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墓標の捨て台詞

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 好きになりかかっている人に、ごく最近まで付き合っていた男性がいたと言われれば、思わず競争意識を高めるのではないか。いや、それは競争意識ではない。それ以上に彼女を独占していたいという独占よりもさらに強い、「占領」という意識に繋がっているのではないかと思うほどだった。
 杉本という男にもそういうところを感じた。だからこそ、五郎は意気投合したのだと思っている。似たところがあること、そして、決定的に対立するところがある人。そういう人が長く付き合っていける友達の条件なのではないかと五郎は感じるのだった。
 二人きりで会うようになっ五郎は、敦美と付き合うために告白をするようなことはなかった。
――別に告白なんて必要ない――
 敦美には、何も言わなくても、五郎が感じていることすべてが分かっているかのように見えていた。何も言わなくても気持ちが通じ合う人が近い将来現れるという予感があったが、それが敦美だったのか知れない。
 敦美にとって初めて五郎に連れていってもらったのが、遊園地だった。
「子重っぽいかも知れないけど、いいかい?」
「ええ、五郎さんとなら、きっと楽しいでしょうね」
 アトラクションも豊富で遊園地というよりもテーマパークに近い場所は、和代とも行ったことがなかった。今から思えば和代とのデートにゆとりを感じたことなどなかったように思う。
 その点、敦美とのデートには、最初からゆとりが感じられる。
「ゆとりとは、時間を贅沢に使えることだ」
 敦美とデートするようになって、感じたことだったが、時間を贅沢に使うというのはどういうことだろう? 自問自答を繰り返していた。
――時間というものは、絶対に取り戻すことはできない――
 実に当たり前のことだが、この当たり前のことは当たり前すぎて、意識することは少ない。まるで心臓の鼓動を誰も意識していないのと同じことだ。
 この感覚を考えていると、どうしても時間を大切に感じ、
――贅沢に使うなど、もっての他だ――
 と、普通は感じることだろう。だが。五郎はそうではなかった。
「取り戻すことがないだけに有意義に使えばいいのだ。有意義というのは、贅沢に使ってはいけないということではない。逆に贅沢に使うことで有意義であれば、それに越したことではないではないか。たとえば、贅沢なことが思い出になるのであれば、どんなに謙虚に時間を使ったとしても、それが思い出にも残らないのであれば、贅沢に使う方がいいではないか」
 と思うようになっていた。
 敦美とのテーマパークでのデートはまさしく、その思いが強かった。
 他の人とであれば想像もつかないが、敦美のあどけなさを考えれば想像がつく。しかし想像はつくが、やはり、突飛な発想であることには違いない。そういう思いが、思い出として残るのかも知れない。
 敦美とのデートでテーマパークには、それから何度か来てみたが、最初ほどのインパクトはない。だが、何度も来るうちに、贅沢だという考え方は失せていった。それは思い出として残らないという意味ではなく、一緒にいることが当たり前のようになってしまい、この場所での二人の居場所がハッキリと見えていたからだ。
 それからの二人は、何度かのデートを積み重ね、気が付いていたら、結婚していた。まわりの人たちも、
「あの二人は結婚するさ」
 と言われていたほど、まわりから見てもお似合いのカップルだったのだろう。
 自分たちの意識の方も、まわりから見られているよりも、さらに自然だった。付き合っていて何も障害などありえないというほど、順風満帆だった。それだけに別れが来た時は青天の霹靂、ありえるはずのないことが起こってしまったはずなのに、なぜか辛くはなかった。
「楽しむだけ楽しんだということかしら?」
 敦美の言葉には皮肉が籠っていた。こんな言葉が口から出てくるような女ではなかったはずなのに、
「何が悲しくて、こんな言葉を言わなければいけないの?」
 と言わんばかりの表情は、従順な女性であるはずのないものだった。
 結婚してから新居となった部屋には、敦美が大好きな紅茶の香りが漂っている。紅茶専門店には、ハーブや紅茶の香りの詰まった袋が販売されている。敦美は好んで買ってきては、いたるところに匂いのする袋を置いている。
 付き合い始めてから、結婚までが三年だった。三年が長いのか短いのかはハッキリと分からないが、五郎は、短かったように思う。結婚してから離婚までが五年間だったが、こちらの方があっという間だったような気がしていた。
 付き合った期間が短く感じたということは、まだまだ結婚するまでの期間を楽しみたかったということだろう、結婚生活が楽しくなかったというわけではないが、結婚してからの五年間が、ほとんど何も変化のない。流れるような毎日だったように思うからだ。
 新婚生活は交際期間の延長に過ぎなかったと思っていたが、それだけではない。結婚してからの方が、次第に新鮮さが深まって行った時期もあった。そんな時期を五郎は一番楽しかった時期だと思い、毎日が新鮮さで埋め尽くされそうに思えたほどだった。
 子供がほしいとは、どちらからも言わなかった。五郎は、敦美の方から言い出さなければ、自分から言うことはないと思っていた。
 別れを言い始めたのは、敦美の方からだった。
 お互いに会話がなくなっていったのを、五郎はあまり大きなことだとは思っていなかった。
「何かあったら、必ず自分から言い出すはず」
 これが敦美に対して思っていたことだったのだが、それは、敦美の態度が他の人に対してのものと、五郎に対してのものとで、かなり違っていたからだ。
 敦美が言い出した別れを、五郎は最初信じられなかった。
 それまでしばらく会話のない生活を送っていたが、それは時期がくれば治るという楽観的な考え方だったのだ。普通に考えれば、
――夫婦生活の危機――
 だということくらい、すぐに思いつきそうなことなのに、それほど、敦美との生活に甘えていたのだろう。
 流されていたと言っても過言ではない、生活に流されていたのも大きな理由で、新婚時代の甘い生活はそのままずっと続いていくとも思っていた。それは交際期間そのままに、結婚生活に入ったことで、それだけ交際期間が甘いものであったということは、やはり、短く感じたということであり、甘えが残っているからなのかも知れない。
 敦美にとっては、五郎との間に感覚の差があったのだろうか?
 少なくとも五郎は、
「何かあったら、必ず自分には報告してくれる」
 と思っていたのだ。
 敦美は元々引っ込み思案で大人しい性格ではあったが、五郎の前では明るく振る舞っている。そこにウソはない。他の人との違いが、五郎を有頂天にさせ、敦美が自分を好きになってくれたのだと思い込むきっかけにもなっていた。
 夫婦生活には、交際期間にはない「けじめ」が必要なのだろうが、二人の間にそのようなものはなかった。交際期間の延長が新婚生活だったことで、新婚生活の終わりがハッキリしなかった。終わりなどないと五郎は思っていたが、果たして敦美はどうだっただろう?
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次