オーロラとサッチャー効果
とまるで、自分がサディスティックな雰囲気で最初は話した。
本性はマゾなのに、まるでサドのように接したのは、麻衣が翔子を意識していたからだ。
――あの女が相手では、これくらいの雰囲気ではまだまだダメだわ――
と思ったことで、サドを装うのは得策ではないと麻衣は感じたのだった。
麻衣は、翔子のことを影からいつも見ていた。翔子の方も時々、
――誰かに見られている気がするわ――
と感じていたが、すぐに、
――勘違いだわ――
と否定していた。
自分が誰かに見られているということなどないと、完全に思っていたからだ。それは自分が人と同じでは嫌だという感覚があるからで、
――そんなことを感じている人に対して、誰が気にかけたりするものか――
と思っていたからである。
だが、翔子は麻衣の視線を意識していないわけではなかった。ただ、それは夢の中で感じた視線だと思っていたからで、夢の中の出来事はすぐに忘れていくのに、誰かの視線を感じたということだけは意識として残っていたのだ。
普段から忘れっぽくなってきたのは、近藤と別れてからのことだった。
近藤との別れは突然やってきた。別に翔子も近藤も、その時に別れが訪れるなど、想像もしていなかったはずだ。
別れが待っているなど最初から感じていないその日の出会いだった。
その日、近藤はなぜか苛立っていた。翔子に対しての苛立ちではないことは翔子にも分かっていたのだが、彼の苛立ちの正体が何なのか、まったく分からなかった。
――私の身体への苛立ちではない――
というのは分かっていた。
では、何かというと、どうやら、自分が翔子のことを慕っていることが疑問だったようだ。
麻衣が近藤を惑わせたわけでもない。いつも麻衣は近藤をいなすように付き合っていて、彼を怒らせるようなことはなかった。ただ、自分の正体をなるべく悟らせないようにして、言い方は悪いが、
――身体だけの関係――
に近かったかも知れない。
麻衣は彼に身体を提供し、その見返りを求めようとはしなかった。近藤はそれを不思議には思わなかったが、翔子に対しての苛立ちを和らげてくれるのは嬉しかった。
二人はいつも、貪るように愛し合った。
「麻衣」
と、近藤が搾り出すような声を発すると、その声に発情した麻衣は、
「守……」
と、吐息と同時に消え入りそうな声で悶える。
そんな二人の情事は、とても口で表現できるものではなかった。まるで獣が愛し合うかのように激しいが、そこに感情が入っているのか分からないほど、淡々とした時間が過ぎていく。もしその場を見ていた人がいれば、湿気の激しさに息苦しさを感じるだろうが、空気は冷たく、極寒の中での二人は、ベールに包まれているように見えるに違いない。
翔子はもちろん、他の誰もが、こんな情事信じられないと思うことだろう。実際に情事を繰り返している二人も、まわりにそんな雰囲気を与えるなどと想像もしていないに違いない。
麻衣はともかく、近藤の方は、お互いに感情は入っていなくとも、熱く火照った身体は触っただけで焼けどしそうな感じだと思っているに違いなかった。
では麻衣の方はどうなのだろう?
麻衣は、近藤に対して、愛情というものを感じていなかった。
元々麻衣は、オトコに愛情を感じるタイプではない。
――オトコなんて、欲情を満たせればそれでいいのよ――
と感じていた。
本来の麻衣はレズビアンだった。
――相手が女であれば、身体の関係がなくとも愛し合うことができる――
と思っていた。
それを親友だと思っていたようだが、親友という言葉を他の人と、かなり違った意味で解釈していたようだ。
身体の関係がなくともというのは、あくまでも建前で、まずは愛し合うことから始まり、そして身体の関係になるのが親友だと思っていた。
他の人に言えば、
「それが恋愛というものよ」
と言われるだろう。
相手が男女関係なくの恋愛である。
だが、麻衣は今まで女性と身体の関係になったことはなかった。
「あなたとは親友の関係よ」
と言って、相手と仲良くはなるが、麻衣が自分の身体を狙っていると露骨に感じた相手は、一気に麻衣への気持ちが冷めてしまい、さらに恐怖心が宿ることで、麻衣から去ってしまっていた。
中には、トラウマとなって残ってしまった人もいた。その人は男性に走ることもできず、人を愛するということが分からずに、恋愛の中で彷徨ってしまうことになり、どこに着地していいのか分からない。女性ホルモンの平衡を保てなくなり、精神的にも肉体的にも参ってしまって、精神内科にずっと通っていることになった。結局入院も余儀なくされ、しばらく田舎での療養生活が続くことになった。
彼女は、麻衣の前に二度と現れてはいけない女性で、彼女の中から麻衣の記憶を取り除かなければいけないのだが、それには、
「相手の女性があなたのことを忘れなければ、それは難しいかも知れませんね」
そんな思いが麻衣の知らないところで進行していた。
近藤が麻衣の前に現れたのは偶然ではない。彼女のために送り込まれたのが近藤であり、彼女にとっても、近藤にとっても、麻衣という女の存在は、良くも悪くも重要な存在であることに違いはなかった。
もちろん、それは翔子のまったく知らないところで繰り広げられている問題で、ここまで大きな範囲で物事が展開しているなど、誰が知っているというのだろうか?
翔子は、近藤に他に女がいることは、近藤が麻衣と知り合った頃から分かっていたような気がする。しかしそのことを近藤にいうわけでもなく、近藤に自分が知っていることを悟られないようにしていた。
短大時代のことを最近は思い出すこともなかなかなく、思い出すのは近藤や中学時代の親友のことだった。就職してからの一人暮らしは、最初こそ寂しさがあったが、それは就職してからのそれまでとの立場の違いによる精神的な疲労によって促されるものだった。
今では一人暮らしにも慣れて、一人の方が気楽でいいと思っているほどで、誰からも干渉されないことをよしとしていた。
そんな翔子だったが、最近よく夢を見る。そして、その夢は覚えていないことがほとんどなのだが、覚えている夢というと、いつも近藤や中学時代の友達の夢だった。
――そういえば、私、どうして天然ちゃんなんて言われていたんだろう?
人と同じというのは嫌だという自分のポリシーが、まわりからは天然に見えたのだろうか?
もしそうだとすると、翔子にはありがたくないことだ。天然ということで、まわりが自分を気にするのは、バカにしている要素が強いからで、そんな状態に自分の自尊心がよくもったものだと思えたほどだ。
しかし、天然と言われることで、まわりと結界が生まれ、そのことが翔子を、
――人と同じでなくとも、まわりに対して自分が孤独な性格だということを悟られないようにするには好都合だ――
と感じた。
まわりから孤立することは悪いことではないが、孤独だと思われることは自分の負けを認めることになるようで嫌だった。
そんな翔子は、夢の中ではあくまでも上から目線になっている。
作品名:オーロラとサッチャー効果 作家名:森本晃次