墓標の捨て台詞
和代はその相手を知っているのだが、五郎は知らない。ここに年齢以上の距離が感じられ、どうしていいか分からないという感覚がここから出てくるのだった。
――もうすでに過去の人――
と言い聞かせても、一抹の不安が残ってしまう。和代の心の中にある以上、気にしないわけにはいかない。だが、それでも和代が話をしてくれたということは、隠してはおけないという思いと、五郎には知っておいてもらいたいという気持ちの交差が、表れているのかも知れない。
「どんな人だったの?」
「一口に言えば、優しい人ですね、ただ優しいだけではなく、厳しさもあったかも知れないわ」
その話を聞きながら、五郎は自分のことを思い浮かべる。優しさの中に厳しさなど、自分にはできないと思った。どちらかというと、五郎は猪突猛進型だと思っている。思い立ったらまっしぐらというところがあり、それが自分の性格の長所でもあり、短所だと思っていた。
――長所と短所は背中合わせ――
と言われるが、見方によっていろいろ見えてくるというものだが、和代はどちらで見てくれているのだろう?
あまりここでたくさんのことを聞いて、必要以上に横田のことを思い出させるのは、和代に辛い思いをさせることになるとも思う。それに、五郎としても、必要以上のことは今さら聞きたくないという思いがよぎっていた。
だが、和代は話し始めると、タガが外れたように話をする、それはまるでまくしたてるかのようにも思えた。
「彼は、母子家庭だったんです。実は私もそうなんですけどね。そういう意味で話が合うところもありました」
「彼に子供は?」
「いいえ、離婚の時に子供がいなかったのは、不幸中の幸いだって言ってました。自分のような思いを誰にもさせたくないと言ってましたからね」
他の人はともかく、自分の肉親にさせたくないのは当然であろう。それを親心というものなのだ。五郎は自分が親になったことはないが、親に対し、特別な思いがある。だが、それがいずれは憎しみに近い思いに変わることを、その時はまだ気付いていなかった。
子供の立場からしか考えられない。しかも自分には両親ともに健在だった。二人がどういう経緯で母子家庭になったのか分からないが、父親がいないというのは、相当きついのだろうと思う。
「和代さんの方が、きつかったんじゃないですか?」
「そうかも知れないですけど、彼の性格を培ってきたのが、父親がいないことに起因していることは一目瞭然。私だから分かったんだと思っています。でも、ただそれだけなら、ただの傷の舐めあいだったんじゃないのかなって思ったりもしました」
和代は相手のことを気遣いながらも、厳しさを兼ね備えた考え方ができるようだ。
「いつまで付き合っていたんですか?」
すると、和代は少し黙ってしまい、考えているようだった。だが、すぐに顔を持ち上げながら、
「今年の春までです」
今年の春というと、五郎が赴任してきた時ではないか。すると、和代を初めて見た時は。彼女自身、失意のどん底にいた時期である。そんな事情を知らなかったので、和代のことを、
――大人しくて、冷静な感じの人なんだ――
と、思い込んだのだ。
だが、逆に知っていれば、どうだっただろう?
――最初から、一目惚れを自覚していたかも知れない――
と感じるのだった。
何か訳アリの人を見ると、気持ちが勝手に傾くことは自分の性格でもあると思っていた。それは相手も自分に対して、特別な思いを抱いてくれる。それが慕ってくれる思いだと感じるからだった。
「彼は、それから?」
「転勤で、隣の県に移動になりました。きっとここの支店の人は誰もが知っていることだと思います。本当は私もこの春に会社を辞めようかと思っていたんですけど、辞めてしまおうと思った時、勇気が急になくなって、辞めれなくなったんです。どうでもよくなったのかも知れません」
「辞めるのにいる勇気というのは、現実的なお話ですか?」
「それもありますね。それに、会社を辞めて、一人落ち着いたら、結局余計なことばかり考えてしまうと思ったんです」
余計なことを考えてしまって辛くなるくらいなら、会社を辞めない方がましだという意味も分からなくはない。知っている人がいて、辛い時期もあるかも知れないが、人の和台などというのは、新しい話題に消されていくだけの運命なのだ。そう思うと、少々我慢して触れさえしなければ、我慢できないことではない。
だが、五郎は今の彼女の立場を思うと、和代の中で「計算違い」があったのではないかと思う。それは、パートのおばさんたちを見ていると分かってきた。
おばさんたちは、皆知っているのに、口に出さないように、和代と横田のことをタブーとして扱ってきているのだろうが、それが皆の間で微妙な緊張感を作り、忘れてしまうスピードを極端に下げているように思えてきた。しかも、誰もが心の中に秘めているタブーへの思いが様々であることで、忘れ去るであろう期間までは、まちまちになってしまうのではないだろうか。
春から数か月が経っているのに、誰もの気持ちの中に燻っているものがいまだに残っている。その中心にいるのが和代だ。だが、和代の期待云々にそぐわず、誰もが忘れていないのは、和代自身、どこかに後悔の念を抱いているからに違いない。
和代が落ち着いた気分になれないことで、まわりも落ち着かない。まわりが、五郎に期待するものがあるのも分かるというものだ。五郎の出現が、和代を救ってくれる救世主であるかのごとくに思っている。期待が大きすぎるのは困ったものだが、相手が和代であるならば、
「望むところだ」
と、意気込んで見たくもなるというものだ。とにかく和代は会社を辞めなかった。それが二人に運命の出会いをさせたのだ、五郎は少なくともそう思っている。
「今は誰とも交際をする気にはならないんですか?」
五郎はここまで聞けば十分だと思い、核心に迫ってみた。
「そんなことはないですよ。横田さんは私にとって、過去の人ですからね」
「じゃあ、もし僕が付き合ってくださいと、お願いすれば?」
「……」
和代は、しばし返事を渋っていた。考えているようだったが、答えは二つに一つだと思っていた五郎は、和代の頭の中が堂々巡りを繰り返しているように思えてきた。
「少しの間、お返事は待ってもらえますか? お気持ちは嬉しいし、あなたには好感を持っています。でも、もう少しだけ頭の整理をつけさせてください」
「いつまでですか?」
「頭の整理がつくまでです」
これ以上は、会話が堂々巡りを繰り返すだけだった。でも、断られたわけではない。頭の整理がつかないと言った和代の返事もウソではない。五郎はこれ以上このことに触れるつもりはなかった。自分の目的のほとんどは果たしたのだった。
「では、会社外で、こうやって時々食事をしたり、映画に行ったり、ドライブに行ったりするのはいいと思ってもいいんですか?」