小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

墓標の捨て台詞

INDEX|39ページ/56ページ|

次のページ前のページ
 

――心の中に封印してしまったものが、パンクしたりしないのだろうか?
 そんな危惧を抱いたりしたが、それは、いっぱいになったら、過去の記憶から本当に消去されているのではないかと思ったからである。消去する時に、自分の中の優先順位を精査してから消えているのかが気になったからだ。もし、精査せずに消えてしまっているのであれば、覚えておきたいことが永遠に思い出せなくなってしまう。
「思い出したくないことだけを消していけばいいのに」
 元々都合の悪いことばかりを封印してきたもので、パソコンでいうところの「ゴミ箱」と同じではないか。そう思えば、古いものから消えて行ったとしても、どこに問題があるというのか。もしここで順番に消えていくことが気になるのであれば、根本の考え方が分かってくる。何とも虫のよすぎる話ではないだろう。
 ショックから立ち直れなかった時期は、自分にとって地獄であったが、まわりを巻き込んだ地獄であった。立ち直ったと思ってからも、五郎は立ち直れないでいた時期を、自分のせいだとは、まったく思っていない。少しは悪いところがあったのではないかと思うが、和代に対して悪いことをしたとは思っていない。
――僕から離れようとしたのが悪いんだ――
 と思っているのである。
 ただ、それは五郎が落ち込んだ時に考えることであって、普段考えることではない。和代のことを思い出しても、もうショックはないし、思い出すことと言っても、悪いことを思い出すわけではなく、楽しかった時のことを思い出すだけで、「美しい思い出」として残っているだけだ。
――ということは、やはり、都合の悪い思い出したくない思い出は、封印していた記憶から消去されてしまったのだろう――
 和代と別れてから、いろいろあった。中には思い出したくない思い出も、かなりあったはずだ、そう思えば、和代に対しての都合の悪い思い出は、忘れ去ってしまったに違いない。
 何と言っても、横田がこの世にいないことには参ってしまった。生きてさえいれば、
――「ライバル」として戦うこともできたであろうに――
 とも感じる。もっともライバルと感じることも癇に障ることではあったが、運命の悪戯に自分が抵抗するためには、嫌な思い出は封印して、思い出さないようにしようと考えるしかなかったのである。
 五郎の人生は波乱万丈だと思っているが、その一つが、横田がこの世にいなかったという事実である。これは和代との別れよりも精神的にきついことだった。もちろん、輪の中心にいるのは和代であり、五郎は横田という男性と一度も会ったことがない。それなのに、和代と付き合っている間も、絶えず何かに怯えていたように思えたが、それが五郎の存在であったということは、和代が別れを言い出した時に分かった。横田の死を五郎が知ったのは、かなり後になってからだ。和代との別れのショックが続いていた時であったが、脳天をぶち抜かれたような気がする事実であった。
 まったく理由が分からないと思っていた別れに対し、横田の死が伝わったことで、さらに五郎にはこの時の別れが、
――自分には関係のないことなのだ――
 と思うに至る事実でもあった。

「自分のことを知っている人が減ってきているような気がする」
 和代に対して行なったであろうストーカーまがいの行為が、五郎の中で、
「和代が、今まで一番好きだった相手だ」
 という思いを植え付けたのかも知れない。
 確かに今でもその思いは消えていないが、それを差し引けば、一番好きなのは、香織である。
 香織には大人の色香だけではない。節度のようなものがあり、ストーカーまがいのことまでしてしまった五郎を自ら戒めることができる唯一の女性だ。
 学生時代の友達から、
「お前と付き合う女性は、本当にできた人なんだろうな」
 と言われたことがあったが、五郎は今さらながら、その言葉を思い出す。だが、それは五郎に対しての皮肉であることを本当は分かっていない。
――自分ができた人間だから、できた人がついてくるんだ――
 くらいに思っている。
 勘違いも甚だしいが、香織であれば、五郎の勘違いも、本人を傷つけることなく、勘違いだと気付かせることができるかも知れない。友達が言いたかったのは、本当はそこだったのではないだろうか。五郎にはその考えの足元にも及ばないであろうが、香織を好きになった同じ時期、コーヒー専門店のウエイトレスも気になっていた。里穂のことである。
 二股を掛けるつもりは毛頭ないのだが、気になってしまったものは仕方がない。ただ、これも気持ちに余裕があるからなのかも知れないと思うのは、都合の悪いことは無視してしまう五郎の悪い性格によるものではないだろうか。
 里穂は、お姉さんというイメージが強い。子供の頃にお姉さんがほしいと思った。それは女性を意識するからというわけではなく、慕いたいという人がほしいと思ったからだ。
 それは親ではいけない。親は口うるさいだけの存在だと思っていたからである。同じ子供の立場から、少し上から目線で見られてみたいという思いがあった。五郎には弟はいたが、女姉妹はいなかった。
 中学に入った頃だっただろうか。母親から、
「本当はあなたにはお姉ちゃんがいたのよ」
 と聞かされた。なぜ中学になるまで教えてくれなかったのか分からなかったが、ひょっとすると母親も、五郎の中に姉という存在が特別なイメージとして固まってしまっていることに気付いたのかも知れない。小学生のまだ女性を意識していない時期に姉の話をしてくれていれば、少しはお姉ちゃんというイメージが変わっていたかも知れない。
 教えられた方がよかったのか、教えられなかったからよかったのか、五郎には分からない。当の母親にも分かっていないだろう。
 お姉ちゃんは、五郎が生まれる前に死んだのだという。死産というわけではなく、生まれてから一か月は生きていたという。
 由美という名前を聞いたのも、もちろんその時が初めて、五郎はこの名前が好きだったが、姉の名前だと聞かされてから、同じ好きな名前であっても、別格になった。
――もし、好きになった人の名前が由美だったら、どんな気分になるだろう――
 どちらかというと細かいことを気にしないタイプの五郎なので、深くは考えないかも知れない。
――死んだ姉の名前だった――
 ただ、それだけのことであって、五郎にはどうすることもできない。好きになった人の名前が由美だったとしても、それも仕方がない。名前で好きになる人を選ぶわけではないからだ。
――お姉さんが生きていれば――
 何度か考えたことはあったが、それも中学の頃だけだった。高校生になってから、姉のことを考えることはあったが、生きていればという、ないものねだりの考えは抱いたことがなかった。
 なぜなら、生きていたらと言われて、その後、何をどう考えていいか分からないからである。
 生きていれば、自分の人生の何かが変わっただろう。しかし、いい方に変わるのか悪い方に変わるのか、まったく想像がつかない。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次