短編集41(過去作品)
先生はそう言っていたが、どう変えても同じ景色、同じ大きさ、目を瞑ってでも浮かんでくる景色は、想像通りである。
思い出すようになったのは最近である。綾子と知り合ってからか、知り合う前かどちらか定かではないが、小学生の頃をよく思い出すようになった。
綾子と知り合ったから思い出すのか、思い出すようになったから綾子と知り合えたのか、どちらにしても接点はありそうだ。
小学生の頃に好きだった女の子と親しかったのはそれほど長い期間ではなかった。竹下の方で気持ちが突然萎えたのである。恋愛感情などという言葉は大人になってから感じるものだと思っていた頃、ちょっとしたことで気が変わっても、それほど大きな問題ではなかった。
異性に興味を持ち始めたのが中学三年生の頃、すでにまわりは小学生の頃から異性に興味を持っていた連中が多い中、竹下に焦りはなかった。だが、異性に興味を持ち始めると、それまで異性に対して何にも感じなかった時期がもったいなくなり、言い知れぬ焦りのようなものが浮かんでくるようになる。
焦ってはいるが、性格的に冷静沈着に見られがちな竹下は、焦りを表に出さないようにと努力をしていたが、それが却ってぎこちなくなり、気持ちとのギャップに悩んでいたりした。
焦りが自分に自信を持たせないようにしていた。さらに一つのことに集中すれば、他が見えなくなる性格も災いする。
――自分を好きになってくれる女性なんていやしないさ――
と半ば開き直ったことすらあった。
――ひょっとしてあの女性は自分を好きなのかも知れない――
と感じても声を掛ける勇気はない。相手に声を掛けさせたいと思うのだが、それが追いかけられる者の悦びにも繋がっている。
綾子に感じているような思いを以前もしているはずなのに、その時のことが思い出せないのは、やはり自分に自信を持つことができなかったからだ。
女性を支配する気持ち、身体の中に快感が走りぬけるが、そのたびに静子の顔が思い浮かんでくる。
――静子を支配していたという意識はないのだが――
静子は妄想癖のある女性だった。普段から大人しく、従順なところはいいのだが、病的なところが気持ち悪く、心のどこかで避けていたのは否めない。
静子は追いかけるタイプでも追いかけられるタイプでもない。一人でいる時が一番シックリ来ているのではないかと思えるほど、他の女性と雰囲気が違っていた。そこがまた彼女の魅力で、他の女性にない落ち着きは妖艶さを醸し出しているかのようであった。
静子と付き合っている頃も、自分の独占欲が強いのを感じていた。それは、支配という言葉を思い浮かべた時、懐かしさのようなものを感じたからで、絶えず独占欲と支配という言葉は切っても切り離せない関係にあることを自覚していたからに違いない。
静子が本当に竹下のことをどこまで好きだったかということは、今となっては分からない。付き合っていた期間というのは、ほとんどが竹下からの話題提供で静子から話題を持ってくることはまずなかった。
「僕と話をしていて面白いかい?」
と聞き返すと、初めてニコリ笑うが、唯一見せるぎこちない笑顔であった。心の底から面白いかは別にして、面白いと感じていることは分かる。
静子はあまり自分の気持ちを表に出さない方だった。喜怒哀楽の激しい女性は疲れるだけだと豪語する友達もいたが、相手の表情から心境が把握できないのも疲れる。だが、それでもそのうちに相手の性格が分かるようになると信じて疑わないから楽しみもあるというものだ。
――なぜって? だって、自分にだけ心を開いてくれるからさ――
と自分に言い聞かせている竹下だった。なるほど、そういう理解の仕方もあるというものだ。誰にも心を開かない女性が心を開く相手が自分であれば、これほど嬉しいことはない。他の人の知らない彼女をまさに自分だけが知ることになるのだ。独占欲の強さあることを、そんなところから分かるというのも面白いものである。
静子となかなか別れないでいたのはそれが一番の理由だった。
――もう少しで彼女の心に近づくことができる――
そんな思いがいつの間にか芽生えていたのだ。
それって追いかける自分である。気付かないうちに相手を追いかけているのである。
――もしかすると、追いかけている自分が一番自分らしいのかも知れない――
と感じたのはその時だった。
病的なイメージが離れなかったのも事実だ。しかし、それも感覚が麻痺してくると同時に、自分にも移ったのではないかと感じたのも、まんざら気のせいでもあるまい。
――静子は本気で好きになってくれたんだ――
と思った時の感覚を思い出す。それは綾子にも同じ思いを感じたからだが、むしろそれを感じるのが早かったのは静子と付き合っていた時だったように思う。
静子と別れたのは、静子の方から別れを言い出したからだと思っていたが、最初に避け始めたのは、竹下だったように思う。
陰湿に追いかけられていると感じた竹下は、静子に対し冷たい態度をあらわにし始めたことを今さらながらに思い出した。それも自分が追いかけられるタイプだと気がついたから感じることで、気付かなければ自分が静子にフラれたと思い込んでいたことだろう。
――悪いことをしたな――
ずっと静子を恨んでいた。
相手の性格に染まりやすいタイプの竹下は、静子と付き合っていたことで、病的なほど神経質なところが伝染してしまったように思える。それも静子が悪いわけではないのに、恨みを深める原因になったことは確かだ。
そういえば一度喧嘩になって露骨に口走った。
「君のような病的に神経質な女性と、これ以上付き合っていられるか」
この言葉にはさすがに口走った後、ハッとして顔が真っ赤になった。しかし口から出てしまった以上どうしようもなく、喧嘩の最中に言い訳をするのが嫌だった竹下は相手が俯いて何も喋れなくなったのをいいことに、その場を立ち去ってしまった。その時の静子の心境は想像の域を超えているかも知れない。
その後、静子とは会っていない。忽然と姿を消してしまったのだ。これだけひどいことを言ってしまったのだからしばらくそっとしておこうと思ったのだが、それ以降、竹下の前に姿を現すことはなかった。
あえて探すこともしなかった。その気があれば静子から姿を見せると思ったからだ。だが現われない。そのうちに静子のことは忘れてしまった。
――熱しやすく冷めやすい――
これも竹下の性格である。本人としてはあまりありがたい性格ではない。付き合い始めは情熱的なのだが、どこか冷たいところが見えるのだろう。それ以降付き合った女性と長続きしなかったのも、この性格が起因しているに違いない。
――綾子とはそんな風になりたくないな――
と感じるのは、今度は最初から自分が追いかけられるタイプであることが分かっていて決して陰湿な雰囲気ではないことが、綾子と長く続くのではないかと思う気持ちの裏づけだった。
「あなたって何か魔力を持っているみたい。私、これほど人を好きになることなんて一度もなかったのに」
作品名:短編集41(過去作品) 作家名:森本晃次