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墓標の捨て台詞

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 五郎にとっては願ってもないことで、その日は、朝から里穂を抱く夢を見たような気がしていた。
 目が覚めるにしたがって忘れていく夢の中の記憶、抱いたという記憶だけがあるつもりだったが、ムズムズした感覚は身体にも残っているようだった。
「じゃあ、ついておいで」
 最初の日こそ、里穂の部屋に招かれたが、次からは表で会うようになっていた。里穂の過去も少しずつ分かってくるようになり、どうやら、里穂も以前に、
「この人しかいない」
 と心に決めた人がいて、その人が、会社の上司の娘との婚約を決めたことで、別れを余儀なくされた。
「私は諦めがいいのよ」
 と、言ったこの時に見せた寂しさが、五郎が知り得た中で、里穂の一番寂しさを感じた時だった。
――諦めがいいというが、そんな問題なのかな?
 里穂を見ていて、どうしても心根の奥が見えてこないところがあった。必死になって気持ちを隠しているのか見えるが、その手前に厚い壁があるわけではない。半透明のオブラートのようなものが張ってあって、見えそうで見えない感覚に、下手に想像を巡らせてしまうと、違うものが見えてきて、それが間違った判断を相手に与えるように思えた。
――これこそ、里穂の防衛本能なのかも知れない――
 と、感じた。
 口で言い訳する人、言い訳をすることもなく、内に籠ってからに閉じ籠ってしまう人、保護色で身を守ろうとする人、様々な人を今までに見てきた。
「もう僕のまわりに女性というと、里穂しかいないんだ」
 香織が自分の前から姿を消したことは、なぜかそれほど辛くなかった。香織は自分がいなくなることで、何かを残してくれたという思いがあるからだ。
 もちろん、里穂の存在は、別としてのことだが、香織がいなくても寂しくないのは、彼女の存在感が、本人はいなくても、五郎の中に残っているからなのか、それとも、最初から存在感などなかったかのようなイメージを、いなくなった瞬間から、五郎に与えたのかも知れない。
 昔のおとぎ話などでは、よくあることだが、タブーを犯したことで、その人の存在を記憶の中から抹消してしまう効果である。
「タブーというのは、まさか里穂を意識してしまったこと?」
 だとすれば、もっと五郎が辛くなる仕打ちが待っているはずなのに、五郎にとっての辛さはさほどない、
 香織が五郎の中に残してくれたものがないわけではない、記憶をすべて消してしまったわけではないだろう。その証拠に意識のようなものは残っている。
 普通であれば意識が残ってしまえば辛さも一緒に残っているものだが、辛いという意識はない。それは残った意識は里穂に繋がるものがあり、里穂を見ていると、その後ろに香織が見え隠れすることがある。
 だが、決して里穂は香織ではない。面影があったとしても、あくまでも五郎に寂しさを残さない程度のものだ。
 和代が、五郎と付き合っていた頃、和代の中にどれほど横田の存在があったのかということを考えてみた。死んでしまった二人を今さら比較しても仕方がないことだが、今の自分の気持ちを整理するには不可欠なことだった。
 五郎が見ていた和代の中には確かに横田の存在が見え隠れしていた。それはある意味、五郎の中に香織がいることを里穂にも分かっていたのではないかという想像を引き出すこともできる。
 五郎は、和代に知られないように、観察していたつもりだったので、和代は知らなかったに違いない。それは五郎が里穂を見ていて、そんな素振りを感じないのが分かっていたからだ。
 だが、決定的な違いは、五郎は最初から横田の存在を知っていたが、里穂には香織の存在を知っていたはずがないからだ。見ている人間に男と女の違いがあるとはいえ、どこまで里穂が勘の鋭い女性であるかは、まだ五郎には分からなかった。
 それに付き合いの度合いからすれば、里穂とは和代との出会いほどのセンセーショナルな衝撃はなかった。一目惚れを初めてした女性で、今までで一番好きだったと思っている和代に対して、里穂との関係は、腫れ物に触るかのようにゆっくりと温めていくものだからであった。
 五郎にとって、和代は思い出でしかない。あれだけ好きだったにもかかわらず、本当に今までで一番好きだったのではないかという気持ちが今では少し薄れてきた。最初に感じたのは香織との大人の付き合いからであったが、さらにその思いを進化させたのは、里穂の存在ではないかと思っている。
「里穂の存在は、今までの自分の経歴を覆すだけの力を感じさせるものではないだろうか?」
 とさえ思えていた。
 里穂は、いつも五郎のそばにいてくれて、安心感を与えてくれる存在になっていた。言葉にすれば、今までに付き合ってきた女性たちの中にも同じ思いを抱いていた人もいただろう。
 ただ、記憶の中にしかない感覚は、一度記憶の中に封印されてしまえば、どれほど時間が経とうとも風化されない限り、平面のように薄っぺらいものでしかない。
「次元が違うんだな」
 平面というと二次元である。三次元の世界とは明らかに次元が違っている。記憶に奥行きがないのであれば、その記憶から引き出される意識に、奥行きがあるはずもない。そう思うと、五郎には過去の女性とその時に付き合っている女性との感覚の違いを説明できるのではないかと思えてくるのだった。
 ただ、それも口頭上のことで、本当の感覚とは、ずれているのかも知れない。そのことを教えてくれたのは、里穂のような気がした。
「香織とは、会話の中で色々なことを教えられたが。里穂からは、何も言わずとも、感覚的なものが伝わることで理解できるようになっているのかも知れない」
 と思うのだった。
「里穂の魅力はそこなんだ」
 里穂の中に、まるで今まで付き合ってきた女性を凝縮したような感じがしていたのは、そういうことだったのだろう。
 そんな感覚を最初に教えてくれたのが、妻の敦美だった。敦美は黙っていてもすぐに気付いてくれて、気を利かせてくれる。ただの、M性の強いというだけの女性ではなかった。
「そんなことは分かっていたはずなのに」
 別れてしまったということと、今までに付き合った女性とを比較して考えると、どうしても曲がった感覚で意識してしまうのだった。
 五郎は、パラレルワールドを意識し始めた。
 意識の中で今までの女性と思い浮かべることで、それぞれに付き合ってきた瞬間を思い出すと、そこから先に広がる無限の可能性。つまり、その時々で違った感覚が生まれてくることで、その時だけのパラレルワールドを完成させてしまっていたに違いない。
 今は里穂のことを一生懸命に考えているが、次の瞬間の自分が何を考えているのか、分からない。ひょっとすると、パラレルワールドのタガが外れて、違う自分が飛び出してくるかも知れないと思ったからだ。
「こんなバカなことを考えているのは、僕だけかな?」
 誰もが口にしないだけで、同じことを考えているのかも知れない。タブーであることを自分以外の皆が知っていて、知らないのは自分だけ、そんな発想が生まれてくる。
 だが、それも自分の意識の中でだけのことである。他の人が何を考えているかなど、分かるはずもない。勝手な想像が自分の意識の外に飛び出していくことはできないのだ。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次