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リミット

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 ちょうど、漆市にあるホールに、オーケストラが招かれて、公演を行うことが、大々的に宣伝されていた時だった。幸一も理美から誘いがなかったら、本当は自分の方から誘おうと思っていたところだったのだ。
「もちろん、いいですよ。誘ってくれてありがとう」
 理美から誘われて、有頂天になっている幸一だった、
 今まで幸一はクラシックが好きだというわりには、コンサートに赴いたことは一度のなかった。
 一番の理由は、
「一緒にいく人がいなかった」
 というもので、一緒に行ってくれる人がいるのなら喜んで出かけられた。
 大学時代の友達に、クラシックに造詣の深いうやつがいたが、彼には彼女がいるので、一緒に行く相手には困っていなかった。彼女のいるやつを誘うほど野暮ではないし、見せつけられるのは、耐えられないと思っていた。
 そのうちに、
「コンサートなんて、別に行かなくてもいい」
 と思うようになっていた。まるでふてくされたような気持ちだったが、別に寂しいわけではないので、いじけているわけでもなかった。ただ、一人で行くというのも、
――わざわざ出かける――
 という感覚になり、あまり気持ちのいいものではなかった。
 気が付けば、二十五歳になっていたのだ。
 そんな時に一緒に行ってくれる人が現れたのは嬉しいことだった。しかも、一目惚れの相手、それまでに何度かデートはしたが、同じ趣味のものを楽しむということはなかったので、新鮮な気がした。
 今まで一度も行ったことのないコンサート、会場の音響は想像することはできないほどすごいものなのだろう。
「私は、何度かあるんですよ。でも、コンサートというのは本当にたまにしか行かなかったですね。もっとすごい音響で聞けましたからね」
 詳しくは聞かなかったが、理美は音響装置の立派なものを持っていたのだろう。それにしても、クラシックが好きな女性を今まで何人も見てきたが、ほとんど、皆似たような雰囲気の人が多いのは、同じ音楽でも、ジャンルが違えば、ここまで聴く人の種類も違っているのだろう。
――そういう意味では、僕などはどうなんだろう?
 他の人から見て、
「やはり、クラシックが好きなのが、雰囲気で分かる」
 と思われているのだろうか? それとも、
「クラシックを聴く人の雰囲気じゃないんじゃないかしら?」
 と思われているのだろうか?
 男性の場合は、クラシックを聴く友達は、二種類いた。
 女性と同じように落ち着いた雰囲気を持った人のパターンと、もう一つは、理屈っぽい人のパターンである。自分のことを分析してみたり、自分のことだけでは飽き足らず、人のことも分析してみる人だ。普通は人のことを分析する人はいるかも知れないが、先に自分のことを分析しようとする人は、幸一のまわりには珍しかった。
 幸一の場合は、どちらかというと、自分の分析をする方だった。しかし、自分の分析はしても、他の人の分析まではしようとしない。下手に相手を見つめてしまうと、露骨に嫌な顔をされる。それが嫌なのだ。
 待ちあわせはクラシックコンサートの会場の前ですることにした。その日、幸一は仕事が押していて、どうしても、待ちあわせると遅れてしまう可能性があったからだ。現地集合にしておけば、遅れても何とかなるという考えだったが、幸一は思ったよりも仕事が終わるのが早く、コンサート開始までに余裕のある時間に着くことができた。それでも客は結構いて、表のベンチには、座るスペースは残っていなかった。
「待った?」
 約束三十分前に、この場所に来ていたので、待つことは覚悟していたは、待ったのは十五分程度、予定の半分だった。
 だが、幸一は、待たされるとすれば、その程度だろうということは想像がついていた。理美は相手を待たせるようなことは決してしない性格だというのを分かっているからだ。
 それは、過去に待たされたことで、嫌な思いを経験した人でないと分からないものを感じているからに違いない。人から待たされることを知っている女性、それはきっと待っていた相手が男性だったのだろう。
 その人が理美にとって、どんな男性だったのか分からない。ただ、気になるのは、その人がその時に本当に理美の前に現れたのかどうかということだ。
 いくら待たされたとしても、その人が来てくれたのであれば、それまで待っていた疲れも一気に吹き飛ぶこともある。人によっては、待たされたことを忘れてしまう人もいるだろう。
 理美は、その人がもし来てくれたのだとすれば、それまで待った思いを忘れることができるか、あるいは、それすら楽しい思い出に変えることができる人だと思っている。
――理美の待ち人は、その時、来なかったんだろうな?
 と、幸一は感じた。
 理美はその時のことをショックに思っている。しかし、恨んでいるような感じではない。――来ないなら来ないで分かったいた?
 そう思えば納得できるところもある。
 理美の待ち人のことが、幸一には気になっていた。
 それが誰なのかということが気になるのではなく、幸一は、いつの間にか、自分が理美の待ち人になったような気がしていた。
――どうして、こんな気分になったんだろう?
 理美の待ち人は、決して理美を裏切ったわけではない。むしろ、本当に待ちあわせの約束をしていたのかどうかすら、怪しいと思っている。
 理美を疑っているわけではなく、理美が何か大きな妄想を抱いているのを感じるからである。待ちあわせた相手が理美にとってどんな立場の人だったのかということが気になっていた。
「彼氏? お兄さん? それとも、父親?」
 何となく、このあたりではないかと思えてならなかった。幸一が感じるのは、その中でも最後に浮かんできた「父親」だった。
 そんなことを考えていると、
――やっぱり理美にはお父さん、いないのかも知れないな――
 という思いが勝手に頭に浮かんできた。もちろん、根拠があるわけではないが、なぜか理美を見ていると、感じてくるものがあるのだ。
――父親がいないのは、母親と別れたから? それとも死別したのかな?
 普通はそのどちらかであろう。
 しかし、理美を見ている限り、そのどちらでもないように思えてならなかった。
 最初に感じたのは、死別だった。しかし、理美には父親と接した意識がなさそうだ。どこか甘え下手なところがあるのは、父親の愛情を知らないからだと思えてならなかった。幸一も父親に甘えるということがどういうことなのか、ハッキリと分かっているわけではない、どちらかというと、男の子は、父親に甘えるというよりも、母親の方を意識する。子供の頃は、別の異性の親に甘えるものだという意識が強かった。
 物心つく前に父親を亡くしたのだとすれば、もっと、父親に対して、漠然としていたとしても、
「愛してほしい」
 というような受動的な感覚が芽生えるものなのだろうと思っていた。
 しかし、理美に関しては、
「愛してほしい」
 という気持ち以外にも何か相手に与えたいという思いが含まれているように思えてならなかった。
 それは、どこか、母性的な発想であり、理美が、求めているのは父親であり、自分はまるで母親のような感覚すら持っているように思えて仕方がなかった。
作品名:リミット 作家名:森本晃次