小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

リミット

INDEX|18ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

 幸一が気にしている理美の一番の違いは、雰囲気だった。それ以外の理美も、以前の理美と違っているところが多く、料理など前はしようとしなかったのに、今では自分から積極的に作り、しかも味も一級品だった。
「これ美味いよ。こんなに料理が上手だったなんて言ってくれれば、今までもお願いしたのに」
 というと、理美は照れていた。
「ありがとうございます。前から料理は好きだったんですけど、お口に合うものを作れるかどうか自信がなかったんですよ」
 という理美を制して、
「いやいや、これだけできれば立派なものだよ」
 と言いながら、確かにどうしてこれだけ上手なら、料理をしてみようと思わなかったのか、遅かれ早かれいずれ作ろうと思っていたのなら、もっと早い時期でもよかったはずではないだろうか。
 エプロン姿で、台所に立っている理美の後ろ姿は、大人の女性を思わせた。
――前にも見たことがあるような気がするな。母親の後ろ姿? いやいやそんなことはない。あれは子供の頃の記憶だ。見たことがあるような気がしているのは、もっと最近のことで、目を瞑れば出てくる思い浮かぶほどだった――
 確かに、記憶というのは曖昧なもので、本当は、子供の頃の記憶であっても、つい最近の記憶のように思えたり、本当はつい最近のことだったのに、意識としては、かなり昔の記憶のように感じているものもある、どちらも自分の中に存在しているのだが、そのどちらにも法則性のようなものが存在しているのだろうか。
 たとえば、ずっと昔のことでも、その間に、ちょっとでも似たようなことが一度もなかった場合。あるいは逆に、つい最近のことでも、頻繁に似たようなことを意識しているとすれば、意識はかなり昔だったとしても不思議はない。それは必死に思い出そうとしなくても、手を伸ばせば届きそうな距離なのに、その間に似たような記憶がハードルとして立ち塞がっているために、ハードルにばかり気が行っているからなのかも知れない。
――人は、安易に考えている時ほど、困難なことが目の前に存在していれば、いくら自分には関係のないことだとしても、必要以上に意識してしまうものではないだろうか?
 それは、ことわざにある、
「好事魔多し」
 という意識が働く、要するに、安心している時ほど、余計なことを考えてしまい、ありもしない落とし穴に溺れてしまうことがあるからだ。いくら百戦錬磨の格闘家でも、試合の前にデリケートになるのと一緒で、人間にはデリカシーが存在する。だから、近い過去のことでも、かなり以前に考えてしまったりするのだろう。
 逆に似たようなことが一度もなければ、慎重にならざる負えなくなる。そうなると、真剣に考えようとする意識が働き、その作用が、考えている人の不安感を解消しようとするだろう。
 そうなると、どんなに以前のことであっても、その時のことを思い浮かべると、自分以外の光景が思い出されてくる。それだけ集中して真剣に思い出そうとするからだ。
 近い過去を思い出すことには安易な考えがあることで、思い出すこと一点しか思い出せないことも不安を募らせる要因になっていた。
 人間の心理とは、そんな曖昧なものである。
 心理は感情に左右されやすく、本人が、
「心理の錯覚」
 を自覚できるかどうかが、過去の記憶を曖昧さから鮮明さにできるかどうかの問題でもあるだろう。
 エプロン姿の理美の姿を、つい最近のように思えるのは、やはり真剣に感じた思いであり、さらに、似たような光景をほとんど見たことがないからだろう。
 理美は、鼻歌を歌っているようだ。心地よい適度の高さのオクターブが、幸一の耳を擽る。思わず後ろから抱き付きたくなるような衝動を何とか抑えながら、理美の後ろ姿を穴の空くほど眺めていた。
――気付かないのかな?
 これだけ熱い視線を浴びせているつもりでいるのに、まったく気付く気配がない。
――おかしい――
 またしても、幸一の頭の中で異変を感じる時の回路が働き始めた。この回路が働き始めた時だけ、頭の中のどの部分が動き始めたのか分かるのだった。
――幻を見ているのではないだろうか?
 そう思うと、遠い昔だったはずなのに、ごく最近のことのように見えていたその時の光景も、今から思えば、錯覚だったのかも知れないと考えるようになっていた。
 どうしてそれが子供の頃の記憶だったのかというと、あの時自分は立ちすくんで見ていた記憶があるからだ。そして目線が見上げていたこと、その二つに一致することは、まだ背が低かった子供の頃だったという結論しかないではないか。
 そして、今感じているのは、その時に見たと思っていたエプロン姿の女性の姿も、錯覚だったのではないかということである。
――エプロン姿の女性の姿。本当は一度も見たことがなかったのではないか?
 と感じた時、思いついたのが、デジャブ現象であった。
「前にも似たような光景を見たことがある」
 これは、今回感じた、
「以前にも見た記憶があるが、つい最近だったように思うのに、実際はかなり昔の記憶だった」
 という曖昧な記憶に繋がってくる。
 エプロン姿は幸一にとって、印象深いものだったに違いない。だから、見てもいないもの、錯覚だったものを、
――以前に見たことがある――
 と勘違いしたのだろう。
 そう思ってくると、この感覚こそが、デジャブの証明になるのではないだろうか?
 そこで意識として考えられるのが、潜在意識の存在である。
 潜在意識は、誰もが持っているもので。本能のように自分の意志を凌駕するものなのかも知れない。
「夢というのは、潜在意識が見せるものだ」
 という人がいるが、幸一も同じ意見である。
 夢を見ている時のことは目が覚めるにしたがって忘れてしまう。それは、それぞれに世界が違うからだとも言えるかも知れないが、本能が見せるものだとすれば、想像力も、本能から培われるものではないかと感じるようになった。
 デジャブ現象を、
――感覚の辻褄を合わせるために考えられた、その人の本能ではないか――
 と、幸一は考えたことがあったが、今回のエプロン姿の後ろ姿を見ているうちに感じるのだった。
 エプロン姿の理美は、後ろ姿だから、誰にでも見えるという感覚もある。しかし、逆にこの意識が頭に焼き付いているために、誰かのエプロン姿の後ろ姿を見たとしても、それは理美だと最初に感じないとウソだと思う。
 そんなことを考えながら、ウットリとしていると、
「どうしたの?」
 という声が、どこからともなく聞こえてきた。声は確かに理美の声であるが、目の前で向こうを向いている理美の声だとは思えない。
――一体どこから聞こえるんだろう?
 とキョロキョロしていると、いつの間にか、こちらを向いている理美と目が合ってしまった。
「本当にどうしたの?」
 声は間違いなく、同一人物だ。それなのに、明らかに目の前の理美からではなかったような気がする。
――そういえば、電子音は、その特性上、どこから発せられた音なのか、分からないという話を聞いたことがあったな――
 目覚まし時計などのような音は、少し離れれば、正反対の方向から聞こえてきたような錯覚に陥ることがある。
――疲れているのかな?
作品名:リミット 作家名:森本晃次