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墓標の捨て台詞

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 だと思っていた。ちょっと触ってしまっただけで、崩れてしまいそうな弱弱しさが里穂にはあった。そう思って見ていると、里穂の影が薄くなっているのを感じる。
 人の影が薄くなっていくのを感じたのは、実は里穂が最初ではなかった。何人かいたような気がしていたが、一番印象的だったのが、和代だった。
 横田という男の存在を感じるようになってから、急に和代の影が薄くなっていくのを感じたのだが、里穂に感じる薄い影とは、イメージが違っていた。
 それまで大きな存在だった和代が、ろうそくの炎が消えていくかのごとく、急に影が薄くなっていったのだ。里穂に対しては最初から印象が薄い雰囲気だったので、さほど影の薄さが気にならなかったが、里穂の場合でも、やはり薄いことに気付いてしまうと、気にしないわけにはいかなくなった。
 里穂の影の薄さに、嫌な予感があった。
 和代のことを、少し小耳に挟んだのだが、あまりにも突拍子もないことだったので、信用していなかったが、今考えてみると、その噂も信憑性がまったくないわけではないと思うようになると、気持ち悪くなってきたのだ。
 その噂は、会社内部の人からだった。
 和代と横田のことは、ある程度会社でも知られていた。ということは五郎と和代のことは、もっと知られているのだろうが、そのせいもあってか、噂が耳に入ってくるのは、かなり遅かったようだ。
 噂の元は、彼女の友達だったらしいが、彼女もすでに会社を辞めていて、噂の真意をただすことはできない。
 しかも、転勤になって何年も経ってからの噂だったので、五郎がそれを問いただすことは難しかった。
 五郎がまだ敦美とは交際期間で、結婚の話が出てくる前のことだった。和代のことを忘れかけていた五郎だったが、それでも大学教授と結婚したと聞いた時に感じた嫉妬を、そう簡単に忘れられるものではないと思っていた。
 大学教授との幸せな日々を送っていたであろう和代だからこそ、忘れられそうな気がしていたのも事実で、考えていることの矛盾を感じながら、和代の噂を聞いた時、
「信じられない」
 という思いからか、自分が他人事のように思っているのに気が付いた。それはあまりにも恐ろしい発想だったので、夫である大学教授の気持ちを考えるだけの気持ちも生まれてきた。
――僕と同じ立場なのかも知れないな――
 そう思うと、結婚しなかったことは、正解だったのかも知れない。
 和代の話は、彼女がいた支店ではある程度タブーだったようだ。会社の人間の中には賛否両論があるようで、
「彼女は魔性の女、横田さんや、斎藤さんが可哀そう」
 という意見と、
「彼女も悪いんだろうけど、彼女に近づく男性が頼りないのも彼女が不幸だった一因かも知れないわね。その証拠に、今度の男性は大学教授。やっといい人を捕まえたって感じじゃないかしら」
 と思っている人たちからすれば、どうしても相容れない意見を持った人との話は喧嘩になりかねない。他人のことで喧嘩になるほどバカバカしいこともなく、そう思えば、話を封印するのが一番いい。
 何と言っても、当事者が誰もいないのだから、噂するだけ疲れるというものだ。タブーと言われるのは、少しは彼女の経歴から色が付いたからではないだろうか。
 和代に対しての噂を直接聞かされたのは、当事者どころか、和代のことを一切知らない人で、完全な部外者。そんな人の他愛もない噂話にしかすぎなかったのだ。
「斎藤さんは知ってますか? 以前私がいた支店に勤務していた女性が亡くなったって話を」
 その男は、和代と五郎がいた支店にもいたことがある後輩であった。もちろん、五郎や和代とその支店で一緒だったことはなく、つい最近、五郎のいる部署に転勤でやってきたのだった。
 彼は、パートのおばさんたちともうまくやっていたようだ。
 五郎の場合は、うまく載せられてしまったところがあったが、彼は逆におばさんたちの情報網をうまく利用したようだ。
「他の人には話せないことなの」
 と、言いながら、彼には話をしてくれたことも多いという。
 その言葉のどこまで信じていいのか分からないが、彼のしたたかさは、五郎など足元にも及ばないことは間違いないようだ。
 その時に聞いたのだという。
「前ここにいた女の子は、転勤で来た男性何人かと仲良くなって、いつも最後は、悲惨な別れ方だったんだけどね……」
 というところから始まった。おばさんが相手のことまで話さなかったので、そのうちの一人が五郎だとは、さすがに気付かなかっただろう。
 五郎のことを聞かなかったのは彼にとって幸いだったのか、分からないが、五郎にとっては、あまりよかったとは言えないかも知れない。そのせいで、聞きたくもないことを聞かされる羽目になってしまったのだから。
 もし、彼が五郎と和代のことを知っていれば、さすがに五郎にこんな話をするわけもないだろう。和代の話はタブーと言われているだけに話をする相手は、彼としても選んでいたはずである。それにしても、彼には和代の相手の一人が五郎だということを、本当に気付かなかったのだろうか。
 彼の話を聞いていると、最初は、何が言いたいのか分からなかった。
――彼が何かを言いたいと思っているから、分からないのかな?
 と思うようになると、少し聞き方が変わってきた。
 五郎自身が、時間が経っているとはいえ、完全な当事者で、彼は五郎が当事者であるということを知らない。それだけに自由に発言できるのであって、それが五郎にとってどういう意味を示しているのか、分かるはずもなかった。
 かいつまんで話をしているところもあり、要点だけを聞くと、どうやら、和代はすでにこの世の人ではないということらしい。五郎にとっては、相当ショッキングなことではあるが、他人からすれば、興味本位でしかない。
 しかも、横田のことも聞いているらしいが、どこまで聞いているのか分からない中で、横田もすでにこの世の人ではないことは、承知しているようだ。
 それだけを線で結ぶと、興味深い話が生まれてくる。何とも野次馬根性が湧き出てくるような発想が生まれるのも仕方がないことで、五郎の発想とはまた違った発想も、人によって様々生まれているに違いない。
「和代は死んでいるのかも知れない」
 という思いが、実は以前からあったように思えてきた。それは、横田がすでにこの世にいないと聞かされた時、すでに、和代の中にも生きていく支えがなくなってしまったように思えたからだ。
「それなのに、結婚などしてしまって」
 と、和代のことが分からなくなっていた。
 ただ、勝手な想像にすぎないことを、どこか信憑性が深いように思えるのは、不思議な思いが和代の気持ちの中から伝わってくるように思えたからだ。
 虫の知らせというものがあったのだ。
――ひょっとして、和代はすでに、この世の人ではないのかも知れない――
 そう感じた瞬間が確かにあった。しかもその瞬間というのが、友達の敦美を抱いている時だったのだ。すぐに打ち消したくなったのも後ろめたさというよりも、偶然の恐ろしさに、背筋が寒くなるのを覚えた。
 今までに感じたことのない快感を、その時に味わった。それから以降、誰を抱いても感じることのない思い、
「夢か幻のようだ」
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次