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オーロラとサッチャー効果

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――オーロラって、本当に大気圏の中のものなのかしら?
 と感じた。
 調べたことはなかったが、もし、大気圏外であれば、かなり遠い空のかなたではないかと思えた。
 今見えているオーロラも、数十年前のものだったりするのではないかと思うと、音が聞こえてきたのは、本当ではなく、錯覚でしかないと言えなくもない。
 オーロラ一つだけで、これほどの発想ができてしまう翔子は、夢の中であれば、
――一瞬で感じたことなのではないか?
 と思うのだった。
 その日見た夢はオーロラだけを見た記憶を覚えているだけではなかった。最初に空を見上げたわけではなく、普通にその場所にいて違和感があったわけではなかったが、その場所は明らかに初めての場所で、旅行に来たわけでもなかった。
 それなのに、どうしてその場所にいるかなどということは説明のつくことでもない。夢というのは、説明のつくことばかりではなく、自分が納得できればそれでいいと思っている。
 ということは、その時、翔子はその場所に自分がいることに納得していたということになるのであろう。
 翔子にとって、オーロラを見たことも納得できていたはずだ。ただ、その場所というのは明らかに日本だった。絵画で見たことのあるその場所は、絵画の中ではアルプスの山々に挟まれた、もちろん、オーロラなど発生するはずのないという意味では日本と同じはずなのだが、最初からその場所を日本としか感じなかったのは、自分が海外に行ったことがなかったからであろう。
 翔子は海外に行きたいと思ったことはなかった。学生時代に皆が、
「西海岸はよかった。ヨーロッパにも行ってみたいわ」
 などと話をしているのを聞いても、完全に他人事だった。
――私は日本も知らないのに、海外にばかり目を向けるなんてナンセンスだって思うわ――
 と、口には出さないまでも、そう考えていた。
 実際に海外と聞いて思い浮かぶことは、食事や水が合わないということだったり、文化の違いや治安の悪さを考えると、日本が一番いいと思うのだ。
 翔子は実際に外国人を信じているわけではない。日本に来ている外国人のマナーの悪さなど目に余るものがあり、
――日本の風俗文化を守れないなら、自分の国に帰れ――
 と思っていた。
 特に都会の駅や街を歩いていると、聞こえてくるのは、聞いたこともない言葉で、
――みゃーみゃーと、何を言っているのか分からない――
 と不協和音にしか聞こえないその声に怒りすら覚えていたのだ。
 他の国に来て、我が物顔で渡り歩くなんて、非常識もいいところである。
 そういう意味でも、海外に自分から行こうとは思わないし、行って同じことを想われるのなら、自分が納得いくわけなどなかった。
 したがって、翔子がどんなに綺麗なところだと思っても、想像するのは日本としての景色であり、そうでなければ自分を納得させることができない。それが翔子という女性の本質でもあり、少なくとも夢に対しての定義であった。
 夢の中に出てきた光景は、小高い丘の上に小屋があり、その横には一本の大きな木がそびえていた。その向こうには標高にして数千メートルはあるのではないかと思うほどの高い山があった。ただ、実際に見えている山はそこまで高いとは他の人は感じないだろう。その理由は、その場所が遠近感をマヒさせる作用があるようで、それはきっと翔子が見た記憶にあるのが絵だったことにあるのではないだろうか。
 絵というのは二次元のもので、元々遠近感はマヒしてしまうものであり、マヒがそのままマジックとなり、絵の魅力に繋がっているのではないかと思うのだった。
 翔子は、山の頂に雪を見ることができた。
――北海道なんだわ――
 一度しか行ったことがない北海道であったが、その時に見た北海道の光景とは程遠いものだった。確かに日本にはない光景を無理やり日本と結びつけて見るのだから仕方のないことで、すぐに北海道という発想がなかったのも無理もないことである。
 翔子にとって北海道をイメージしたことで見えている光景が実際よりも狭く感じられた。その時に、
―ーこれは夢なんだ――
 と初めて感じたとすれば、それが最初だったとあとから感じた。
 ただ、実際には山への遠近感がマヒしていることが結果的にオーロラに気付くことになったのだとその時は感じなかった。
 絵の中に入り込む感覚は、実はこの時が初めてではない。以前に箱庭を感じたことがあったと書いたが、実際にそれも夢だったのではないかと今では思っている。
――箱庭は立体で、絵画は平面という違いがあるんだけなんだわ――
 と思う。
 平面と立体とでは比較できないほどの違いがあるのだろうが、それが夢であれば、混同してしまうことも仕方のないことだと思っている。
 平面と立体の大きな違いは、影にあるのではないかと翔子は思っていた。
 自分で絵を描くほどの造詣は深くないのだが、絵を見るのは嫌いではなかった。
――私には絵を描けるほどの才能があるわけではない――
 ということで、絵を描くという高尚な趣味に手を出すことはしなかったが、絵を見ながら、
――私なら、こうやって描くわ――
 と感じることが多かった。
 その時に感じるのは、まず絵を描く初心者が感じることと同じらしく、
「私が絵を描くのが難しいと思うのは、バランスと遠近感だと思っているのよ」
 と絵を描くのが趣味だという人と話した時に言ったことがあった。
「ええ、そうね。私も最初はそうだったわ。バランスというのは、たとえば風景画を描く時などに感じることで、空と陸地とのバランスなどを考える時ね。海を描くなら、水平線の位置などが問題になるわね」
 と言った。
「ええ、私は少し考えが飛躍しているかも知れないと思われるかも知れないけど、感覚としては天橋立の感覚なんですよ」
 というと、友達は笑顔で、
「天橋立?」
 と聞き返してきた。
 どうやら本人は分かっているような言い方だったが、これも彼女の特徴で、翔子も分かっているので、敢えて分かっていないように相手の素振りに合わせることにしている。
「ええ、天橋立というところは股の裏から覗くところでしょう?」
 日本三景の一つの天橋立は、股覗きというスポットがある、翔子も天橋立には行ったことがあり、皆がするように、股の間から眺めてみたものだった。
「ええ、そうね」
 彼女もどこまで分かっているのか分からないけど、翔子に合わせてきた。
「頭を逆さまにして下から見ると、空と陸地の境界が、普通に見るのとかなり違っていることに気付くのよね」
 そこまで言うと、彼女も黙っていなかった。
「そうなのよね。反対から見ると、こんなに空って広かったのかと思うほどだものね」
 と友達は言った。
 だが、翔子は少し違った感覚を持っているようで、
「私は少し違うの。あなたと違って感じるのは、陸地の方がこんなにも狭いところだったのかって感じるのよ」
「それは、ショックだった?」
「そんなことはないわ。ただ、こんなに狭いところに犇めいているのかって思うと、何とも滑稽で、逆に無駄にだだっ広い空がなんとなく無駄に感じられるというのも、同じように滑稽だったわ」