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墓標の捨て台詞

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 五郎は、二人とも知ってしまったことで、余計にいやらしい関係が現実味を帯びてきた。
 五郎は、敦美で、清楚な雰囲気の女性から滲み出る暖かさやゆとりを感じた。そして、友達からは、淫靡で妖艶な雰囲気を感じることで、いやらしさと、わざとらしさのない本音の男女の関係を知った。どちらがいい悪いの問題ではない。自分がその時にどちらを求め、相手も五郎を求めていれば、お互いの気持ちが倍増するだろう。だが、今の五郎にはどちらが強いかと言えば、敦美ではないことは確かだった。
「敦美と違って、君は本音で僕を愛してくれる」
「当たり前よ。あなたたちを見ていると、じれったくなってくるもの。結婚したって言っても、結局交際期間の延長じゃないの」
「そうかも知れない」
「私はそんな慣れ合いのような結婚生活なら、結婚なんてしなくていい。こうやって本音で愛し合っていければそれでいいと思っているのよ」
「潔い生き方だと言ってもいいのかな?」
「そんな格好のいいものじゃないわ。それに私の生き方に人を巻き込みたくないというのも本音なのよ。相手が求めてくるのであれば、私は拒まないし、お互いに気持ちが充実していれば、愛し合っていることに変わりはないわよね」
「僕は離婚した理由がずっと分からなかった。でも、まさか、僕に浮気の疑いを掛けているなんて思いもしなかった」
「疑いを掛けられるんだったら、最初から浮気をしておけばいいって?」
 彼女の質問にはいちいち棘があり、返答に困るものが多かった。考えあぐねていると、
「あなたにはそんな勇気、ありそうもないわよね。それがあなたのいいところなんだけれど、でも、私はそんなあなたが一番好きだし、一番嫌いなところでもあるのよ。短所と長所は紙一重っていうけど、好きな人のことはよく分かるわ」
 好きな人だと言ってくれて嬉しい。
 そういえば、五郎は敦美から、
「好きだ」
 と、言われたことがあっただろうか?
 五郎は、敦美に対して好きだという言葉を言ったことはあったように思う。それも気持ちが高ぶっている時に、感極まった気持ちで口走った言葉だったかも知れない。その言葉を敦美が覚えているかどうかも定かではない。
 それだけ、お互いの言葉をハッキリと覚えていないということである。確かに
――僕と敦美の間に言葉なんかないんだ――
 という思いはあった。
 本当に好き合っている者同士であれば、言葉などなくとも、気持ちが通じ合っていれば、強い絆で結ばれるんだと思うからである。
 五郎の中で、敦美に対して甘く見ていた部分は多大にあるだろうが、それ以上に、自分がどれほど愛していたのかが分からなくなっていた。
――和代とのことが頭の中にあるのかも知れない――
 和代からは、別れの時に、かなりきついことを言われた。
「あなたは、口ばかりで、何もしてくれない。そして、都合が悪くなるとすぐに黙り込んでしまう」
 と言って、罵倒されたのだ。
 それ以上はあまり言わなかったが、かなり今まで抑えていたのかも知れない。
 ただ、五郎には、何をそこまで言われなければいけないのか分からなかった。横田という人と比較されていたのかも知れないが、それだけだろうか? 和代が五郎に対して、過大評価をしていたのかも知れない。
 和代のことは、過去の人だと思っていたはずなのに、思い出すということは、それだけ敦美という女性が、それまで一番付き合いやすい人であったはずなのに、今では顔を思い出すだけでも恐ろしい存在になってしまっているということである。
 和代に対しても、敦美に感じたように、甘く考えていたのを思い出した。
――それだけ、僕は同じことを繰り返しているということなのか――
 和代のことを思い出すのは、同じことを繰り返しているという意識もあるからなのかも知れない。
 和代と敦美を比較するのはいけないことなのかも知れない、だが、五郎は比較しないわけにはいかない気がして仕方がなかった。
 和代に対しては、今までで一番好きだった相手だと言えよう。その証拠が一目惚れだということだ。
 敦美に対しては一目惚れではなく、今までにないほどゆっくりと、しかし確実に好きになっていったように思う。
 和代の時には、若さに任せた情熱があった。それを和代も分かったので、付き合ってくれた。しかし、次第に最初の情熱のわりに。行動力や結果がついてこないような男性に愛想を尽かせたのではないかと思うと、和代の気持ちも分からなくはない。
 そんな五郎は、敦美と付き合う時には、情熱的なものを抑えていた。情熱的に好きになる相手ではなかったというのが本音なのかも知れないが、敦美はそれだけ何でも分かっているような女性で、燃え上がることがないだけに、雲をつかむようなところがあった。まるで、
――暖簾に腕押し――
 のような感じて。押しても返ってくる反動がなく、寂しさが残ることもあった。
 本当は、女性が男性に感じる感覚なのかも知れない。
 時々、敦美が男性っぽいところがあると思うことがあったが、頼もしさを感じることで、自分が楽な立場に置かれているような錯覚を感じるのだった。
 敦美が友達とよからぬ関係にあるのではないかと感じたことを思い出した。男性役を演じているのは敦美だったのかも知れない。妖艶な友達が、敦美の前で従順になる。そんな構図を思い浮かべて、五郎は、ゾッとしてしまっていた。
――こんな想像、してはいけないんだ――
 と思ったが、友達の誘惑に乗ってしまった自分に、それを言う資格はない。だとすると、五郎の浮気を疑って、離婚に走るというのは、少し変ではないだろうか。虫が良すぎるというよりも、もし敦美が男性としての部分を隠し持っているのだとすれば、五郎は敦美にとってどんな存在だったというのだろう 少なくとも結婚生活がうまく行っている時は、敦美が「もう一人の自分」に気付くことはなかったのだろう。
 五郎にも、「もう一人の自分」がいる。誰の中にももう一人の自分は存在し、表から見つめていることで、制止が効くこともある。敦美は「もう一人の自分」の存在に気付いた時、何を思ったことだろう?
 正式な離婚が決まる前から、友達とこんな関係になってしまったことで、五郎は敦美の言う通りになってしまったことに、後悔はない。
――遅かれ早かれ、敦美とは離婚することになったのだろうし、彼女との関係も、なるべくしてなった――
 と思うのだった。
 しばらくは、彼女と付き合うことになるだろうという思いを抱きながら、完全に時間に流されていた。敦美と別れたことへの後悔などないはずなのに、どこか放心状態である。
 三か月ほど付き合っただろうか。敦美との交際期間を思い出すことも多かったが、比較になるものではなく、お互いに好きあっていた頃が懐かしかったが、彼女との交際を「大人の交際」だと思うのなら、敦美との交際期間が、さらに短く感じられるのだった。
 敦美の友達、彼女の名前も実は敦美という。ただの偶然だったのだろうか……。

「自分のことを知っている人が減ってきているような気がする」
 三十五歳を超えると、今までの思い出は、いつくかの壁を越えたかのようで、襖のような扉を開けないと、見ることができないものになっていた。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次