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墓標の捨て台詞

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 そのおかげで、見たくない思い出を必要以上に見ることができないで済んでいるが、人生を半分近く過ぎてしまっていることに愕然としてしまうこともある。それまで感じたことのない人生の長さを意識させられてしまうのは、それまで知り合っては別れてきた女性たちも、自分に対して同じことを感じているかも知れないと思うのだった。
 女性と別れるたびに、馴染みの喫茶店が増えていく。そして、過去に別れた女性と付き合っていた時に持っていた馴染みの店に、足が遠のいてしまい、そのうちに行かなくなってしまうようになっていた、時間の経過とともに、思い出の風化が進んでいることを表していた。
 思い出の風化は、春が多かった。春は出会いの季節でもあれば、別れの季節でもある。五郎にとって春は、出会いというよりも別れが身に沁みついた季節で、散った花弁は二度と元のさやには還らないことを示していた。
 春に離婚してから、友達の敦美と別れるまでの数が月、夏のような暑さの日もあったが、別れた頃は、梅雨の肌寒さから抜けても、例年のように一気に暑くならない、そんな時だった。
 しばらくは女性と付き合うことはなかった。女性と知り合う機会が以前ほどはなくなり、落ち着いた生活だったのだが、心の底では寂しいと思っていた。
――身体が寂しいと思っているのだ――
 暖かさを感じなくなってきたことで、自分の身体自体が熱を帯びてきたのではないかと思うようになっていった。別れた季節が春だったが、身体の感覚がマヒしていたように感じたのは、ショックを受けた時の自分の身体が熱を帯びていたからなのかも知れない。春という季節を、それまでの出会いを期待する暖かさを感じさせる季節から、身体の感覚をマヒさせる別れの季節にさせたのは、度重なる別れの中で、今まで感じたことのない身体の寂しさを、思い出の中に封印させようとしていたからではないだろうか。
 暖かさを求めるようになってから、コーヒーの暖かさを感じていたいと思うようになった。喫茶店で飲むコーヒーもいいが、家で淹れるコーヒーもまんざらでもない。コーヒー専門店に立ち寄るようになってから、自分でもコーヒーを淹れるためのセットを買い揃えたりしたものだ。
 五郎は、何度目かの転勤の間に、課長に昇進していた。年功序列だとすれば、普通であるが、本当は課長になどなりたくはない、平凡に会社に行って、仕事をするだけでよかった。
 仕事が終わっての帰り道、最近見つけたコーヒー専門店。中でゆっくりとコーヒーを飲んで、自宅用の豆も買って帰る。いつも接客をしてくれる女の子が最近辞めたらしく、新しい娘が相手をしてくれるが、先日家の近くでぱったりあったことがあった。
「このあたりにお住まいですか?」
 お互いに、顔を合わせると、ビックリした表情になったが、すぐに笑顔を見せて、どちらからともなく訊ねた。
 その表情は、懐かしい人にでもあったかのような笑顔で、安心感が感じられた。
「安心感を感じるというのは、こんなにも笑顔にさせてくれるものなのか」
 と思ったほどだ。
「ええ、すぐそこなんですけどね」
 と、言って指さした方向は、五郎の住んでいる家の方向でもあった。
 男やもめの一人暮らし、さほど広い部屋がいるわけでもない。駅から十分ほどのコーポであれば、ちょうどいいくらいだろうと思って部屋を選んだが、引っ越してきて三か月、不満など何もなかった。
 五郎が転勤になってから、二年が経ったが、それまでは、会社の社宅に住んでいた。この間課長になったのを機に、社宅を出てみようと思ったのだ。
 それまで何か所か転勤になったが、社宅があるのはここだけだった。
「社宅があるから」
 ということで、家賃もかなり安かったので魅力だったが、一年以上もいると、さすがにまわりが会社の人間では疲れてくる。
 不動産屋を訪れるのは久しぶりだったはずなのに、
――まるで昨日も来たような気がする――
 と思うほど、転勤するたびに訪れていたのだった。
 それだけ転勤の回数も多いということだが、それよりも、定期的に転勤を繰り返しているという方が、たびたび転勤を繰り返している感覚になるのだろう。ほとんど、三年で転勤というパターンで、会社内でもここまで転勤の多い人もいないのではないだろうか。
 社宅に住んでいると、どうしても、前に住んでいた人がどんな人か思い浮かべずにはいられない。他で部屋を借りるのも同じことなのだが、同じ部屋に住んでいた人が、同じ会社だったと思うと、
――会社を離れてまで――
 と思うと、余計に会社の人間と接するのが億劫になってくる。
 社宅を出ると、今度は、なるべく会社から近くない場所に部屋を借りたくなった。と言っても、通勤に一時間以上掛かってしまうのも困る。電車で三十分、駅を降りてから帰り着くまでに十五分、これを基準に探した。
 電車で三十分を少し超えるくらいは何とかなるが、徒歩十五分以上はさすがに厳しいと思った。あまり遠くなると、坂道があったり住宅地があったりと、あまり通勤に景色が変化するのも却って疲れるというものだ。
 電車に乗っている時間は大体二十分、十分すぎるくらいの許容範囲であった。駅から家までは、許容ギリギリの十五分、これもクリアであった。
 コーポは住宅地の入り口にあり、ちょっと行けば大通りに出るので、コンビニや飲食店も揃っている。まわりの環境としては、文句はないだろう。
 引っ越してきてすぐ、休みの日に近くを散策し、休日は人通りが多いかと思ったがそうでもないことが嬉しかった。大通りから少し外れたところには、飲食店も揃っていて、その奥には飲み屋があったり、さらに先には喫茶店もあったりした。
 喫茶店は、家からかなり歩かないといけないので、あまり馴染みにしたいとは思わなかった。せめて家から歩いて十分くらいにあればいいのだが、その店は二十分近くかかる。これでは駅までよりも遠いではないか。
 会社から帰りに見つけた喫茶店、ここは会社への通勤路ではなかった。人通りが多いところにあるわけではなく。少し入り込んだところにある。なるほど、馴染みの固定客で持っているお店なのかも知れないと思うと、
――入ってみたくなるのが人情だ――
 と、馴染みの店を見つけるのがうまい以前の自分を思い出していた。
 馴染みになって、そろそろ一年が経とうとしていた。週に三回くらいは立ち寄っているが、毎日来ている人に比べれば、まだまだだった。ただ、馴染みの人は、近くの商店街の中にあるブティックの店長で、勝手に作った休憩時間を利用して、コーヒーを飲みに来ている。
「いつ来てもいますね」
 と、皮肉を言いたいくらいで、完全に店の主になっている感覚だ。
 五郎は、その人と気が合った。まったく違う仕事をしている相手ということで、気分転換にもなるし、同じ仕事の人との会話にウンザリしている二人だけに、いろいろな知恵や知識を得ることができるようで嬉しかった。
 ブティックの店長は五郎に、普段味わえないサラリーマンの感覚を味わえ、五郎とすれば、店長から、ニュースや仕事の業界以外からしかもたらされない話題を手に入れることができるのがありがたかった。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次