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短編集40(過去作品)

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 甘えた声は従順さを示していたが、それでも本心を探ることはできない。一度抱いてしまえば心を許し、全幅の信頼が生まれると思ったがそこまでは行かないようだ。
 名前で呼びたかったと言った時に甘えたような声で、
「あなたのことを好きになったみたい……」
 これが和江にとって精一杯の本心なのかも知れない。その言葉を聞いた中島はそれだけで十分だった。征服感のような気持ちが包まれている気持ちを刺激して、興奮が最高潮に達した。気がつけば、和江を思い切り抱きしめ、二度目の絶頂を迎えていた。それは最初の絶頂とは違うもので、今まで想像していた絶頂感ともまったく違うものだ。
 自分が男であることを本当に実感した。もちろん、和江と二人きりでのデートでは、自分が男だという意識の元にエスコートしたつもりだが、あくまでも、それは自分を紳士だと思っての行動である。
 だが、男であることを実感し迎えた絶頂の後に訪れた気だるさの中で感じたのは、決して交わることのない平行線だった。
 お互いにすべてを知ったはずだった。だが、すすきの穂の中で和江を見つけることができないのも事実、きっと和江もすすきの穂の中から、中島を見つけることはできないだろう。
――性格的な平行線は、満たされた身体とは一線を画したものに違いない――
 と感じたのは、あまりにも身体の相性がピッタリだったからだ。実に皮肉なものである・
「あなたと離れられそうにもないわ」
 和江の甘えたような声に欲情を感じたが、
――どこかが違う――
 と感じたのも事実。想像していた和江とは少し違っていた。
「私、きっと人に服従したいっていう感覚が強いのかも知れないわ。強い力で満たされているという気持ちを感じた時にだけ感じるのよ」
 和江の魅力はこの二面性にある。本心を決して表に出さない和江だが、この言葉だけは本音に違いない。
――二面性を持つ和江の一面――
 和江に自分の中にあるもう一人の自分に気付かせたのは、中島だったのだ。
 和江とは他の人から見れば普通のカップルに見えるだろうが、一面では一線を画した付き合いであり、もう一面では中島に従順な妖艶さを見せる和江の姿がそこにはあった。もちろん、誰にも分かるはずはないだろう。
 和江との付き合いが自然な付き合いだと感じ始めた頃、新入社員が入社してきた。
 名前を柴田というが、彼を見た瞬間、ドキッとしたものを中島は感じた。
 驚いたことに、その感覚は和江にもあったようで、
「柴田さんって、他の人とはあまりにも違いすぎるのよ」
「どう違うんだい?」
 和江の口から出てくる言葉が少し怖かった。戸惑いながら話す和江は、言葉を選びながら考えて話しているようだが、それでもかなり露骨に聞こえるに違いない。
「次第に気になってきて、存在が大きく感じられるの。きっとあなたという人間を私が知り尽くしているからに違いないわ」
――やはり――
 和江も感じているのだ。柴田という男が、中島の雰囲気にそっくりであることを。
 顔が似ているとか、性格が似ているとかいうわけではなさそうだ。むしろ顔や性格は違う部類に入るだろう。だが、身体から醸し出されるオーラが中島に似ている。中島という男を意識していない限り、そのことに気付く人はいないだろう。そういう意味で、和江と中島本人にだけ分かるというのは当たり前のことである。
 中島は、それだけ自分のことを意識している。そのことを柴田の出現によって改めて実感させられた。
――見ているだけでイライラしてくる――
 これが中島の実感だった。元々自分の性格は、分かってもらえる人は少ないだろうと思っていただけに、それ以外の人は、その他大勢として意識しないようにしていた。自分を分かってもらえない人にまで媚を売ったり、分かってもらおうという努力が無駄なことだと思っているからだ。
――元々分かりやすい性格なので、そこが嫌という人も多いに違いない――
 きっと敵も多いことだろう。それも十分に分かっていた。
 自分に似た性格の人を見ると、イライラしてくる人と、冷静に分析できる人がいるだろう。中島の場合は前者で、自分の嫌なところを自分で認識しているからだと思っている。だがその性格を変えようとは思わない。
――人に何と言われようともこれが自分の性格――
 だが、同じ性格の人がいれば、それだけで許せないのだ。
 何ともわがままな性格なのだが、人それぞれ性格は違うものだと思っているからこその考えで、まるで指紋やDNAと同じものである。
 目の前に鏡が置いてあって、そこに写っている自分を見ているようだ。そう思うと、彼の存在を自然と許せるようになってくる自分を感じる。
――同じ空間に、鏡に写った自分が存在しているようだ――
 と思ったとしても、それは奇妙な考えで、とても承服できるものではない。どんなに似ていても同じ空間に存在している以上、自分ではないということの証拠なのだ。
 中島は彼の気持ちが手に取るように分かる。分かるだけにイライラするのだが、それを抑えるために、
――同じ空間に、鏡に写った自分が存在しているようだ――
 と思うようになった。
 まるで堂々巡りをしているようだ。
 しばらくすると、和江の態度が明らかに変わってきた。
「私、自分が分からなくなってきたの。誰が好きなのか分からないのよ」
「柴田のことかい?」
「ええ、ひょっとしてあの人に出会うためにあなたに惹かれたんじゃないかって思うくらいなの」
 和江は強い力で満たされたいと言った。中島にその力があるかどうか、当初から不安であった。確かに和江を好きであるが、強い力で引っ張っていくほど、彼女に集中していなかっただろう。一つのことに集中すると、他のことが見えなくなる中島、特に自分のこととなるとなおさらだ。
 中島は自分のことに集中する時間を一番大切にしている。その時間があるからこそ、和江を好きでいられる時間が存在するのだ。自分があくまで中心で、
――自分なくして、どうして他人のことを思えるというのだ――
 と考えている。
 もし和江のことを第一に考える人が現れたらきっと和江の心を自分だけに引きつけておくことができないことは分かりきっていた。
「そうか、君の気持ちに任せるよ」
 彼女の告白は考え抜いてのことだということが分かっているだけに、もはや中島にはどうすることもできない。
 そういった時に見せた和江の何とも言えないような表情が印象的だった。
「ええ、分かったわ……。短い間だったけど……、ありがとう」
 言葉はゆっくりと、しかし言い終わった後、踵を返して立ち去るまでの早かったこと、しばらくその後姿を見送っていた中島だった。
――これでいいんだ。やっぱり俺は自分中心にしか生きられないんだ――
 という思いでいっぱいになっていた。
 鏡の前に立ってみる。
――そんなに似ていないのにな――
 柴田と似ているわけもない姿を見つめていたが、見れば見るほど柴田の表情に似てくる自分が気持ち悪くなり、思わず鏡から顔を逸らした。まるで鏡の世界にいるもう一人の自分に吸い寄せられていくような気分だった。
 鏡の中の中島が無邪気に笑っている。その表情のすぐ横にいるのは和江だった。
作品名:短編集40(過去作品) 作家名:森本晃次