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墓標の捨て台詞

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 最初の赴任地でできた女性の友達が数人いたが、皆年上だった。馴染みの喫茶店ができたのだが、そこのウエイトレスであったり、常連客であったりする。学生時代から馴染みの喫茶店は作っていたが、田舎町での馴染みの喫茶店というのは、イメージが違って感じられた。
 喫茶店には暖かさがある。学生時代から感じていたことではあるが。社会人になると、仕事が終わっての自分の時間、メリハリがついて、落ち着いた時間を感じることができる。
 就職してから、五郎は本を読むようになった。
 学生時代にも読んでいた時期があったが、社会人になってから読むのとでは、かなりイメージが違う。趣味というほど大げさなものではないが、仕事の疲れが、いい意味での気だるさに変わり、落ち着いた気分にさせるのかも知れない。
 読む本は、恋愛モノが多い。学生時代には読まなかったジャンルだ。少しブラックな話の小説は、学生時代では読めなかったが、今では読めるようになった。学生時代では刺激が強すぎたようだ。
 学生時代は、どうしても、ベタな恋愛を好んで読む。ブラックな話は、暗くなりそうで、学生時代から、暗くなることは自分にとって辛いことだと思っていたこともあって、なるべく避けていた。
 社会人になって読むようになったのは、本屋でゆっくりする時間を持とうと思うようになったからだ。学生時代にも本屋で本の背を眺めていても、他のことを考えていたりすることも多く、本を選びきれないこともあったくらいだ。
 今は本屋に行けば、読みたい本はすぐに見つかる、最初から、分かっていた気がするくらいだ。
――本が僕を呼んでいる――
 と、感じていた。もちろん、学生時代にはなかったことだ。好きな作家もできたことで、本を読む方向性が決まってきたのだ。一冊読んでしまうと、次も読みたくなる。読書に落ち着きを感じられるようになったのは、仕事を離れて自分の時間を持ちたいという気持ちの表れでもあるのだ。
 本を買って、喫茶店で読む。夕食の後のコーヒーを飲みながら読んでいると、睡魔に襲われることもあるが、それが仕事の疲れからなのか、それとも本を読んでいるからなのか、ハッキリとしない。
 本を読んでいると眠くなるのは、五郎だけではないだろう。特に学生時代に専門書などを読んでいると一気に眠くなってくる。だが、小説のように自分が興味を持って買ってきた本を読むのは、学生時代に読まされていた感のある専門書を読むのとでは、はるかに違ってくる。
 難しい本を気を遣いながら読むのと、興味を抱いて買ってきた小説に、引き込まれながら読むのだから、違って当然だが。小説は興味があるだけに一気に引き込まれて読んでしまうことで、知らず知らずのうちに疲れが蓄積されても不思議はなさそうだ。
「気が付けば一時間が経っていた」
 まだ二十分くらいしか経っていないのに、一時間も経ってしまったかに思えるほど、集中するのだから、それだけ無意識な疲れが生じても、無理のないことだろう。
 その喫茶店で、いつものように本を読んでいると、
「佐藤君」
 と、五郎を呼ぶ声が聞こえた。
 その声は聞き覚えのある。透き通るような高い声の女性だった。
「高山さん?」
 彼女は、高山和代。五郎の会社で事務員をしている女性だった。
 五郎の事務所には、事務員の女性が三人いる。いつも三人一緒にいるのを見かけるが、よく見てみると、その三人の中で一人だけ浮いて見えるのが、和代だったのだ。
「佐藤君も、ここによく来るの?」
「ええ、先週知って、今は毎日寄ってます」
 この土地に赴任してきて、そろそろ一か月が経とうとしていた。先週この店を見つけるまでは、他の店も寄ってみたが、どうにもしっくりと来ない。初めての客にはどこか冷たさを感じさせる店や、最初から、常連などいないと言った、愛想を感じさせない店もあったり、どうにも馴染めそうになかった。
 それでもこの店を見つけて、マスターと話をするようになり、今までの店の話をしてみると、
「どうにも、この土地は閉鎖的なところがあってね。よそ者を嫌う昔の悪い習慣が残っていたりするんだ。人間は悪くないと思うんだけど、この街の人は結構両極端だからね。それは覚えておいた方がいいかも知れないね」
 と、話してくれた。
 確かに、閉鎖的な雰囲気を感じる。だが、中には元々都会の大学を出ている私を都会人として見ているのか、興味津々で見ている人たちもいる。パートのおばさんたちなどがそのいい例で、何かと話しかけてくれて、都会の話など聞きたがっている。もっともパートのおばさんは、この街のことを話題として話すことが多い。自分から話したいという思いも強いのだろう。
「五郎ちゃんは、この土地の女の子をどう思っているの?」
 パートのおばさんたちは、五郎のことをちゃん付けで呼ぶ。親しみを込めてのつもりなのだろうが、五郎もまんざら嫌な気分はしない。今までに接したことのないタイプの明るさを持った人たちで、どこか憎めないところがあるからだ。
「どうって、まだこっちに来てそんなに経たないから分からないですよ。でも、素朴な感じの人には、好感が持てますね」
 こういう核心を突くような質問は、本当は苦手だったが、おばさんたちにされると、さほど嫌でもない。ただ、本当にまだ来て間もないので、どう答えていいのか迷うところだったが、
「うんうん、そうだよね。五郎ちゃんは優しそうだから、きっと、すぐに彼女ができるよ」
 と、ニコニコしながら話してくれた。
 五郎は、おばさんの、
「優しそう」
 という言葉が嬉しかった。褒め言葉の中で一番嬉しいのは、優しいと言われることで、相手が好きな女性から言われるのが、もちろん一番嬉しいのだが、他の人から言われても十分嬉しい。自信に繋がるというものだ。
 和代のことは、本当のことを言うと、一目惚れだった。五郎は今まで学生時代にも何人かの女性と付き合ったが、一目惚れはなかった。付き合ったといっても、予期せぬ突然と別れを言われたり、気が付けば自然消滅していたりがほとんどだったが、一目惚れしたわけではない女性たちばかりだったので、別れることになったのも必然ではないかと思えた。
 それでも、別れが訪れた時のショックは相当なもので、数か月間、落ち込んでしまって笑うことすら忘れていたかのようになっていた。何しろいきなりの別れなので、悩むのも当然といえば、当然である。
 それでも今から思うと、まだまだ自分が子供だった時の感覚だと思っている。学生時代自体が子供のような感覚で、恋愛に対しても、まだまだ甘かったのだろう。就職してからの自分が大人になったとは思えないが、学生時代よりは間違いなく大人に近づいていた。
 一目惚れがなかったことに、今までたいした意識を持っていなかった。一目惚れをしてみたいという感覚もなかったのである。それまでの五郎は、自分から好きになるよりも、相手から好感をもたれることで、相手を好きになるパターンが多かった。
「好きだから好かれたいという思いよりも、好かれたから好きになる」
 というのが、五郎の恋愛パターンだった。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次