言えないですね」
 と答えた。
 これがありきたりな話にも聞えて、どこまで彼の話を額面通り受け取っていいのか迷うところであった。
「それは私も同じことです。たとえ具体例が分かっていたとしても、ここでいうのは、先入観を与えることになって無理があると思うんですよ。だってあなたはこれからここで皆と一緒に働くわけでしょう? それを私だけの主観で話をして、あなたに余計な先入観を与えて、それが人間関係をぎくしゃくさせることになったら、私はそんな責任を負うことはできません」
 とハッキリ言ってのけた。
 少しツンツンした言い方なのかも知れないが、それくらい言ってもいいと思った。何しろ、赴任してきてからすぐに、いくら事務所の雰囲気を知りたいとはいえ、いきなり事務所の裏表について話してほしいというのは、あまりにも突飛すぎると感じた。
――これが海外経験者の感性なのかしら?
 と、何か自分たちとの違いを感じさせられた。
 海外赴任者というとエリートで、帰国後は確固としたポストが用意され、将来がある程度約束されているというイメージがあるが、目の前にいる彼からは、エリートという雰囲気は欠片も感じられなかった。
 翔子の通っている会社は、確かに海外にも拠点を持っているが、全国的に有名な一流企業というわけではない。むしろ地元では大手なのかも知れないが、全国的にはさほど有名ではない会社だった。
 だからこそ、翔子は就職したのだし、就職できたのだと自覚していた。
 翔子は、やはり以前付き合っていた彼氏のことを思い出してしまった。
 彼の屈辱的な顔を初めて見た時、そのイメージが脳裏から離れなくなり、それから別れまでは坂道を転がり落ちるようだった。
 彼もぎこちなくなったのも事実だったが、避けていたのは明らかに翔子の方だった。約束を彼の方から取り付けようと連絡をしてきても、
「ごめんなさい。その日は用事があるの」
 と、けんもほろろで断っていた。
 何度も断るうちに、さすがの彼もさ所為を掛けてこなくなった。そのうちに、
「あの人、この間他の女性と歩いているのを見かけたわよ」
 という話を他の女性から聞かされた。
 その時はまだ完全に別れたとは思っていなかったが、その話を聞いた時、
「いいのよ、私たち別れたんだから」
 と言ってしまった。
 その話を聞いた友達は、
「そうだったんだ。知らなかったわ」
 と本当に驚いていたが、翔子が彼と別れたという話はあっという間に、クラスで話題になり、自然と彼の耳に届いていた。
 彼とすれば、
――どうして別れたことになんかなっているんだ?
 と感じたかも知れない。
 彼が一緒に歩いていた女性は、本当は彼女などではなかったからだ。
 しかし、このことが彼の背中を押したのかも知れない。ぎこちなくなった相手と中途半端な気持ちで付き合っているのは彼としても微妙な気持ちだったからだ。
――これ幸い――
 と思い、別れたという話に便乗したというのが、本当のところではないだろうか。
 翔子としても、きっかけは自分が作ったとはいえ、相手もそれに便乗してくれたことでうまく別れられたのはありがたかった。
――人のウワサてうまく利用もできるのね――
 と感じた。