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墓標の捨て台詞

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「そうだな。和代には一目惚れだったんだ。僕の方を気にしながら、あまり気にしていないような顔をしていたところかな?」
「何よ、それ」
 和代は笑顔で呆れたように言った。だが、五郎の返答は、まんざらでもない。ウソを言っているわけではないからだ。
 確かに一目惚れであるし、五郎を気にしているように五郎自身は感じたが、本人はそれを隠そうとする。女性なら和代だけではなく、他の女性にも言えることだろう。だが、和代であれば、どこかが違っている。隠そうとしている態度がいじらしくもあり、五郎はそんなところに、女らしさを感じたのだった。
「じゃあ、和代は、僕のどこを気に入ったのさ」
「私はね。五郎さんの安心感。それと、子供っぽいところかな?」
 そう言って、おどけたような表情をした。
「何だい。それは」
 今度は五郎が言い返す番だったが。この返答は。五郎からすれば、願ったり叶ったりであった。返してほしいと思った回答にほぼ近い答えが返ってきたのだ。
「僕の回答が一つ増えたよ」
「えっ?」
「それは、今の和代の答えさ。そんな答えを返せる和代が。僕は気に入ったのさ」
 今度はおどけた様子はない。真剣に答えたし、和代も真剣に聞いてくれた。その眼は笑ってはいない。ただ大きく見開いて、二、三度ゆっくりと頷いたのだ。それを見て五郎も納得して、やっと笑顔になり同じように頷いた。これがあうんの呼吸というやつだろう。
 和代との同棲期間は三か月ほどだった。実際に付き合っていた期間が一年ほど、それから比べると、短かったのだろう。
 しかし五郎は、三か月間でも嬉しかった。和代が自分の部屋に戻った時も、
「いずれ、結婚すればいつだって一緒にいられるんだからね」
 と、結婚を仄めかしても、和代は頷くだけで、賛成も反対もしない。すべて分かっていると言わんばかりだった。
 結婚という言葉に、異常に敏感な人もいれば、あまり気にならない人もいる。和代は結婚という言葉に敏感だった。
 また敏感な人というのは、絶えず結婚という言葉に敏感なわけではなく、ある一定の法則で敏感になるようだった。
 和代もその一人で、下手に刺激しない方がいいと思う時もあり、なるべく結婚という二文字を言わないようにしていた。しかも以前結婚寸前まで行って、ご破算になったことがあるだけに、この二文字は精神的にデリケートな要素を含んでいる。
 今付き合っている香織はどうだろうか?
 香織の過去については。本人があまり語りたくないのか。詳しくは知らない。ただ、結婚した経験はないが、付き合った男性は結構いるとのことだ。
「結婚しようとは思わないんですか?」
 思い切って聞いてみた。香織に対して結婚という言葉はタブーではないように思えたからだ。
「そうね、思わなかったわね」
「結婚したいという相手が現れなかった?」
「そうじゃないの。結婚ということ自体が、まるで儀式のような気がして、それが嫌なのかしらね。だって、まるで就職試験みたいじゃないの」
「就職試験とは、どういう意味なんだい?」
「結婚だって、ある意味、女性からすれば就職みたいなものでしょう? 年中無休の終身雇用制のね」
「なるほど、そうだね。まさしくその通りだよ」
 主婦に日曜、祭日はない。しかも、離婚しない限り、死ぬまで一緒なのだ。確かにその通りだが、言葉にしてしまうと、本当に味気ない
「結婚は人生の墓場だっていうけど、その通りかも知れないわね。一緒にいたいと思うだけではいけないのかしらね」
 と、香織は言った。これが他の人なら
――適当なこと言って、言い訳のようだ――
 と思うのだが、香織が言うと、どうしてもその言葉の後ろに何か別の真実が隠れているような気がしてくる。
「僕はその結婚に失敗した男だ。君の言う墓場にも入れなかった男なんだよ」
「だったら、いいじゃない。これからやり直せばいいのよ」
 そんな簡単なことすら、五郎は忘れていたのかも知れない。幸せの絶頂にいたと思っていたのに、気が付いたら、一人人生から取り残され、墓場だと思っていた結婚もうまく行かず、墓場を通り越して地獄に来ていた。そのことを香織にいうと、
「違うわよ。墓場は後で、地獄を先にあなたは見ることになったのよ」
「なるほど、モノは言い様だね」
「だって、その通りなんですもの」
 香織は、冷たい言い方をしているように感じたが、五郎にはちょうどよかった。なまじ暖かそうな言葉だったら、地獄だけが強調され、墓場の存在が忘れ去られてしまう。地獄よりも墓場の方が、ここでは幾分かマシであっただろう。
 香織と、こんな話をするなんて思いもしなかったが、それも結婚にこだわりたくないという思いと、その結婚に失敗したことをいつまでも悔いている五郎への戒めの気持ちが強かったからなのかも知れない。
「別に卑屈になることなんかないのよ」
 香織は、そう言いたかったに違いない。
 結婚の話をしている時の香織はいつもと違っていた。
――どこが違っているというのだろう?
 確かに大人の会話ができる香織と、その日の香織は雰囲気が違っていた。言葉の端々に棘があるように思え。普段見られる余裕がその日には見られなかった。
――余裕がないと、ここまで女は変わってしまうものなのか?
 とも感じたが、それでも、香織に対して嫌な気はしなかった。
 ただ、香織に感じた思いはそれだけではなく、
――老けたように見えるな――
 というものだった。
 二十代というには落ち着いて見えるが、三十代後半と言ってしまうと、気の毒に見えてくる。ただ、落ち着きは一度でも結婚をしたことがある人と変わらない。本当に結婚経験がないというのであれば、推定年齢は、四十歳後半ではないかと思えるほどだ。自分と比較して二ランクほど年齢が上ではないか、勝手に思い込んだだけであった。
 香織は、たまに自分の過去を話したい時があるようだ。
――もし、付き合っている相手が僕じゃなかったら、過去を話すだろうか?
 と、五郎は感じた。今まで付き合ってきた男性経歴について、聞きたいのは山々だが、敢えて五郎は口にしない。
「五郎さんのいいところは、あまり詮索しないところかしら」
 と、ハッキリ言われたことがあった。あまり人から褒められることのない五郎は、それだけで有頂天になった。香織はおだてるのもうまいのかも知れない。
 おだてられて嬉しくないわけではない。特に香織に言われると、信憑性を感じ、他の人も同じように思っているのかも知れないと思う。
「そういえば、昔……」
 その日は珍しく、香織が自分の話しをしようとしていた。最近では、横田の死を知らされて間がないこともあってか、少しショックが尾を引いていた時期でもあった。和代のことを思い出してみたりしたのを、香織は見ていて察知したのではないだろうか。
「昔?」
「ええ、昔、十年くらい前のことだったかしら。その頃には私も熱烈な恋をしたことがあったのよ。その時は、今日が明日で、昨日が今日で、というほど、毎日が変わりようのないほど、幸せな気がしていたわ」
 今の香織は、平凡な毎日を過ごしているように見える。
「平凡な毎日を送ることが、一番難しいことのようだわな」
 と、これも香織の言葉だった。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次