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墓標の捨て台詞

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 と言って、ニコニコしている。その顔を見ると、和代は五郎に浮気癖を疑っていないことを示している。
 そんな関係が二人の交際期間を象徴していた。
――この関係がずっと続いてくれればいいのに――
 と、五郎は望んでいた。
 それは、和代も同じなのだと思っていたが、実際にはそうではないようだ。結婚願望は和代には人一倍であることを、分かってあげられなかったことを、五郎は今でも後悔している。
 考えてみれば、和代は横田と結婚寸前まで行ったではないか、結婚できなかったことへの辛さは五郎には分からないが、さぞや、ショックだったに違いない。
 ただ、それだけに、交際期間を大切にしたいという思いも人一倍なのかも知れない。交際期間を充実したものとして積み重ね、そこで初めて結婚を考える。積み重ねたものがなければ、先を考えてもうまくいかないことを一番分かっているのが和代なのではないだろうか。
 もしここで、
「結婚しよう」
 と言って、和代にプロポーズすればどうなるだろうか?
 そんな思いを幾度となく抱いた。和代が戸惑ってしまうのは間違いないことだろう。
「まだ早いわ」
 と思うのか、それとも、過去のことを思い出して頭がパニックになってしまうかのどちらかであろう。
 だが、これは時間が解決するというものではない。プロポーズを受けるというのは、二人の間で蓄積してきた愛の重さだけで納得できるものではない。早ければいいというものでも、遅ければいいというものでもない。要するにタイミングの問題なのだ。
 結果的に五郎は、和代に対してプロポーズすることなく終わってしまったのだが、今はそれが心残りでもあった。
 別れてすぐのショックが大きく、精神的に落ち込んでいる時は、
「プロポーズする前だったことは、不幸中の斉和だったかも知れない」
 と思った。プロポーズして別れることになれば、そのショックはさらに大きなものだったに違いない。
――別れた原因で、和代の気持ちを分かってあげられなかったことがかなり大きいのかも知れない――
 と感じた。直接的な理由は違っていても、間接的には和代の気持ちを分かってあげられなかったことが、和代に別れを考えさせることになったのは間違いないだろう。
――直接的な原因――
 それは、五郎には関係ないところにあった。
 いや、関係ないというのは語弊がある。付き合っているのは五郎なのだから、和代のことをしっかり見てあげられていなかったのがいけなかったのだ。
 だが、相手の心の中、いくら最愛の人であっても入り込めない隙間もある。その人にとってのプライバシーは、いくら親であっても入り込むことはできない。そこに侵入できるのは。プライバシーの中で考えている相手だけだった。
 プライバシーほど微妙でデリケートなものはない。入り込むことができないといって、最初から無視したように相手が感じれば、人によっては、
「この人は自分のことだけしか考えていない。相手のことをちゃんと見ようとしてくれていない」
 と思われるだろう。
 五郎が別れるようになった理由の一番は、このプライバシーの読み違いがだったと思っている。普通であれば、
「そこまで僕に要求するような女とは付き合いきれない」
 と思っても不思議はないのに、和代に関しては、違っていた。一目惚れだったというのも理由の一つであるが、それ以上に、和代の中のプライバシーの部分で何があったのか、知りたいと思うのだった。
 最初は、まったく理由が分からなかった。お互いに愛を育んでいき、お互いに気持ちが盛り上がってきたところで結婚を考えればいいと思っていた。それは和代も同じ思いであり、お互いに気持ちも通じ合っていたと思っていたからだ。
――いつから、気持ちがすれ違うようになったのだろう?
 すれ違った感覚が、実は五郎の中にあった。思い過ごしかも知れないという思いもあった。心のすれ違いを感じれば、その時に少なくとも重大なことであり、何とかしないといけないという思いが頭を過ぎるであろう。しかし、その時の五郎には何とかしなければいけないという思いはなかった。それが、思い過ごしではないかという思いに至ったに違いない。
 別れることに、五郎は激しく抵抗した。
 それは、後から思い出すと顔が真っ赤になるほどの恥辱に満ち溢れていた。しかし、それでも、もう一度同じ状況に陥れば、
――また同じことを繰り返すかも知れない――
 とも感じた。しょせん人間は、辛いことがあって、それを記憶の中で覚えていても、同じことを繰り返してしまう動物なのかも知れない。本能だけではなく、意志というものが働いているからではないかと五郎は感じていた。
 実際に、今まで同じことを繰り返してきたと思うことはいくつもあった。それは過去の教訓を忘れてしまっているから、起こってしまったことではない。同じことを繰り返してしまったことを悔やみながらも、
――仕方がないことだったのだ――
 と、人間の性のようなものを感じていた。
 和代との別れの予感が、ずっと燻っていたように思ったのは、別れてからのショックが和らいでいくのを感じていく過程であった。
 すれ違うのが分かったような気がしていたように思ったのも、別れの予感が燻ってきているのが分かったからなのかも知れない。
――和代との別れのショックを、和代以外の女性でも感じたような気がする――
 それも、和代と付き合う前のことであるのだが、なぜかその時に感じなかったものを、今になって気が付いたのだ。思い過ごしだとしてやり過ごしてもいいのだが、一度思ってしまうと、気になってくるのだった。
 気になることがあると、とことん考えてしまわないと気が済まないのだが、その時は、そこまで気になって仕方がないわけではなかった。実際にその思いは一瞬だけのもので、その後には二度と感じることはなかったので、思い過ごしとして片づけてもいいはずだったのだ。
 だが、思い過ごしとして片づけられなかったのは、和代が五郎の知らない時間を作ることが増えたのに気付いてからだった。
 実はそのことにも気づいていたはずなのだが、プライバシーには侵入できないという思いがあったのと、和代が自分に隠し事をするはずなどないという慢心が、
――和代を信じることが自分の愛の形の一つだ――
 という信念の一つとして行き着いていたのだ。
 電話をしても、話し中の時が多かったが、その時に怪しむべきなのに、五郎は気にしていなかった。自分が愛されているという思いが慢心だなど、ありえないことだと思っていた。
 もちろん、
「昨日、電話してみたけど、話し中だったようだね」
「ええ、おかあさんから電話があって」
 と、最初に糾弾した時、即答で返事が返ってきたことで、次からは糾弾することはなかった。もし、そこで聞いていれば、どう答えたというのだろう?
 二度目はさすがに聞くことを戸惑った。
「私を信用していないの?」
 と言われたら、どう答えていいか分からなかったからだ。自分がどう返答していいか分からないことを、相手に聞くことを、五郎はできなかったのだ。
 その時に和代は何をしていたか? そのことを知ったのは、しばらくしてからだった。
「横田さんと一緒にいた」
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次