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墓標の捨て台詞

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 里穂が五郎に開く身体、それは紛れもなく男性を知らない身体だった。
「どうして?」
 五郎は、聞いてはいけないと思いながら、聞かないではいられなかった。
「別に今まで大事にしていたわけではないですよ。自分が気に入った人がいなかったからです」
「じゃあ、気に入った相手が僕だったと?」
「ええ、少なくとも、今私はそう思っています。それに五郎さんも、私の中の私に気付いていると思うんですよ」
「里穂の中の里穂?」
「私の中に私がいて、五郎さんが見ているのは、きっと、私の中の私だと思うんですよ。私を愛してくれた時に、気付いたと思うんですけどね」
 確かに、里穂の後ろに何かを感じた。だが、それは里穂ではなく、香織の存在が見え隠れしたものだったのだ。
 人の後ろ、特に好きになった女性の後ろに他の人を見ることは、今までに何度もあった。その相手が女性であることも、男性であることもあった。男性である場合には、目線はまず彼女にあって、後ろで男性が見え隠れしている様子は、隠れている方が多かった。
 だが、相手が女性である場合には、目線はそれぞれに向けられ、見え隠れも、隠れている時は、表に出ている女性の方を見ている時なので、すべてが見えているような錯覚に陥るのであった。
 和代に感じたのは、もちろんのことで、相手は横田だった。
 里穂に感じたのが、香織であるなら、香織に感じたのは誰だったのだろう?
 香織が五郎の前から姿を消したのは、その人の存在が少なからず影響しているに違いない。その相手が男性なのか、女性なのかも分からない。ただ、五郎が気になっているのは、その相手というのが、
「いつも同じ相手ではなかったのではないか?」
 と、感じることだった。
 香織には、数人の相手が見えた。今まで付き合った女性の中でも不詳部分の多い女性であったのも事実だ。その中に男性の姿が見えるのは納得できるかも知れないが、女性の姿があるのは、意外だった。
 香織の年齢が不詳ということもあり、香織の後ろに見えた女性が、香織よりも年上の場合と年下の場合とどちらが多いかは、分からなかった。
 香織にとって、後ろで見え隠れしている女性は、やはり絶えず見えていた。その表情は、相手にもよるが、笑っていたり、悲しんでいる時もある。多種多様な表情を感じるのは、香織自身が波乱万丈な人生を歩んできたからではないかと思うからだ。
 今の香織からは、にこやかな表情は見えてこないと思っていた。大人の雰囲気は、香織からにこやかな表情を奪っているかのようだった。かといって、感情が一つにだけ偏っているというわけではなく、見えるものと見えてこないものにハッキリ分かれているだけのことであった。
 香織を見ていると、後ろに見えてくる人がかすんでいるくらいに彼女自身の印象が強かった。だから、後ろに見えている人のことは気にはなるが、表情はなかなか見えてこなかった。あくまでも、印象としてにこやかだったり、悲しんでいたりする感覚があるだけだった。
 表情が見えなくても、香織の様子から後ろに見えている人の心境が分かるような気がするのは、香織の後ろだからなのかも知れない。他の人の後ろだと、その人よりも、見え隠れする人が気になってしまう。気になってしまうと、本人とどういうつながりなのかを考えてしまい、それが邪推に繋がるのだ。集中して見きれないというところであろうか。
 香織が五郎の前から来た瞬間から、里穂も消えるのではないかと思ったのは、最初から予感があったと感じたからだ。
 それは、五郎の前から姿を消す予感がある時、それは、いつも後ろの誰かを感じた時だった。
 五郎は、里穂にも誰かを感じた。しかもその感じた相手というのが、その後自分の前に現れることになる人であるということに気が付いたことで、やっと、最初から皆が自分の前から消えていくことに気付いたのだ。
 里穂の後ろに見えた影、それは、奈保子であった――
「奈保子」
 思わず声が出てしまった。
 五郎は堂々巡りを繰り返し、やっと元の場所に戻ってきたかのような錯覚に陥っていたのだ。
「自分のことを知っている人が減ってきているような気がする」
 それは、見え隠れしていた人たちが五郎の前に現れて、目で訴えていたことであった。五郎にそのことを教えてくれたのは、死んでいった人たちだったのかも知れない……。

                 (  完  )



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作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次