墓標の捨て台詞
風俗が初めてだということは、先輩にはすぐに分かったはずだ。五郎の気を落ち着かせるためだと思ったのか、連れていってくれた喫茶店がコーヒー専門店だった。その店は店内にはクラシックが流れていて、調度も結構暗めである。ソファーも深いので、眠ってしまいそうになるが、ぐっと堪えて、先輩と正対するのも結構きつかった。
部屋の中はかなり暑かった。
「お前、顔が真っ赤だぞ」
そう言われて、反射的に手を顔に当てたが、それを見て先輩は、してやったりのしたり顔になった。先輩の術中に嵌ってしまったかのようで、少し悔しかったが、次の瞬間には笑みが毀れてきて、却って緊張の糸がほぐれたようだ。
――さすがに先輩は緊張感を和らげるのが得意だな――
と感じた。
緊張感は、和らげられると、和らげてくれた人が、これからの自分の緊張感をコントロールしてくれるものにように思えてくる。自分が感じる緊張感ではありながら、人が介在することで、その人への信頼感が増してくると思うのは、勘違いであろうか。
先輩は、時々突飛なことを言いだすが、それも豪快な性格のせいだと思うと、さほどビックリもしない。それに先輩のいうことにあまり大きな間違いがあるわけでもない。一緒にいて大きなけがをすることもないだろう。
もっとも、そんな打算的な思いで先輩と一緒にいるわけではないが、一緒にいることで、自分だけでは味わえないことを体験できると思うとワクワクしてくる。
「そろそろ行くか?」
先輩について立ち上がるが、その時、先輩も心なしか震えているのが見えたのにはビックリした。
――ひょっとして、先輩も緊張している? 先輩も緊張するようなところに僕はこれから行くんだ――
と思うと、さっきまでの依頼心は薄れてきて、自分がしっかりしないといけないと思うようになった。
これから以降、五郎は先輩を尊敬し一目置いていることには変わりないが、その中でも慕う気持ちは残っているが、委ねる気持ちは薄れていった。そこが自分の成長名のかも知れないと五郎は感じたのだ。
先輩に連れられて入った店、想像していたよりも綺麗だった。色合いは淫らな雰囲気を壊さないようにしながら、清潔感を醸し出していて、高級感というのは、清潔感から溢れ出てくるものだということを改めて感じさせるものとなった。
「いらっしゃいませ」
タバコを勧められたが、タバコを吸わない五郎は丁重にお断りし、ソファーに腰を沈めた。これから起こることに思いを馳せていると、大学時代に行こうとして途中で逃げ出したことを再度思い出した。
――あの時に行っていれば、どんな女性が相手をしてくれたんだろう?
どんなサービスがあるかも知らないにも関わらず、勝手な想像で、思いを逸らしていた。本気で逸らしたつもりはなかったが、いつの間にか気分は、数年前に戻っていて、今ここで目の前にその頃の自分がいて、それなりの緊張感から固くなっているが、キョロキョロと周りを見渡している自分を想像してしまうのだった。
「はじめまして、綾香です。どうぞ、こちらに」
と言って、ひざまずいて、なかなか顔を上げようとしない女性がいた。上から見下ろす感覚が、すぐに快感に変わり、丸くなっている姿が小さく見えた。自分がまるで王様にでもなったかのような感覚は、この部屋ならではなのかも知れない。
相手の女性は、写真で選ぶことができるが、五郎はなかなか選ぶことができなかった。言い方は悪いが、高い買い物をするのに迷わないわけもないと思っているので、何も不思議ではないが、
「そんなに迷ったって一緒だよ。第一印象で決められないのなら、俺が決めてやる」
と言って、
「じゃあ、この娘で」
と、先輩が勝手に決めてしまった。
別に悪いわけではない。決断力がないのは、五郎の悪いところだ。それを優柔不断という言葉で片づけてしまうのは、この場合適切であろうか? ただ、選んでくれた女性は、見た目気が強そうで、五郎のタイプではないと思えたが、顔を上げた瞬間に見た笑顔には、癒される気がしていた。
綾香の声は擦れていて、ハスキーボイスだった。大人の雰囲気を漂わせる女性にはえてしてハスキーボイスが多いと思っていたので、ビックリはしなかったが、果たして自分のタイプかと聞かれると、ハッキリと明言できるまでには至らなかった。
その頃はまだ、あどけないタイプの女性が好みで、大人の色香を漂わせる女性は苦手だと思っていた。
バカにされるのではないかと思ったからだ。
大人しいあどけなさの残る女の子だと、決してバカにされることはないという甘い考えだったが、そんなあどけない女の子から、もし相手にされないようなことを言われたら、立ち直ることもできないほどに撃沈されるかも知れない、
綾香は、立ち上がると、五郎に抱き付いてきた。ビックリして一瞬たじろいだが、もちろん悪い気はしない。
「まあ、可愛い」
五郎は、自分があどけない女の子が好きな理由を思い出して、一瞬可愛いと言われるとムッときたが、すぐに顔が綻んだ。腕にしがみついて、離さないその態度は、しかみついている手を、
「これは私のモノよ」
と言わんばかりに必死にしがみつく姿を見ていると、可愛らしく思えてならない。
――お互いに可愛いと思っている関係というのも悪くないかな?
と、身体全体がむずがゆい気分にさせられた。
――裸になるのもいいけど、もう少し、このまま一緒にいたいな――
という気持ちを察したのか、綾香は五郎の服を脱がせようとはしない。目線は絶えず五郎よりも下で、決して見上げようとはしない。口元が怪しく歪み、会話がそこで途切れると、綾香はすかさず唇を塞いできた。
「うっ、うっ」
一瞬、呼吸ができなくなるほど、綾香は吸い付いてくる。五郎も負けじと吸い付くが、それ以上に、身体を求めている自分がいることに気付かされる。
ただ、それは自分の隙間を埋める思いであって、淫らな気持ちではない。お互いに腰を抱き合いながら、隙間を埋めようと必死になる感覚は、自分が求めている女性すべてに共通していたことだった。
綾香が吐息を漏らす。その時は、本当に女性は気持ちいいと声を出すのかという疑問が頭の中にあったので、漏らした吐息が、どこかウソっぽく感じられたのだ。
友達の家で初めて見たAV、自分でも密かに借りて、一人で見ていた高校時代が、懐かしいやら情けないやらで、照れ臭い思い出の一つでもあった。
「綾香さん」
「あん、嬉しいわ」
興奮してくると名前で呼ぶ癖があるのか、それを綾香は悦んでくれている。生まれて初めて、女性に喜ばれた気がして、さらに五郎は有頂天になった。
それまでの五郎は女性から鬱陶しがられることはあっても、喜ばれることなど皆無だった。付き合いたくない男性のランキングがあれば、きっとベストスリーに入ってしまうのではないかと思うほど、自分に自信がなかった。
自分に自信がなかった理由の一番大きな理由は、異性に興味を持つようになったのが、他の人に比べて遅かったからだろう。晩生というべきか、本当に女性を気にし始めたのは、中学三年生の終わりか、高校に入ってからだったか、とにかく微妙だった。