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短編集41(過去作品)

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 綾子の表情が妖艶に歪んだ。
――あどけなさの中に時々ドキッと感じる虚ろな目――
 それが綾子と対面で話しての第一印象である。
 それから約束することもないのに、綾子と店で顔を合わせるようになった。三回目の時には他で会う約束も出来上がり、お互いに付き合っているという感覚を持ったはずだ。
 喫茶店が好きな竹下、ブティックなどの店が好きな綾子、お互いに行きたいところを尊重したデートになった。ブティックに付き合った後に寄る喫茶店、これがデートコースになった。
 喫茶店でお互いの顔を見合わせながらコーヒーを飲んでいると、綾子のあどけなさが満面に現われて嬉しくなってくる。そんな中で時折も見せる虚ろで妖艶な雰囲気にまたしてもドキッとさせられる。
――どうしてドキッとするんだろう――
 と考えたが、どうやら、綾子の次の言葉を楽しみにしている自分がいるようだ。
――綾子はもう自分の彼女なのだ――
 という思いが綾子に対して全面的に心を開いた自分、そして、そこに今までないと思っていた自分に対しての自分が燻ってることに気付いたのだ。
――綾子の口から出てくる次の言葉が楽しみで仕方がない――
 綾子を好きになったとすれば、それを感じた時だろう。竹下の期待している言葉が会話の中で次から次へと出てくる。当然、期待している言葉とは自分を褒める言葉であったり、お互いの気持ちが同じであることを再認識させてくれるような言葉だったりすることである。
――やはり二人は同じことを考えているんだ――
 そう思うことが恋愛の始まりなのだと痛感した。
 それまで付き合っていた相手にも同じことを求めていたはずである。しかしなかなかそこまで学生同士で行くのは難しかったことだろう。少なくとも竹下はその時に気付いていなかったのだ。だが、相手の女性は気付いていたかも知れない。
――どうりで自分から去っていった女性の気持ちが分からなかったはずだ――
 確かに同じことを考えているという気持ちがない限り、長く付き合っていくのは難しいだろう。
「あの人は自分のことだけしか考えていないんだわ」
 ということを相手に感じさせてしまっては、もうそこから先は歯車が噛み合わなくなるだけである。会話もぎこちなくなるだろうし、相手の顔を見ていると表情も変わって見えてくることだろう。
 そのことを気付かせてくれたのも綾子だった。
――この人となら長く付き合っていけるだろう――
 相手の顔を見ていてそう感じた。綾子にも同じ思いがあるのか、竹下を見る目が尊敬のまなざしに見えてくるのは、竹下自身、自分に自信が芽生えてきた証拠である。
――自信過剰になっているかも知れない――
 と感じた。
 しかし、竹下はそれでいいのだと感じている。なぜなら綾子を見ていて綺麗になってくるのを感じたからだ。
「女性っていうのは、本当に人を好きになると綺麗になっていくものだぞ」
 いつも二、三人の女性と付き合っているような友達に言われたことがある。いわゆるプレイボーイなのだが、彼に関してはいやらしさを感じない。普通、一人の女性との恋愛だけが美しい恋愛だと思いがちなのだが、彼の場合には自分の中にそれなりの信念を持っていて、女性がそれを分かった上で付き合っているように思える。
「やつは他にも女性がいるんだ。あんなやつと付き合うのはやめておけ」
 と注意してもしかるべきなのだろうが、それこそ愚の骨頂のように思えた。もしそんな忠告をしたものなら、
「何言ってるのよ。私は分かってて付き合っているの」
 という答えが返ってきそうだ。
 きっとそれが彼の性格から来るものなのだろう。役得という言葉だけで言い表せない何かがそこにある。それが男としての魅力に繋がったり、女性を引きつける魔力のようなものに違いない。
「要するに心と身体のバランスさ」
 と彼は豪語するが、男の竹下にはいまいちよく理解できなかった。
 だが、綾子と出会ってから彼が話していた言葉の一言一言が今になって思い出される。
「うんうん」
 と頷いて聞いていたが、上の空だった。ひょっとしてこの間までは忘れていたはずの言葉である。それを思い出すということは決して忘れていたのではなく、心の奥に封印していたに違いない。
――自分に関係ないことなんだ――
 という割り切りの元に心の奥に封印していた。そう考えると、綾子を見ていて次々に思い出されることで、自分に自信がよみがえってきた証拠のように思えて仕方がない。
 付き合っている女性が綺麗になってくるという基準はあくまでも自分の中での基準である。それまでに気付かなかったのは、自分に自信がなかったからである。自分に自信があれば相手の顔を見ていく中で、自分への気持ちがどのように変わってくるか分かるはずである。それが分からなかったということは、自分のことだけで精一杯で、相手を見る余裕のなさを痛感させられた。
――自信のない男を、そうそう女が好きになるということもないはずだな――
 今さらながらに別れていった女性の気持ちが分かってくる。
――あの頃にもう少し自分に自信があれば――
 と思わなくもないが、それは仕方がないことだ。今は自分の目の前で綺麗になっていく綾子を見つめていることが幸せなのだ。
――もっともっと自信過剰になっていきたい――
 と考えるようになっていった竹下だった。
 それでも、以前付き合った病的な女性である静子のことだけは頭から離れなかった。
――やっぱり心神喪失症だったのかな――
 自分に自信を持てるようになった竹下には、その時の彼女を思い出すと自分を見つめていた目が他の女性とはるかに違っていたことが気になってくる。きっと自信を回復していく自分の性格の中でネックになっているに違いない。
 それにしても静子のことだけは気になっていた。
 時々夢に見る。
 ドンヨリと鼠色に染まった空は、目の前に広がっている海との境目すら分からない。そこは断崖絶壁、少し足を踏み出すと、いつ海に落ちても不思議のないところである。
――どうしてこんなところにいるんだろう――
 そう思うのは自分が夢を見ているのが分かっている証拠である。案外夢を見ていて、自分が夢の世界に入り込んでいることを感じることの多い竹下だった。
 だが、夢だと分かっていても断崖絶壁に近づく気にはなれない。足が竦んでしまうのは夢であっても同じで一歩も踏み出すことができないのは、自分が臆病だからだと思っていた。
――怖いものを素直に怖いと言えるのも勇気なのかも知れない――
 と思っているが、言い訳のようでさすがに人に話したことはない。
 だが、自信を取り戻した今でもその気持ちは変わっていない。怖いものを怖いと言える勇気の存在は大きなものに違いない。
 風が強く前を見るのもままならない状態だったが、少し慣れてくると、目の前に誰かが立っているのを感じる。
 自分のいる場所でも怖いのに、さらに前にいるなど信じられない。信じられないだけに想像してしまうのも無理のないことで、そこまで来ればもう腰が抜ける寸前まで来ていた。
「危ないじゃないか」
作品名:短編集41(過去作品) 作家名:森本晃次