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墓標の捨て台詞

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 気が付けば次第に皆から遅れていく。大きくなっているのだから、皆の歩幅は自分よりも大きいのは当たり前で、何とか遅れないでついていくのがやっとだった。
 人の背中の大きさは、その人の技量だと思っていたので、その時も黙ってついて行きながら、
――僕は間違っていないんだ――
 と、言い訳だと思わないように、言い聞かせていた。それこそが言い訳になることを分からずにである。
 さっきまで足早だったはずの皆の足が急にゆっくりになった。思わず、そのまま誰かの後ろにぶつかりそうになっていた。
 その時、皆の姿が元に戻っているのを感じた。皆は前を見ながら、何かを躊躇っているようだ。
 すると、誰かの罵声が聞こえてきた。最初に行こうと言い始めたやつだったが、何か不満を漏らしているようだ。不満をぶつけられた方を見ていると、思ったより堂々としている。五郎は意見を一方的に言われている人を見ると、どういう内容であれ、押されているようにしか見えず、言い返すことをしないと、言い返せないほどに押されていると思い、その人は技量の小さい人だと思い込む方だった。
 だが、その時のその人は、押されていながら、どこか堂々としていて、一歩も引いていない。押している方が無理難題を押し付けて、自分が情けない人間だということを宣伝していることがわがままに繋がっていることを分かっていない。
「道の真ん中で、喧嘩なんてみっともないぞ」
 一人が割って入った。喧嘩になりかかっていたところを寸前で止めたというところだが、諌められた方は、まだ不満が燻っていたが、それ以上文句を言おうとはしなかった。ここで揉めてしまえば、気持ちが萎えてしまって、せっかく盛り上がっている流れに水を差してしまう。それは避けたかったのだろう。
 それにしても、五郎にはその人の姿しかまともに見えなかった。他の人は後ろ姿だけで、こちらを振り向こうとはしないのだった。
 争いに割って入った人も、見たことがない人だった。友達同士で出かけているので、知らない人が混じっているはずもないのに、どうしたことなのだろうか。
 そのうちに荒い息遣いが聞こえてくる。最初は一人だけだったのだが、次第に複数になっていって、それが人数分になったかと思うと、さらに増えてくるように感じられた。
――一体、誰の息遣いなんだ?
 自分の錯覚だと思えばそれだけのことなのだろうが、錯覚だと思いたかった。錯覚だとして隠してしまうと、いずれ、その思いが自分に降りかかってくるように思えてならなかったからだ。
 息遣いは、次第に多くなっていったが、ある一点を超えると、今度は減って行った。息遣いが重なり合っていくような感じだった。一人一人の息遣いが違い、線上に重なる一瞬だけを聞いたのではないだろうか。まるで数種類あるバイオリズムのカーブが、一瞬だけ重なってしまうかのようにである。
 しかし、一瞬重なったら、今度は少しずつ離れて行くはずなのに、一向に離れていく気配を感じない。
 息遣いは数人のものが一緒になってハーモニーを描いていたはずなのに、一種類と化してくるかのようだった。声だけが大きくなり、その声には切なさが込められてるかのようだった。
 その声が女ではないかと思えてくると、興奮が高まってきた。これから行くであろう場所でも聞けるのかと思うと、ドキドキして、心臓が破裂しそうな感じである。
 言い争いはいつの間にか終わっていて、今度は誰も口を開く者はいなかった。歩くスピードはゆっくりで、計ったようにゆっくりと歩を進めている。
――なんて気持ち悪いんだ――
 まるで死者を運ぶ儀式のように誰もが口を開こうとはせず、歩く姿も、誰が誰か分からないほど、同じだった。
 体格まで同じに見えてくるようで、さっきまで体格のいいと思っていた人までが、やつれてきているように見えた。
――こんな連中と一緒に行ったら、何が起こるか分からない――
 と思い、戸惑っていると、一人が急に悲鳴をあげた。
「どうしんだ?」
 と一人が声を上げたが、他の連中は何もなかったかのように歩いていく。取り残された人を庇いながら、こちらに顔を向けると、さっき喧嘩の仲裁に入った人だった。
――ここでは、この人だけがまともなんだ――
 と思ったが、自分もおかしくなっていると分かっていた。誰もが信じられなくなると、本当は最初に信じられなくなるのが自分であるということを、今ここで知ったような気がしたのだ。
 その時、一つの影が、動いた気がした。脱兎のごとく誰かが駆け出したのだが、それは、先ほど喧嘩をしていた一人だった。
 血相を掻いて駆け出していく姿が見えた。それは一瞬だけこちらを振り返ったからだったが、それを見た瞬間、五郎は急に臆病風に吹かれた。
 その男の後ろを追いかけるようにして逃げ出したのだ。
 後ろを振り返ることなく必死で逃げた。どこをどう走ったのか分からないが、怖くて逃げだした。
 そのくせ、頭の中では、
――明日、皆にどんな顔をすればいいんだ――
 と、余裕などないはずの頭で考えていた。
 考えてみれば、さっきいた連中は誰も知らないと思っている連中ではないのか。どこをどう間違えたのか、ついていく相手を間違えってしまったのかも知れない。他の連中は、今頃楽しい思いをしているかも知れない。それを思うと、無性に腹が立ってきた。今まで怖がっていたはずなのに、その思いはどこに行ってしまったのだろう?
 息が切れて、走れなくなると、自分が一体どこにいるのかが、また分からなくなった。目の前に角があり、とりあえずそこを曲がると、
「なんだ」
 思わずホッとした気持ちになったのは、なんだかんだ言っても、結局は戻ってきていたようだ。目の前にあるのが、自分の家だったからだ。
 ホッとして落ち着いてみると、今度は、不快感が現れてきた。
 その日、五郎が他の連中と一緒に風俗街に足を踏み入れようとしていたのは、家で面白くないことがあったからだ。親とはいつもいがみ合っている時期で、その時も些細なことから口論になり、いまだむしゃくしゃが治らない。そんな状態で家には帰りたくなかった気が付けばその場から立ち去っていた。
 家の近くの公園で、しゃがみこんでいると、時間が経つのがやたら遅く感じられ、気が付けば疲れ果てていて、気分的にはどうでもよくなって家に帰った経験があった。
 こんな思い出は忘れてしまいたかったが、せっかくの風俗に行けるかと思っていた気持ちはいまだに残っている。そして、本当に連れて行ってくれた先輩。
「お前はどうも風俗に対して越えなければいけない何かがありそうだ」
 と言われ、ドキッとした。まるで見透かされているようで、怖いくらいだったが、先輩に言われるのであれば、心配することはなかった。全面的な信頼を持てる人が先輩であり、安心感をいつも与えてくれていたのだ。
 その先輩が、五郎を風俗に連れて行ってくれるという。嬉しい思いと、以前の思い出とが交差して、複雑な気持ちになっていた。ただ、先輩に任せておけばいいのだという気持ちに変わりはなく、あまり余計なことを考えないようにしていた。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次