墓標の捨て台詞
と、劣等感とは程遠い感覚で、さらには、爆発しても、いつものような推奨間などありえないと思うほどだった。
これによって快感が増幅させられ、たっぷりあるはずの時間があっという間だったように思えるほど、時間の充実にも繋がっていくのだと思えてきた。
その時に相手をしてくれた綾香のイメージが、隣の部屋に住んでいる女性と頭の中でダブってしまっている。どこが似ているのかと言われると、ハッキリとしたことは言えないのだが、漠然と、優しさが感じられるところだった。
優しさというのは、漠然と感じられるものなのだろうか?
以前、優しくしてくれる人のことを全面的に信じたことがあった。
――優しくしてくれる人に悪い人はいない――
少しでも客観的に見ることができれば、世の中そんなに甘くないという考えが浮かんできてもよさそうなのだが、優しさに包まれてしまうと、まわりが見えなくなってしまい、それが、委ねる気持ちに変わってしまうのだ。
五郎は、誰かを慕うことはあっても、委ねることは怖いことだと思っているが、その気持ちはこのあたりから来るのかも知れない。だから、自分を慕ってくる人には暖かく迎えてあげたいと思うが、委ねようとしてくる人間には、客観的に立って見るようにしている。
なるべくそんな連中と、関わり合いにならない方がいいと思うようになった。
綾香のことを思い出しながら、里穂の部屋にいると、コーヒーの香りが充満してきたことに気が付いた。五郎が物思いにふけっているのを、里穂は何も言わずに見つめているだけだった。
里穂の目は大きい。綾香の目も大きいと思っていたが、さらに大きくて、
――これだけ大きいと、ハッキリとしたモノが見えてくることだろう――
と思うようになっていた。
――正しいことだけが見える目を持つことができればいいのに――
と思ったことがあった。
正しいことばかり見える目を持っていれば、間違った道に足を踏み入れることはないという考えだが、これがどれほど安直な考えなのかということに気が付いたのは、ごく最近だった。
香織と知り合ってからかも知れない。
だが、最初に正しいことばかりが見えればいいのにと感じたのは、綾香を知ってからだった。
この思いが大人になった感覚と結びついて、五郎には新鮮な感覚だった。
――綾香が、僕を大人にしてくれたんだ――
今思い出しただけでもときめいてくる。
――今まで一番好きだった女性は和代だと思っていたが、それは間違いだったのかも知れない――
どうして和代を一番好きな女性だと思ったかというと、一目惚れだったからである。一目惚れしたことに理由などないのだろうが、どこか和代には、人に言えない境遇があり、そこが自分の感覚に似ているところがあったからだったと思う。勘違いだなどと思ったことはなかったのに、今さらどうしてだろう?
今感じるのは、和代を見た時、
――初めて会うような気がしなかった――
というものだった。
里穂と一緒にいることで、綾香を思い出した。今思えば、綾香のような女性を本当は好きだったのかも知れないと思うのも、無理のないことだ。
初めて会うような気がしない相手というのは、それだけ自分の中に思いを抱いている人がいるからで、その人が綾香であるのだが、和代に感じた面影のある女性のことは、なぜか思い出せない。
それが誰なのかというのはもちろん、いつ頃のことだったのか、ということすら、ハッキリとしない。
きっと子供の頃のことに違いないが、相手が大人の女性だったのではないかという思いが頭を過ぎる。
それはたまに夢に見るからだ。
大人の女性に連れられて、知らない家に入っていく。家は豪邸で、大きな屋敷に彼女と、召使いのような老人と、さらにはメイド服を着たおねえさんもいたっけ。
おねえさんと比較すると、彼女は、いつも真っ白い服に真っ白い帽子、いかにもお嬢様だ。判で押したようなシチュエーションに、それが夢であることを悟らせる。
メイド服のおねえさんは、子供っぽい服装ではあるが、大人の色香を感じさせた。おねえさんは、逆に清楚な雰囲気での大人の魅力を感じさせる。子供の五郎には、眩しすぎて、目のやりどころに困ってしまった。
「どうぞ、召し上がれ」
テーブルの上に、たくさんのお菓子やケーキが置かれている。今まで見たことがないようなお菓子だという思いと、こんなにたくさんのお菓子を見たことがないとう思いとが交錯していた、
家では毎日お菓子の時間があって、おやつをもらって食べていた記憶があるが、満足できるような量ではなかった。中途半端で、却って欲求不満が溜まりそうなくらいだった。
だが、その時に見たおいしそうなお菓子は、ちょっと口にしただけで満足ができそうなほどの高級感であった。フルーツや、チョコ、クリームがふんだんに使われていて、いかにも贅沢な食卓であった。
――食後のデザートであれば、これほど贅沢なものはないだろう――
高級レストランでの食事をイメージしていた。その時の最後に出てくるデザートは、一度食べたら、忘れられなくなりそうだ。
元々、ここのおねえさんとの出会いは、公園で一人でいると、
「おいしいお菓子があるわよ。いただいてみますか?」
と、声を掛けられたのが最初だった。
五郎は、時々一人で公園にいることが多い。たまに、誰かに見られているような気がしていたが、それがおねえさんだったのかも知れない。
公園で一人でいる時、誰かから声を掛けられることを期待していた自分がいたように思う。それは、この時の記憶が残っていて、また声を掛けられたいという思いからなのだろうが、記憶の中ではどうも、おねえさんに会う前から想像していたことのようだ。
ただ、思い出そうとすると、今まで知り合った女性の中に、彼女ほど清楚な女性を感じたことはなかった。今まで感じたことのない女性だと、今は思っているほどだ。
それは夢だったのだと今では思っている。だが、舌に残る絶品の味は、忘れることのできないもののようだ。
おねえさんの記憶は、食卓での記憶しかない。
「おいしい食べ物をくれるおねえさん」
というイメージが頭の中にこびりついているのだ。
テーブルの上に置かれたティーカップ。あの頃は知らないのも当たり前だが、タータンチェック模様が、派手でもなく地味すぎることもなく、綺麗な幾何学模様を映し出していて、五郎には、模様が一番印象的だったようだ、
自分が犬になったような気がした。そして、
――犬になるのもいいかも知れないな――
と、初めて感じたことだった。
五郎が和代と一緒にいる時にも、同じようなことを感じたような気がする。
――犬になってみたい――
黙って一緒にいるだけで、おいしいものを与えてくれる。その思いを初めて和代に出会った時に感じた。
だが、それがその時だけだった。その後は主導権を握るのは自分で、和代には慕ってもらえれば嬉しかった。
だが、今から思えばその時に感じた「犬」というイメージは今考える犬と同じものなのだろうか。