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短編集41(過去作品)

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 お見舞いに行った時には桜の木があることに気付かなかった。もしまた入院したら、桜の木を見てみようなどというのは不謹慎なので考えないようにした。実際に再入院したおばあちゃんは、前と同じ部屋への入院となり、お見舞いにも行ったが、桜の木を意識することはなかった。病院を後にして、
――桜の木を見ていなかったな――
 と思いはしたが、どうしても見たいものだとは思えなかった。もし桜の木を意識しようものなら、おばあちゃんによくないことが起こりそうな気がしたからだ。
 ある日、桜の木がシルエットになって、空がピンク色に染まっている夢を見た。病院の窓を通して見つめているおばあちゃんの生き生きした顔がピンク色に染まっている。さぞや楽しい思いに浸っているのだろう。
 それが夢だと気付いた時、真っ暗な部屋で目が覚めた。自分の部屋をいつも真っ暗にして寝ているのでビックリすることではないが、すぐに目が慣れてきて、窓から見える表の明かりが、白々と明るくなってくるはずだった。
 だが、いくら待ってみても明かりが入ってこない。
――まだ夢の途中なのだろうか――
 と思って目を硬く閉じ、次の瞬間、くっきりと目を開いた。
――明るさが戻ってきた――
 ほんのりと桜色に染まった表を見ていると、窓ガラスの枠がシルエットのようになって黒く浮かび上がっている。表の木が風で揺れているのか、シルエットは枝をしならせる。
――桜の木がここまでしなっているなど、夢の中でないと信じられない――
 夢から本当に覚めたのは、シルエットを浮かび上がらせていた窓から、容赦なく朝日が差し込んできてからだった。
 差し込む日差しを見た時、桜の木を見たことが完全に夢であったことに気付いた。そして、おばあちゃんの訃報を聞いたのは、その日のことだった。
 不思議と悲しくない。大往生だということも分かっていたし、
「とても安らかなお顔をされていました」
 と後から聞いたが、それだけでも悲しみは半減した。
 それにしても肉親の死がこれほどアッサリとしたものだとは思いもしなかった。悲しくないわけはないのだが、心の底から悲しさが湧いてこない。おばあちゃんのことを思い出そうとすれば、桜の木を思い出すくらいで、後の思い出はしばらく経たないと思い出せないように思えた。
 それでも大事件であることには違いなく、意識しないところで、達男の気持ちのどこかに影を落としていることだろう。
 おばあちゃんが亡くなってからしばらくすると、本格的な春の訪れを迎えた。達男もいよいよ社会人、真新しいスーツを身に纏い、新鮮な気持ちの新入社員として新しい世界が待っていた。
 毎日が勉強で、季節感を肌で感じてはいたが、楽しめるほどではなかった。桜の並木道を歩いていても、夢で見た桜を意識することはない。あまりにも夢で見た桜とシチュエーションが違いすぎるのだ。シルエットとして浮かび上がるなど考えられないほど、桜の木に降り注ぐ日差しは容赦のないものだった。
――むしろ目が覚める時に感じた容赦のない日差しに近い――
 と感じるほどで、それ以上夢の中での桜を思い出すことはできなかった。
 新入社員としての半年間、研修に忙しい毎日だったが、何とか無事にこなせてホッとしていた。
――たかが研修――
 という思いがあったのも事実だが、これがなかなか大変で、難しいことを何度も繰り返して教えてくれるわけではない。しかも実践がともなっているわけではないので、口だけで説明されてもピンと来るものではない。
「君たちが実際に実践で行動する時に、今回の研修のことがどれだけ頭に入っているかということが大切なんだ。うまく生かせるか生かせないかで、これからの君たちが決まると言っても過言ではない」
 背筋がピンとなるような話である。心して聞いていないと、きっと後で後悔することになるだろう。
 今年の新入社員は多かったようである。今までのリストラで減ってしまった社員を、新入社員を一から育てることで補っていこうという会社の方針らしいが、長いビジョンが気に入った達男である。しっかり頑張ればきっと将来会社の中心に立てるだろうが、中途半端な気持ちでいると、どこかで躓いてしまうに違いない。その自覚があるだけ、頑張っていける自信はあった。
 その第一歩が今回の研修である。しっかりこなせた人は達男の他にも何人かいたが、見ていて、
――これは厳しいかな――
 と明らかに感じる人も何人かいた。
――来年の春には、何人が残っているだろう――
 とまで考えるほどだ。研修の結果で赴任地が決まるというが、支店で勉強するのも、本社に残って最初からエリートコースを歩むのも、達男にしてみれば大きな違いはなかった。それだけ研修期間中に吸収した内容は大きかったのだ。
 会社の近くに公園がある。通勤路にあるので、意識していなかったといえばウソになるが、研修期間は意識して見ないようにしていたといった方がいいかも知れない。
 昔から公園のベンチで一休みするのが達男は好きだった。緊張がほぐれるからだ。スーツを着て公園のベンチに座っていると、見るからにやつれて見える気もしていたが、それも気の持ちよう、達男は気にならなかった。
 ちょうど研修も終わって一息つけたので、会社の帰りに公園を横切って帰ろうと考えた。都会の中の公園としては狭い方ではない。ビルの谷間にあるので狭く感じるが、中に入ってみると思ったより広く、少年サッカーくらいならできる広さがあった。
 ベンチは公園を囲むようにいくつも点在していたが、公園が広いので、正面のベンチに座っている人の顔が、視力のよくない人には、ハッキリと見えないくらいかも知れない。どちらかというとあまり視力はよくない達男は、ベンチの向こうにいる人がおぼろげにしか見えなかった。
 一日に十分くらいだろうか。会社の帰りにベンチに座ってボンヤリとする時間を作っていた。時間帯にしていつも同じ時間なのだが、季節は秋、仕事が終わる時間というと、そろそろ日が暮れかかる時間帯である。日ごとに日が暮れる時間が早くなってくることを実感していた。
 ベンチに座っている自分の影が毎日長くなってきている。まわりに植わっている木の影もしかりであるが、今は花も葉も落ちているが、その木が桜であることはすぐに分かった。
 達男がベンチに座るようになってからすぐに、正面の桜の木を下から見ている男がいるのに気がついた。男は桜の木を見上げながら佇んでいるだけで、何かを考えているようだが、微動だにすることもない仕草は、まわりの空気を凍らせているかのようにも見え、不気味だった。
 桜の木の形に見覚えがあった。
 桜の木の形など、どれもそれほど変わらないと思っていたが、達男の中にある桜の木はいつか友達の裕也と一緒に釣りに行った断崖で見た桜の木だった。
 子供心に断崖から下を覗いて、
――こんなところから落ちたらひとたまりもないな――
 と感じていた。そしてシルエットに浮かぶ桜の木がまるで墓碑銘のように写っていたことに気付いたのは、桜の木を見上げながら佇んでいる男の顔を横目に見た時だった。
――まるで生気を感じることができない――
作品名:短編集41(過去作品) 作家名:森本晃次