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短編集40(過去作品)

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三姉妹



                  三姉妹


 箱崎陽一が小さい頃に住んでいた街は、近くに工場のあるような都会だった。少しは離れたところに新興住宅街ができつつあって、区画整理も進んでいた。工場による街の景気も公害によるイメージダウンもあってか、少しずつ行政が、
――クリーンな街づくり――
 を前面に掲げた行政運営を行おうとしていたのである。
 それでも小学生の頃までは、工場の排気ガスによる自然破壊が公然と行われていて、体調を崩す者が後を絶たない。全国的にも公害問題として有名な街になっていたのは事実だった。
 ゴムの臭いの似合う街に住んでいるわりには、子供たちは元気だった。車や鉄屑が放置されているような空き地はところどころにあり、その近くにあるアパートに住んでいる人たちは決して暮らしの楽な人たちではない。
 いわゆるその日暮らしの日雇い人夫と言われるような人たちの住まいである。そんなアパートに陽一は住んでいた。
 父親は、現場監督をしていた。頑固が売りのような父親だったが、曲がったことが大嫌いという男っ気を感じる人で、現場で働く人たちとよく呑みに行っていたものだ。母もそんな父に逆らうことなく、いかにも内助の功を見せていた。時々近くのスーパーでアルバイトをしていたりしたが、子供の世話を怠るような母親ではなかった。現在の、子供を置き去りにするような親に爪の垢を煎じて飲ませたいものだと思えるくらいだ。
 西日の差し込む部屋は、夏の暑さに耐えられるものではなかった。じっと部屋にいるくらいなら、表で友達と遊んでいる方がいい。
 夏の暑い時期に、汗と泥にまみれるような遊び方をしていた。汗が身体に纏わりつくせいで、遊び疲れて座っている時など吹いてくる風が気持ちいい。悪臭とベタベタとが絡みつく中での唯一の休息だった。
 今のようにクーラーが各家庭に普及している時代でもない、扇風機の風もあまり暑すぎると却って生暖かく感じられ、苦しいくらいだ。風鈴の音だけが癒された気分になっていたのを思い出す。
 子供の頃というのは、自分の住んでいるごく狭い範囲が世の中すべてだと思い込んでしまうものだ。少しずつ学年が上がっていくと行動範囲も広くなり、知らなかった世界を知って驚愕することもある。
 あれは、三年生の夏だっただろう。三年生というと今から思えば自分のしていることがハッキリと認識できない頃ではなかったか。
――先生が言うから、親がいうから――
 いい悪いの判断などそこにはなく、まわりの人のいうことだけを聞いていればよかった頃である。
 もちろん、そこには優先順位は存在する。しかし、その優先順位もハッキリとしたものではなく、親と学校の先生のどちらの言うことを聞けばいいのかなど、考えても分からなかった。
――最初に言った人の言葉がすべて正しいんだ――
 という一言に尽きるだろう。
 そんな少年だった陽一は、素直ではなかった。小学生高学年くらいになると、人のいうことを聞いているつもりでも、どこかで逆らっているのが見えるのか、
「お前はあまり言うことを聞かない」
 と言われても言い返せないくらいで、それだけにまるで認めたように思われてしまう。しかし違うのだ。自分で理解できないことはいくら言われても心のどこかで逆らってしまうのだ。言うことを聞いているつもりでも、
――どうしてこんなことをしなければいけないんだ――
 という自問自答を繰り返すことで、却って言われたことに対して返答できなくなる。
――皆、自分より考え方がしっかりしているんだ――
 というのが頭の根底にあり、それはきっと何をするにも悩んでいるのは自分だけだという考えがあるからに違いない。
 当然友達と遊んでいても会話は少ない。皆頭の中で自分のことが整理できていると思っているから、何かを言おうとしても、敵うわけがないと思っているからだ。実際に子供のくせに理屈っぽい友達が多かった。類は友を呼ぶという言葉ではないが、同じような性格の人が仲良くなるのも頷ける。
 そのうちに皆がその意見を聞きたくなる日がやってくることを信じて疑わなかった。
 自分が変わり者だという意識はあったが、それも、
――他の人にはない、いいところがあるんだ――
 と思っていたからだ。一歩間違えれば自惚れと言われかねないその思いを、誰にも言わず自分の中だけにしまいこんでいた。
 そんな少年時代を過ごしていた頃の小学三年生というのは、まだ自分に他の人にないいいところがあるという考えを持つ以前の頃だった。変わり者だと思いながらも、何が人と違うのかすら分かっていなかった。
 先生や親の言うことをちゃんと聞くいい子というレッテルを貼られて嬉しいと感じてはいたが、そこに何の自分にとっていいことがあるのかという疑問も少なからずあった。
「自慢の息子」
 と言われていたのは、その頃までだったかも知れない。それ以降は、
「親のいうことを聞かない子供」
 と言われるようになったようだが、何を基準に言われているのか分からない。別に逆らっているわけでもないのに、
――何を理不尽な――
 というのを大人になってから感じた。
 その頃にも理不尽だと思ったのだろうが、親には逆らえないものだという先入観があるので、逆らうなどという気は毛頭なかった。それなのに、逆らっているように言われるのは心外で、それでも自己主張をしないのは、それだけ自分に自信がなかったからだろう。
 そんな中途半端な気持ちを抱いている子供がどれほど精神的に不安定だったか、今から思い出しても、孤独感に満ち溢れていたのを思い出すことができる。中学に入って友達ができるまでは、いつも何かに怯え、そして人を信じることをしなかった子供だったのだ。
 大人に憧れながら、大人を毛嫌いするところがあった。親に対して逆らうようになった小学生高学年、わざと怒らせてみて反応を見ていた。怒られて、まるで自分が悲劇のヒーローであるかのように思えていたのは、それだけひねくれていたからかも知れない。
 そのくせ負けん気が強かった。どこに負けん気を使っていいのか分からずに、逆らってばかりの毎日、親にはどのように映っただろう。小学生らしからぬ子供だった。
 しかし、今でも親には逆らってしまう。違う考えを押し付けようとするのは、育った次代が違うからだろうか。大人の定規で子供を計られても、元々の長さが違うのだからどうしようもない。
――親にだって、大人に逆らいたい子供時代があったはずだ――
 と思いながら、どうして忘れてしまったのだろうと感じると、自分も大人になるのが嫌になってくる。それが小学生高学年の頃の自分だったのだ。
 小学三年生になった頃から、少し行動範囲が広がってきた。それまで気付かなかったことも気付くようになり、街のはずれにいけば、裕福な家が多いことに気付いたのも、その頃だった。
 少し小高くなった丘の上に裕福な家が並んでいる。きっと工場で利益を得た社長クラスの家が多かったのだろうが、一般庶民には近づくこともできないような雰囲気があったに違いない。まるで昔の地主と小作、貧富の差が激しかったことは学校で習うが、まさか昭和の時代にそんなことがあるなど、子供心では想像もつかなかった。
作品名:短編集40(過去作品) 作家名:森本晃次