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墓標の捨て台詞

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 できることとすれば、手を握ってあげるくらいしか思いつかない。だが、映画館のような暗闇で急に手を握って、ビックリさせないだろうか。あまり男性と交際経験のない女性なら、男性恐怖症の引き金を引いてしまうのではないかという思いもあった。
 それでも、目の前で震えているのは紛れもなく、自分が好きになった女性である。手を握ると、ぐっしょり汗を掻いているようだった。やはり最初はビックリしたのか、手を引っ込めたが、五郎が臆せずさらに手を握ろうとすると、和代は抵抗するのをやめた。五郎の握った手を、自分の方から握り返したのだ。
「その時、気持ちが通じ合えた気がしたんだ」
 今でも、気持ちが初めて通じ合った時を聞かれると、迷うことなく、この時だと答えるだろう。
 映画の内容は、一人の男性が好きになった女性を残して、旅に出るというところから始まっていた。男性には過酷な運命が待っていて、彼女もその運命に引き込まれていくというのが大筋の内容だった。
「こんなことなら、何としてでも、あの時にあの人を引き留めるんだった」
 女性は、後悔の念に押し潰されそうになる。それを救うかのように現れる主人公の男性、二人の紆余曲折は、もう戻ってくることのない男性を中心に繰り広げられる。運命に左右されていると思っている彼女の気持ちをいかにほぐしていくかが問題なのだが、自責の念で押し潰されそうになっている人を救うために、彼は彼女と一緒に十字架を背負い生きていくことを誓う。
「これが俺の恋愛だ」
 と言い切る主人公。見ている人にとって、如何様にも判断できうる内容だが、最後は結局同じ結論に行きつくという、最たる例ではないかと、五郎は感じた。
 映画館を出てからの和代は、もう泣くことはなかった。本当はこの日に告白をしようと思っていた五郎だったが、和代の涙を見た瞬間に、告白することを断念した。
 次の日会社に行って、パートのおばさんたちから、
「どうだった?」
 と聞かれて、
「ありがとうございます。楽しかったですよ」
 と答えると、おばさんたちは顔を見合わせて、そのうちの一人が、
「ほらね、私が言った通りでしょう? 五郎ちゃんは告白してないみたいよ」
 というと、他の人たちも納得したかのように頷いた。すべてお見通しということか。
「どうして分かったかというとね。五郎ちゃんが、『楽しかった』って言ったでしょう? それ以外の答えだったら、告白したと私は思ったのよ。楽しかったという答えは、告白できなかったことに対して唯一、私たちに話ができる答えだったと思ったのよね」
 まったくもって、その通りであった。憎いくらいの洞察力に感心しながら、
「うんうん」
 と、頭を下げながら、五郎は、頭の中でさらにいろいろ考えていた。
――彼女が泣くことを予想してあの映画にしたのかも知れない――
 と思えてならなかった。すると、おばさんたちは五郎の知らない、和代の過去を知っているということか。
――彼女は引っ込み思案な性格だが、何かあった時は、表に気持ちを出すのかも知れないな――
 と思うのだった。
「でもね。横田さんのことがあるからね」
 一人のおばさんが聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた。もし、その時、ちょっとでも風の悪戯があれば、その声は打ち消されていたに違いない。
 それを聞いて、一人がそれ以上言わないように制したおかげで、そのおばさんもそれ以上は何も言わなかった。最初から口を開きたくて仕方がなかったのかも知れない。制されて急に我に返ったようにまわりを見渡してから、急に表情がこわばった。それはまるで、口に出してしまったことは取り返すことができないことを、今さらのように悔いているかのようだった。だが。おばさんが後になって思っても、それはやはり後の祭りでしかないのだ。
 五郎は、そう思ったからこそ、聞いていないふりをした。おばさんはホッと胸を撫で下ろしたようだが、まわりの空気が一瞬固まってしまったことは、それこそ取り返しのつかないことであった。そのおばさんは、気付かれなかったことだけに安心して、その場の空気まで考える余裕はなくなってしまったかのようだった。
 五郎が聞かなかったことにした理由はもう一つある。それは、五郎はこのおばさんたちを、完全には信頼していないということだった。
 ここで下手に聞きただすと、きっと教えてはくれるだろう。だが、それはしょせんは他人がもたらした話題。どこまでが真実なのか、そして真実であっても、感情の移入のあるなしで、五郎の判断がしにくいというものだ。信用していない相手から聞いたとしても、それは参考でしかない。必要以上に心配を植え付けられるだけの結果にならないとも言えないではないか。
――それにしても、横田さんというのは誰のことだろう?
 この支店に来てから、その名前を聞くのは初めてだ。だが、おばさんたちが知っているということは、少なくとも支店の他の人も知っていていいはずだ。
――タブーになっているんだろうか?
 と思うと、余計に気になってくる。
 ただ一つ言えることは、おばさんたちが、五郎とその横田という人物を比べているのは間違いないだろう。
 知らない人と比べられるのは、五郎の性格から言って、決して許されることではなかったが、その中心にいるのが和代ということで、五郎は複雑な気分になっていた。逆に横田という人物の名前があがったことで和代への興味がさらに膨らんできたのも事実である。一目惚れした相手に対してさらなる思いが募るなんて、今まで考えたこともなかった。
――一目惚れした相手だから、募る思いもとどまるところを知らないのかも知れないな――
 と思っている。
 和代に対して、付き合い始めたわけでもないのに、最初から喧嘩ばかりしていたのだが、それは和代に対しての募る思いが次第に膨らんでくるための一つの布石のようなものではないかとさえ思えた。
「ケンカするほど仲がいい」
 というが、その通りかも知れない。
 だが、二人が付き合う前から喧嘩ばかりしていたという意識は、かなり後になって木がついたことだった。最初は付き合い始めてから喧嘩ばかりしていたように思っていたが。それは、正式に五郎が和代に告白する前からだった。考えてみれば、なかなか告白しない五郎に対して、和代が業を煮やしたように思えた時期があったくらいだ。そのことを五郎は最初から分かっていたはずだったではないか。後から思ってそう感じるのは、すでに和代に対して冷静に表から見ることができる自分の存在もあったことを示しているのだろう。ただ、付き合い始めから、完全に五郎は、和代のペースに嵌っていたようだった。
 嵌るほどのペースを和代が意識して作っていたとは思えない。五郎は和代に対して過大な妄想を抱いていたのかも知れない。妄想だけではなく、和代の後ろにある見えない壁のようなものを意識しすぎていたのだ。その壁は、しかも一重ではなく、何重にも重なり合っているように思えてならなかった。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次