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墓標の捨て台詞

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 犬というのは従順で、餌を与えれば、ホイホイついてくる。教え込めば「お手」や「お座り」もする。可愛がってあげれば、必ず癒しを返してくれる。それが犬というもののイメージだった。
 だが、和代と初めて会った時に感じた犬というのは、少し違っていた。
 春になると発情し、興奮すれば誰彼かまわず足に抱き付いて、腰を振るのだ。人間だったら、許される行為ではないが、犬だったら、
「きゃあ、可愛い」
 と、いやらしさを漂わせない。
 それは女性の方が恥かしさというものを分かっていて、まわりに悟られたくないという思いから、
「可愛い」
 という言葉で、ごまかしているのかも知れないが、見ている方も、恥かしさを感じずに済むことはありがたい。
――やっぱり、犬って得なのかな?
 今度生まれ殻ったら、犬に生まれてみたいなどという妄動を抱いたりもした。
 和代に初めて会った時に感じたというのが、不思議だった。
――どうしてこのタイミング?
 今から思うと、綾香に感じた女のイメージと同じものを感じたのかも知れない。
 おねえさんの家に行った時のことを、
――まるで犬になったようだ――
 と思った。
 犬になってもいいかも知れないとは思ってみたものの、やはり自分にはプライドがあると思うからこそ、夢だったと思ってしまうのだ。
 夢だと思っていたことが、実は本当だったりすることもあるかも知れない。本当だと思っていたことが夢だったことと、どちらの方が信憑性があるだろうか。夢だったと思うことの方が、現実味に掛けるのではないだろうか。前者の方は、夢であってほしいという願望が強いような気がする。
 かつて付き合っていた人のことを思い出す頻度が高くなってきた。その中には、一度だけの、しかもプロである綾香のことが含まれているのも不思議なことだった。
 それぞれの女性には、皆違った特徴がある。それが個性なのだが、一人のことを思い出していると、他の女性の面影が見えてきて、さらにその人を思い出す。性格もまったく違っているように思っていても、実は微妙に違っているだけで、皆似ているのかも知れない。
 同じ人間が好きになるのだから、似たような人を好きになるのは当たり前のことで、まったく違っているように見えても、探して見れば共通点は多いだろう。
 和代と別れてしまった時のことを、今、思い出そうとしていた。和代とは、別れが突然にやってきたかのようにあの時は思えたが、実は、その予感は、最初から燻っていたのかも知れないと思うのだった……。

「自分のことを知っている人が減ってきているような気がする」
 いきなり別れを告げられ、青天の霹靂だったが、後からいろいろな話が入ってきて、その理由が分からなくもないと思うようになっていた。
 和代が横田を意識していたのは、事実であって、意識していたところに、横田が現れたのだろうと、思うようになっていた。
 あの時に別れが訪れなければいけなかった理由、それは、五郎では、和代の心の中の溝を埋めてあげることができなかったということだ。ただ、五郎からすれば、和代の心の中の溝を埋めてあげられる人は、その時に誰もいなかったのだ。横田にはすでに不可能であったし、それができるはずの唯一の相手が五郎だったのだ。
――僕にできなければ、他の人にできるはずなどない――
 こればかりは、自信過剰ではなかった。ただ、逆に五郎だから、ダメなのかも知れない。それは横田が不可能であるのと理由は違えども、考え方としては似たところにあるのではないかと思うのだった。
 今から思えば、和代と喧嘩が絶えなかった理由の一つは、彼女の中の横田の存在を消すことができなかったからかも知れない。和代は横田の話を五郎にしてくれた。最初に感じた和代の性格からは、考えにくいことであった。それなのに、話をしてくれたのは、和代の中に、ある種の「覚悟」があったからに違いない。
 和代と横田の話は、まわりの人間には分かっていることであって、話をタブーとしていたのは、暗黙の了解だっただろう。中には面白がって、話をする人もいるかも知れない。秘密にされればされるほど、話したくて仕方がない人というのは、いるものである。
 横田のことは、まわりの人も腫れ物に触るような気持ちだったに違いない。和代と五郎の行く末を皆がそれぞれの思いで見ていたはずだ。
――うまく行ってほしいわね――
 という殊勝な気持ちを持っていてくれている人、さらには、
――いつかそのうち別れるわ――
 と、横田の時のように、別れを期待(?)してしまう人、こういう人ほど、事情も分からずに勝手に判断して、自分の中でそれを好奇心だと思い、色眼鏡を使って見てしまう人である。
 また、傍観者を装い、うまく行っても別れても、その時の流れで、話に参加しようと思っている人、それぞれではないだろうか。
 五郎は自分のことを、その中では一番最後のパターンだと思う。一番害がないようであるが、ただ、それほどものごとに関心を持たないタイプなのだろう。
 当事者になってみると、横田の存在がどうしても気になっていた。ある日を境に和代の態度が変わってしまったからだった。
 和代に告白し、和代から付き合いたいという返事をもらったあの日から、気になり始めたのは、三か月ほど経ってからのことだった。
 次第に明るくなってきた和代と、いよいよ将来のことについて考えなければいけないと思い始めた頃で、五郎の中は複雑な気持ちになっていた。
――まだ遊んでいたい――
 という思いがあった。
 遊んでいたいというのは、和代と二人の恋愛関係を保っていたい。このままがいい。という思いがあるからで、結婚を考えて、一緒になってしまうと、今の時期はもう戻ってこないという危惧があったからだ。
「結婚は人生の墓場だ」
 と、言われているのは知っていた。もちろん、結婚したわけではないので、何が墓場なのか分からない。
 結婚してしまえば、一人の女性に縛られて、他の女性を見ることができないというのが一番の理由であるのだろうが、五郎には浮気癖があるわけではない。最初から分かっていることなので、自分には墓場などという言葉は当てはまらないと思っていた。
 和代と一緒にいる時、まわりの女性が気にならないというわけではない。むしろ比較してみて、新鮮に見える女性もいる。目で追ってみたりすることがあるが、それは五郎のくせのようなもので、浮気癖とは種類の違うものだ。
 それも和代には分かっていることだ。
 街を歩いていて可愛い女の子がいたりすると、思わず目を向けてしまう五郎に対して、
「ほら、また」
 と言って、ふくれっ面を見せ、五郎の頬を軽く撮む。そんな時の和代の顔には、幾分かの笑顔が浮かび、責めているように見えるが、五郎にはじゃれあっているようにしか思えない。五郎に浮気癖がないことは、和代には分かっている。
「五郎さんの視線は病気のようなものよ」
 と、浮気癖との違いを、そういう表現で表してくれる。分かってくれている証拠だろう。
「でも、浮気癖も病気じゃないかな?」
 と、浮気癖という言葉をハッキリ口にしても、
「そうね」
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次