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リミット

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 ドラマや映画の中でのタイムマシンは、ただの装置でしかなく、ストーリー展開上のただのエキストラでしかないのだ。イメージさえ浮かべればそれでいい。理美もそのことに言及するつもりはないし、言及したところで、意味はないと思っていた。
 ここで、パラドックスの中にもう一つの考え方として、「デジャブ現象」も関わってくる。
「デジャブ現象」については、ある程度の理解がなされてきて、解明されつつあるようだが、理美の考え方としては、帳尻合わせの考えだった。
 時間の流れは、どうしても無数の矛盾を孕んでいる。それを考え始めた時、頭の中を正常に戻そうとして働く作用が、「デジャブ現象」ではないかと思っていたのだ。
 パラドックスに対するデジャブは、その逆説を意識させないための一種の「副作用」のようなものではないだろうか。
 意識しているとすれば、それは薬と呼ぶことができるだろうが、無意識であれば、それは元々の矛盾に対しての「副作用」
 そう思うことが、「デジャブ現象」を理解する一番の考えではないだろうか。
 過去に戻って親を殺すことは不可能だということは、「親殺しのパラドックス」を考案した人には百も承知のことだろう。これも映画製作における、タイムマシンの発想と同じで、分かりやすいようにたとえているだけである。
 そういう意味でいけば、時間に対する「パラドックス」、「パラレルワールド」、「デジャブ現象」などの考え方には、何か喩えとなる発想がなければ説明できないということになる。「パラドックス」が矛盾の塊であるという発想になるのではないからだろうか?
 パラドックスやパラレルワールドという発想は、今に始まったことではない。むしろ、後の方が、今よりもっと高度な発想を持っていたのかも知れないと思っていた。
 誰もが夢のような発想だとして、興味を持っているのは認めるが、開発ともなると、それに伴う予算が果たして捻出できるかということである。
 あまりにも夢のような話であり、現実化を考えると、可能性がどれほどのものかを考えると、そんなものに金を出すものもいないだろう。
 国家予算にしても、科学技術の世界に、そこまで金を使えるはずもなく、現実的にありえない。
 そうなると、発想が実現化されることもなく、発想として、個人の頭の中に存在しているだけか、形に残っていたとしても、それは私物のノートとして残っているだけだろう。
 エジソンやアインシュタインなどのような偉人たちであればともかく、一介の科学者気取りの人間の私物など、本人がいなくなれば、すぐに葬られる運命であった。
 それを思うと、理美は、
――今自分が考えていることなど、過去のたくさんの人が考えてきたことなんだろうな――
 と、思うようになっていた。
 そして、
――過去というのもまんざらでもない――
 と思うようになったのは、その時が最初だったのだ。
 そう、理美は近未来の世界で、過去に思いを寄せる、一人の女の子だったのだ。
 理美が、どういうきっかけでタイムマシンを持つことになり、そして、タイムマシンの使い方も熟知できるようになったのかというのも、実は興味部会ところであった。
 理美の世界でも、実は、まだタイムマシンの研究は水面下では密かに行われていた。それは、幸一の世界でも同じで、さらに過去に遡っても同じことだった。つまりは、
「タイムマシンの研究は、パラドックスを中心に考えられるデジャブなどの副作用を含めたところでの考えが、ある程度解決しないと先に進まない」
 ということが、その時代時代の科学者の間での暗黙の了解になっていたのだ。
 理美がまだ中学生だった頃、学校からの帰り道、一人の男性が蹲っているのが見えた。近未来と言っても、幸一の時代から比べて、さほど科学が進歩しているわけではなかった。街並みや流行はかなり変わっているが、それは、今までの歴史の流れを考えれば。ただその延長だったというだけに過ぎないだろう。
 そのわりに人の考え方は複雑になる社会状況に反比例するかのように、どんどん単純になっていくようだった。それは、成長する日本が、昭和から平成に掛けての時代を超えてきた時と、実によく似ている。
 理美が見つけたその男性。年は二十歳前後だっただろうか。非常に疲れているようで、外傷もないのに、まるで虫の息のように感じる。
 息切れしているが、消え入りそうな声だった。理美は、とりあえず家に連れて帰った。ちょうどその時、家には両親はおらず、兄弟もいない理美は、その日、家には一人だったのだ。
 理美は、小学生の頃を思い出していた。
 まだ二年生くらいの頃だっただろうか。捨て猫がいるのを見かけて、家に連れて帰ってきた。母親に、
「この子捨てられていたの。可哀そうでしょう? 飼ってあげましょうよ」
 と言った。
 理美とすれば、
――私は、こんなに優しい娘なんだよ――
 ということを、無意識にアピールしていた。
 そんなことは母親には分からないだろうが、きっと母親も、
「可哀そうね」
 と言って、飼うことを承諾してくれると思った。
 しかし、実際には、
「捨ててらっしゃい」
 と、言われ、
「えっ」
 そう言われてショックを受けた理美は。そこから先は何も言い返せなくなった。急に母親が鬼に見えてきたのも事実で、そんな親に逆らうことのできない自分を情けなくも思えた。
 結局猫を捨てに行くことになったのだが、猫を捨てに行く時の情けなさを、今でも忘れることができなかった。
 それはまるで自分が捨てられたような心境である。
――どうして? 私の何が悪いっていうの?
 母親にはきっと理美が最初に考えた気持ちが分かったのだろう。猫を拾ってきたのも、ただの同情と、自己満足を満たすため……。
 今では、何となく分かってきたが、小学二年生の女の子に分かるはずもない。もちろん、親を憎んだし、そんな親のいうことに逆らえない自分が情けなく思うだけだった。
――親と言っても、他人なんじゃないかしら?
 と思うようになっていた。
 そのうちに、
――この人たちは、本当に私の親なのかしら?
 と思うようになったが、まだその時は、この時代の「ダミー人間」に対しての研究が極秘裏に進められていて、実験が密かに行われていたことを知る由もなかったのだ。
 理美が「拾ってきた」行き倒れになった人は、極度に憔悴していたが、食事を与えて、風呂に入らせると、かなり回復したようだった。
「お兄さんは、どこから来たんですか?」
 理美は、声を掛けてみた。
「俺は未来から来たんだ」
「えっ」
 理美の声のトーンが急に下がった。明らかに相手に対して怯えを感じさせるもので、理美にとって、未来という言葉を他人から聞いた初めての言葉だったような気がした。
 ひょっとしたら、今までにも未来という言葉を聞いたことがあったかも知れないが、言葉の重さが違っていた。言葉の重さが違っていることで、意味まで違って感じられることもあるのだということを感じたのも、その時が最初だった。
 理美は、言葉を失ったが、頭の中で、
「未来」
 という言葉を反復していた。
「未来というのは、一体いつの?」
作品名:リミット 作家名:森本晃次