オーロラとサッチャー効果
魔性の女というのは、もっと自分の感情を表に出すものだ。しかも、それが本心からのものではなく、偽った感情であると思われている。目の前のこの女は、確かに自分の本当の感情を出しているわけではないが、少なくとも、本心から派生した感情であることは間違いない。そういう意味では、翔子の感じている魔性の女とは少し違う気がする。
しかし、こういう女ほど怖いものはない。表に出す感情を押し殺していて、態度に露骨に出てくるものは、男心をくすぐるもので、自尊心をくすぐられたオトコは、自意識を過剰にさせられる。
――その時、オトコは自分が女から操縦されているということに気付いているのだろうか?
翔子は気付いていると思っている。
相手の男はそのことに気付いていて、どうしようもない状態にさせられているのだ。それこそが魔性の魔性たるゆえん、そしてこのことは女にしか分かる状況ではないと思っていた。
女に操縦されることを分かっている男は、その時点で、冷静さを失っている。
――いつ捨てられるか分からない――
という恐怖心が男の中に浮かんできて、自分の自尊心は、恐怖心に凌駕される。
しかし、女としては、オトコの自尊心をくすぐらなければ、自分の自尊心を満足させられない。そこで取る態度が、
――彼の影に隠れて怯えてみせる――
という態度なのだ。
そこにわざとらしさが感じられるのは、男に対しての自分が上であるという優越感を持つことで、男に劣等感を植え付ける。しかも、その劣等感があたかも悪いことではないと錯覚させなければいけないことが難しいのだ。女の怯えはその錯覚を植え付けるためにも重要で、
――誰がこの男を操っているのかということを、男自身にも感じさせないと意味がない――
とまで思っていた。
密着して奮えながら怯えている女は、男の自尊心をくすぐるには最高だ。だが、この女の求めている男は、それだけではまだまだ足りない、洗脳することがこの女には必要不可欠な問題だった。
洗脳された男は女の言いなりだった。ただ、それを女が男に強要しているというイメージをまわりに感じさせてはいけない。さらに相手の男にも、自分の影響力を意識はさせるが、洗脳というイメージを植え付けてしまってはいけないのだ。それだけ、この女の「怯え」という態度は、男を狂わせるだけの効力を持っているのだった。
――彼は、この二人のどこまで分かっているのだろう?
翔子は、自分が感じていることが妄想であり、すべて本当のことだとは思っていないが、二人を見ていて、一番辻褄の合う考えだと思っているのは間違いのないことで、ひいては本当のことでなくても、辻褄さえ合っていれば、それは真実だと言ってもいいのではないかと思えるほどだと感じていた。
翔子は、この欺瞞に満ちたカップルを見ながら、嗚咽にも似た感情を抱きながら、自分の彼がどう反応するかを考えなければいけない立場に置かれていた。
――こんなことなら、欺瞞に満ちたカップルの本性など、想像しなければよかった――
と思うほど、彼の態度がどう変化するか、想像もつかなかった。
ただ、尋常ではいられないことは分かっていた。
顔はすでに真っ赤になっていて、赤鬼を思わせるようだった。はちきれそうな顔には怒りとも情けなさとも思えるような何とも言えない表情が浮かんでいて、口元が震えているのは、そのせいだと思えた。
口元が震えていると、何も口から言葉は出てこないものだ。彼が何かを言いたいのかどうか分からないが、言いたいことがあっても、口から出てくることはないだろう。
相手の男の顔には勝ち誇った様子が見て取れる。しかも、その表情は彼に対してのものと、さらには後ろで震えている女に対するものとが半々だった。彼はそんな男の表情に、少なからずの戸惑いを持っているように思えた。
――今の彼の精神状態で、私が感じたほどのことを感じることなど、できっこないわ――
と翔子は感じたが、もしこれもこの女の計算にあるのだとすれば、ゾッとするほどの寒気を感じた。
だが、さすがにそこまではなかった。この女にとって、翔子の彼氏は眼に入っていない。あくまでも自分の男の操縦で精一杯なのだ。
――待てよ?
そこまで来ると、翔子は疑問に感じることがあった。
――この女の最終目的はどこにあるんだろう?
という思いだった。
男を操縦することで自分の自尊心を満足させることが目的であれば、何も男がまわりの人とトラブルを起こすような態度に出させる必要もないだろう。
そんなことをすれば、自分が怯えた態度を男に見せなければならない。それを男に悟らせながらである。
確かに、まわりから見れば、この女が怯えている姿だけを見れば、彼女がかわいそうな女に見えなくもない。そういう意味での自尊心をくすぐるというのであれば分かる気もするが、男に自分が怯えている心情を分からせなければいけないので、下手をすれば、男が我に返って、彼女の操縦から解かれる可能性もゼロではない。女にもそれくらい分かりそうなものだが、それでも自尊心をくすぐるために操縦しながら、男にトラブルを起こさせることを容認するのは、翔子にはその心境を図り知ることはできなかった。
翔子が考えたのは、
――この女、自分の操縦する男のことなど、どうでもいいんだ――
という思いだった。
操縦する男が、もし我に返って自分から去っていっても、代わりは他にいくらでもいると思っているのかも知れない。
ひょっとすると、翔子の彼氏など、その典型なのではないかと思っているのではないかとさえ思えるほどだ。
だから、自分の男にトラブルを起こさせ、自分の言いなりになる男が他にもいるかどうか、確かめているというのは考えすぎだろうか?
翔子は、この女を見ていると、考えすぎではないかと思ったとしても、考えすぎているということはないとまで思っている。それだけこの女は翔子の発想の先を行っているようで、追いつこうとすればするほど、逃げられてしまうような気がしていたのだ。
翔子がそんなことを考えているなど、彼は知る由もないだろう、
――俺は、どうして今こんなに苛立っているんだ?
もし、彼がそう思っているのだとすれば、まだマシではないかと翔子は思った。
彼は翔子の方を見ようとしない。それは翔子がどんな表情をしているかということを知るのが怖いというわけではなく、余裕がないのだ。
その余裕というのは、目の前の男女に対してしか考えが及ばないからで、まわりが完全に見えていない。そうなってくると、もう自制心などあったものではなく、怒りだけが彼の中で燃えあがってしまっていることだろう。
翔子はそれを恐れてはいたが、
――それもしょうがないことか――
とも感じていた。
それだけ、この欺瞞に満ちた男女は彼の手に負える相手ではなかったのだ。
翔子もこの男女をことを想像はできても、手に負える相手だとは思っていない。できれば、
――君子危うきに近寄らず――
ということわざのごとく、相手をしなければいいのだろうは、彼がなまじっか関わってしまったために、どうすることもできなくなった。
作品名:オーロラとサッチャー効果 作家名:森本晃次