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短編集40(過去作品)

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 次の日には、父と一緒に出かけたが、父は母から状況を聞いていたので、準備だけは済ませていたようだ。翌朝の新幹線に乗り込むと、昼過ぎには田舎につける。
 その足ですぐに病院へ向うと、すでに危篤状態で、話ができる状態ではなかった。さすがにその時は石田氏もつらかった。
――一言でも話ができればいいのに――
 という思いも虚しく、それから一時間後に亡くなった。八十五歳という大往生である。
 しばらく悲しみの輪に包まれていたが、それも夕方にはすでに両親は忙しく動き回っていた。むしろサバサバした表情さえ見受けられる。
「寿命を全うしたんだから、後は明るく送ってあげましょう」
 ということなのだ。
 不思議と石田氏も悲しくはなかった。
――身内の死というのが、これほど悲しくないものだなんて――
 不思議な気がした。テレビドラマなどで、人が死ぬシーンをよく見るが、恋人の死に立ち会う人の悲しみの方がよほど辛く感じられるのはなぜだろう。それまでにある程度の覚悟のようなものがあったからだろうか。そう考えれば、辻褄が合わないわけでもない。
「大往生なんだから、そんな悲しむことはないんだ。お酒でも呑みながら皆で騒いで送り出してあげるというのが通夜というものだよ」
 と話していた。
 なるほど、悲しんでいる人はほとんどいない。皆生前の祖母の話に花を咲かせることで、故人を偲んでいるのだ。悲壮感を漂わせる必要など何もない。
 これが病気だったらどうだろう? 確かに亡くなった時は悲しみに暮れているかも知れないが、一夜明ければ故人にとって近い親族は、喪主として多忙になる。悲しんでばかりはいられない。一緒に住んでいなかったことも悲しみを麻痺させる原因なのだろうが、この際それはあまり関係ない。
 石田氏にとって、他人の死だと思えることが、死を敏感に感じることができる要因のようだ。身近な人の死だと思うとこの能力は発揮できない。それは意識してはいけないということに繋がる。
 それからしばらくして、最愛の恋人を事故で亡くした。この時はさすがに参ってしまった。何しろ自分の人生を左右すると思っていた、ある意味肉親よりも近しい仲である。
 海外旅行に行くといって出かけたのが一月前、まるで昨日のことのようだ。まだ、彼女の部屋にいけば、荷物はそのままにしてあるらしい。親が信じられないといって片付けようとしないのだ。
 その部屋に入れるのは、両親と石田氏だけ、石田氏は彼女の親から全幅の信頼を寄せられていた。結婚への障害は何もなかったのである。
「清隆君、人の人生なんて分からないものだね」
 彼女の父親が、落ち着いてから呑みに連れて行ってもらった時に、呟いた一言だった。
 父親のことを「親父さん」と呼ぶほどに親しくなっていたのだ。彼女の父親として接する時もあれば、人生の先輩として接することもある。先輩として話を聞いていると、本当にためになることも多く、信頼という言葉を今さらのように思い出させてくる存在であった。
 石田氏はどう答えていいか分からずに戸惑っていたが、すべてを分かっていて包み込んでくれそうな笑顔を石田氏に向けた。
「父親なんてこんなものだよ。娘の死だというのに、なぜか悲しくないんだよね。それどころか、今でも大きな声で「ただいま」って帰ってくるのを待っているバカな人間なんだよね」
 身近な人の死ほど、感覚が麻痺するのは石田氏だけではないのかも知れない。
「そんな、バカなんてことはありませんよ。僕も信じられないんですよ。一体僕たちが何をしたんだって言いたいですね」
「そうだね。でも不謹慎かも知れないけど、何だか娘の死が分かっていたように思うんだが、こんな気持ちって、分かってしまってから考えるからなのかも知れないね」
「えっ?」
 彼女の父親も他人の死が分かるというのだろうか。
「いやあね、きっと死を受け入れられない気持ちで、感覚が麻痺してしまいそうな大きなショックを和らげようと無意識に感じていることだと思っているだけなんだけどね」
 防衛本能のようなものが働くのだろう。考えたことを何とか自分の中で理解させ、その上正当化させようと思っているからそんな気持ちになるのかも知れない。
 石田氏にはそれが我慢なのか、本当にそんな気分になっているのか分からない。生きている自分から見れば後者の方がまだ幸いに思える。死んでしまった彼女にしても、自分と同じことを思っているのだと思いたい。人間にとって人の死がどういう影響を及ぼすのか分からないが、少なくとも神聖なものであり、避けては通れないものであることには間違いない。それだけにいつまでも悲しんではいられないと感じた。
 悲しい時に一番安らぎを感じる時間は寝る前である。逆に一番辛いのは起きた時、夢の中への現実逃避がいいことなのか悪いことなのか分からないが、それを否定するにはあまりにも酷ではないだろうか。
 石田氏はその日、日本酒を呑んでいた。普段からビールが苦手なために呑む時は日本酒が多い。日本酒を呑むと鼻の通りがよくなるからだろう。焼き鳥の味がとてもおいしく感じられる。
 そういえば一緒に彼女と呑む時は、いつも熱燗だった。お酌をしてくれるのがありがたいのもあるが、それよりすぐに鼻の通りがよくなることが嬉しかった。
 そばにいて感じる彼女の匂い。ほのかに感じるオンナの色香を真っ赤になった目が見つめている。妖艶さを彼女に感じる一番至福な時間であった。
 その日も親父さんと一緒に呑んでいて、鼻の通りがよくなってくるのを感じていると、彼女がそばにいるような錯覚に陥る。
――かなり酔っているな――
 と自分でも感じるほどで、喧騒とした居酒屋の雰囲気が、耳の奥に封印されるかのように耳鳴りとなって吸い込まれていく。
 呑み始めてどれくらい経ったのだろうか。いきなり酔いがまわってくるのはいつものことである。
 その日も、意識が朦朧としてくるのと同時に一気に回ってきたことを感じていたが、彼女の死をあまり意識していなかったにしても、さすがに答えているのか、酔いのまわりが早いのは心労から来ているに違いない。精神的な疲れに加えて、気心の知れた親父さんとのお酒に安心感も手伝ってか、酔いが一気に回ってきたようだ。
「おいしいお酒を久しぶりに呑んだ気がします」
 男性と酒を酌み交わすのは本当に久しぶりだった。結婚を控えていただけに、いつもそばにいたのは彼女だった。アルコール自体葬式以来で、あの時はほとんど呑んでいなかった。喉を通らなかったのだ。
 とにかく喉が渇いていた。水やお茶ばかりを飲んでいたので、アルコールを受け付けなかったのだろう。アルコールを飲めるようになっただけでも、生活が元に戻ってきたのかも知れない。
――もし彼女の死を予感できずにいれば、普通に死を受け入れられただろうか?
 分かっていてどうすることもできなかった日々は、とてもつらいものだった。予感が当たらないことを願いながら過ごした日々に起こるカウントダウン、自分の命を刻んでいるような錯覚さえ覚え、何も手につかなかった。
作品名:短編集40(過去作品) 作家名:森本晃次