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短編集41(過去作品)

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 今度は夢を見ることはなかった。それどころか、不思議に感じていた意識はどこへやら、目覚めは悪いものではなく、すっきりしている。一度目覚めた時のような意識はなかったのだ。
 夢を見なかった時の目覚めは悪いものではないが、完全に目が覚めるまでに時間が掛かる。
 目覚めると汗を掻いている時は、たいてい夢を見たという意識が起こっているが、どんな夢を見たかまでハッキリと覚えていないことも多い。喉がカラカラに渇いているくせにトイレに行きたい状態になっていると、夢を見ていた証拠である。そんな時が、完全に目を覚ますまでに一番時間が掛かるのだった。
 高校、大学と、桜の木を見たことを忘れてしまっていた。夢で見ることはあったかも知れないが、起きてから覚えていない夢に属していたのだろう。
――何となく気になる夢だったな――
 相変わらず汗を掻いていて、喉がカラカラに渇いている時が何度かあった。そのほとんどが同じような夢を見ていたはずなので、おぼろげに覚えている。だが、完全に目を覚ましてしまうと夢の内容も忘れてしまうのが辛いところで、
――ひょっとして――
 と、思いを巡らして、
――見るとしたら、桜の木の夢しかないだろう――
 と思いながら目を覚ましたことは何度もあった。
 そこまで意識しているのに目を覚ますと完全に忘れているのも珍しい。目が覚めてから意識するということは、それだけ潜在意識の中に残っているのだから、目が覚めた時に見た夢を思い出してもおかしくないはずである。
――本当に不思議だ――
 と感じる。
 裕也と釣りをした夢、そして裕也の田舎でちょうどその時に開かれていた秋祭りに出かけたことなど夢で何度見たことか、それだけその時のことは意識していたはずである。
――確かに桜の木のことだけは、幻のように見えてはいたのだが――
 と感じる。断崖絶壁から見える水平線のことを夢に見ることはあっても桜の木を意識したことはまったく別の感情なのだろうか。もしそうだとすれば、自分の中にもう一人感受性の強い人がいて、夢を見ても起きている自分にそのことを悟られたくないという意識を持っているのかも知れない。
――そんなバカな――
 打ち消してみるが、完全に打ち消せないのは、自分が多重人格であることに気付いているからに違いない。
 もう一人の自分が、どこでどんな時に出てくるのか、ハッキリと分からないが、少なくとも鬱状態に陥る自分を感じることができるだけでも、もう一人の自分の存在を信じられる。
 鬱状態の自分が本当の自分なのだ。冷静に鬱状態に陥った自分を見ているもう一人の自分、そんな時、
――どちらが本当の自分なのだ?
 と考える。
 本当の自分のことを考えている自分そのものが、すでに本当の自分ではない。本当の自分は無意識にでも自分が本物であることを悟っている。だからもう一人の自分の存在を意識しながらでも、自分のことを疑ったりはしない。自分に対して少しでも疑問が湧いてくれば、その時の自分は、もう一人の自分が表に出てきている証拠なのだ。
 桜の木の下が斜めになっている。シルエットに浮かび上がっている桜の木は思ったよりも太い。実際に見たのは一瞬だったのだが、幻でなどあるはずはない。シルエットになっているだけで、記憶が曖昧なのは、本当に一瞬の記憶だけが夢を見させているからだ。
――細く長い記憶――
 起きてから覚えていない理由の一つはそこにもあるだろう。今までに感じた細く長い記憶は桜の木に凝縮されているに違いない。
――いつか夢に見ることだろう――
 高校、大学時代と見た夢の中に、実際に細く長い記憶もあったことだろう。桜の木だけではない。
――どこかで見たような――
 現実の世界でそう感じたことは夢で見たと思うのが一番自然だ。きっと細く長い記憶が夢となって現れ、目覚めると忘れてしまう中で、ふとした景色の偶然が、記憶を呼び起こすに違いない。
 それも見たとすれば小さい時の記憶だという意識があるにもかかわらず、
――まるで昨日のことのようだ――
 という感覚に襲われる、
 どちらも自分で感じた素直な意識である。間違いではないはずだ。ということは、細く長い記憶の糸が夢という形で繋がっていて、自分の意識の中で交錯しているに違いない。
 いや、それとももう一人の自分が現れて、意識を分散しているのだろうか? そのどちらもありうることなのかも知れない。現実の世界に偶然が重なれば、それは夢の世界で作られたものではないかとまで考える達男だった。
 その記憶もほとんどが、時々思い出す程度に過ぎなかったが、思い出す時には、きっと何か自分でも気付かないところで繋がっているのかも知れない。そういえば、思い出す時には必ず何かが起こっている。最近思い出した時には、祖母が亡くなった時だった。
「大往生なので、あまり悲しまなくてもいい」
 と父が言っていたが、まさしくその通りで、達男のまわりで迎えた初めての肉親の死だったにもかかわらず、
――まるで他人事のようだ――
 としか思えなかった。小さい頃にはおばあちゃん子で、おばあちゃんがいなければどうなっていたか分からないほど、いつも一緒だった。学校で一人でいても寂しくなかったのは、家に帰ればおばあちゃんがいると思っていたからだったが、そんなことは誰にも言えるはずもなく、友達からは、
「いつも一人で寂しいやつ。一体何が楽しいんだろう」
 と言われていた。
 おばあちゃんと一緒にいて一番楽しかったのは、おばあちゃんの田舎の話を聞いている時だった。行ったことはなかったが、いつも行っているように思えるのが楽しく、想像が一番楽しい時期でもあっただろう。
 おばあちゃんが亡くなって寂しくないはずはないが、まるで他人事のように思えたのは、おばあちゃんから聞かされた田舎の風景を自分で勝手に想像していた風景を思い出していたからだ。あれからかなりの月日が経っているにもかかわらずハッキリと思い出すことができるのは、無意識にでも定期的に田舎をイメージしていたからに違いない。
――時々思い出していたが、今回が一番鮮明に思い出せる――
 おばあちゃんから聞かされていた田舎の光景は、達男の潜在意識をくすぐって過去を近いものにしてしまっている。思い出そうとしなくとも、記憶の奥の封印が勝手に解けることで、意識が想像を掻き立てる。
「お前のスーツ姿が見れただけでもおばあちゃんは嬉しかったに違いないね」
 喪服に身を包んだ母が、そう言ってハンカチで目頭を押さえていた。睡眠不足と涙で目は充血し真っ赤になっていたが、意識だけはしっかりとしている。気丈な性格なだけにあまり普段は口を開かないが、病床のおばあちゃんをずっと看病してきた期間がそれだけ長かったことを熱くなった目頭が示している。
「病院の表に桜の木があるんだよ。花びらを見ているだけで、小さかった頃が思い出されて楽しい気分になれるのよ」
 おばあちゃんが一度退院を許された時に話していたことである。
作品名:短編集41(過去作品) 作家名:森本晃次