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墓標の捨て台詞

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 キーボードもまともに障ったこともない人間が、入力にどれほどの時間が掛かるか。勉強と同時に、「慣れる」ことも大切で、慣れるためには、それまでの仕事のイメージを一新しなければならない。
 そのために無意識なところで身体に力が入ってしまったり、必要以上に緊張してしまい、身体がこわばってしまったりするのも仕方のないことであった。五郎は、気付かないうちに身体を酷使していることで、疲れとは別にストレスを溜めこんでいったのだ。
 健康診断で、再検査通知を受けた。今までで初めてのこともあって、少し焦った気持ちになった。それは、今までとまったく違った仕事による心体の酷使を、分かっていたことを知ったからだ。
 知っていて、自分の中で無意識に考えないようにしていたに違いない。
――考えないようにするのが、一番気が楽だ――
 と思っていたのは中学まで、それ以降は、逃げても。どうせ自分に降りかかってくることが分かっている問題なので、逃げる方が却って危ない。
「敵に後ろを見せるのは、死に等しい」
 と、武士道の話などではよく聞くことであった。それと同じことではないか。分かっていることに背を向けることがどれほど怖いことなのか、その時の五郎は分かっていた。
 ただ、無意識に考えないようにしていたことは逃げにならないのかというところに疑問が残る。意識外なので、まるで夢の中のことのようだ。社会人になれば、それほど甘いものではないことは承知しているつもりだが、無意識に逃げを求めているようで、どこかに後ろめたさを感じていた。
 五郎が転勤してきて半年が過ぎようとしていた時、友達ができた。社会人になって初めての友達と言ってもいいかも知れない。
 先輩に連れていってもらったスナックで意気投合した連中と、再度飲み会を開いた時のこと、友達になった杉本という男は、五郎によく話しかけてきた。
 話の内容は、学生時代の話や恋愛の話と言ったもので、学生時代を思い出したようで、結構気が合った。あまり会話が上手だと自分でも感じていない五郎が、饒舌になれるのだから、杉本の話題と性格に合っていたのだろう。
 杉本は営業畑の男だった。そのわりに営業トークが上手そうではない。それでも成績はいいというから、普通の会話が上手なのだろう。
 彼の会社の事務員のパートさんの娘が、敦美の勤めている病院で同じくナースをしている。敦美と彼女は仲がいいらしく、杉本が仲介しての男女二対二の合コンをしたのだ。まったく知らない仲ではなかったこともあり、敦美と顔を合わせた時、心地よい緊張を覚えた。それは敦美も同じだったようで、ニッコリ微笑んだ二人は、最初から二人だけの世界を作っていたかのようだった。
 会社を出てから、待ち合わせ場所まで、普段と違った道に見えた。いつもと同じ道を通っているのに、住宅街を通る時など、おいしそうな匂いを感じると、懐かしさがこみ上げてくる。それは家庭の匂いで、子供の頃にお腹が空いている時に嗅いだ、ハンバーグの匂いだった。
 夕方、友達と公園で遊んだ帰り道、住宅街を通って帰るのだが、その時に感じる身体の重たさは、汗を掻くことで、心地よい疲れを気だるさに変えてしまうのだった。
 そんな時に漂ってくるハンバーグの匂い。空腹に拍車をかけ、指先に痺れを与えることで、汗を掻かせられる。掻いた汗は、背中から腰に掛けて流れ落ち、前を向いて歩くことを許してはくれない。
 夕日が当たる背中には、汗が燃えるような熱さをもたらし、背中から奪った感覚は、美比している指先にまで通じているようだ。
 そのうちに背中の汗が冷えて来て、汗が滴る感覚に、心地よさを感じていたが。腰まで流れ落ちると、今度は気持ち悪くなってきた。まるで、背中を這い回るナメクジのようだった。
 それでも、家まで帰り着くと、身体が敏感になっていて、今にも発熱しそうな感覚に陥っていた。
 海から帰ってきた時、いつも発熱していたのを思い出した。あの時も潮の匂いというキーワードがあったが、住宅街にもハンバーグの匂いというキーワードが存在する。
 匂いが五郎の中枢神経を刺激しているのかも知れない。空腹感も、気だるさも、すべてが匂いから発せられるもの。そう思うと、仕事中に感じる睡魔も、匂いによるもののように思えてきた。
 昼食が終わって、ポカポカ陽気を感じると、眠くて仕方がなくなる。一旦、睡魔に襲われると、一旦眠ってしまうまで、睡魔はなくならない。一旦眠りに落ちれば、今度はすぐに目が覚める。一気に襲ってきたものが、反動なのか、目が覚める時も一気だった。
 眠りは浅いが、一気に突入すると、一度は完全に目が覚めてしまいそうだ。覚めてしまえば、もうしばらくは睡魔は襲ってこない。睡魔が襲ってきて、眠りに入り、また目が覚める時、匂いはおろか、目の前に広がっている光景に、色は感じられない。モノクロの風景は、影の濃淡で色をイメージできるかも知れない。
 ただ、それも色がついている風景が頭にこびりついて離れないからで、イメージがモノクロを支配している。だが、モノクロは、昔から過大にイメージできるようで、ハッキリとした色が分からないだけに、影から想像できることもある。
 足から伸びている影の長さで、濃淡も分かる。長いものは薄く感じられ、短いものは濃く感じられるだろう。
 濃い色は原色、青か赤が想像される。それ以外の色は、黄色だったり、ピンクだったり、その時のイメージで、色が変わり、一定していない。
 そんなイメージを一時の眠りで味わうことができる。睡魔が襲ってくるのも自然現象。身体の痺れが、自然現象であることを意識させないようにしているのかも知れない。心地よさが自然現象と結びつき、眠りの中で、色を想像してしまうのも自然現象の一環だとすれば、想像できる色のほとんどにウソはないだろう。
 睡魔の中での想像は、妄想と同じものなのだろうか?
 妄想の中とは、実際には起きて見るものが多い。寝ていると、夢の中が無限に感じられるが、夢というものは、潜在意識が見せるものなので、しょせんは、その人が信じていることのほかにできることはないのだ。
 それだけに夢というものを過大評価してしまうと、見たい夢を見ることができずに、却ってストレスを溜めてしまうことがある。夢を見るのは、潜在意識の成せる業だと思っていないと、夢の中に逃げ込むことを正当化してしまうであろう。
 待ち合わせ場所に現れた敦美は、友達の後ろに隠れるような雰囲気があった。合コン自体にあまり経験がなく、緊張しているのだろうか? それとも、敦美自身も、この合コンが自分のためであることを自覚していて、余計なことをされたと思っているのだろうか?
 敦美の雰囲気からが、なかなかどちらなのかを想像するのは難しかった。明らかに集まった四人の中では完全に浮いているのは事実だ。
作品名:墓標の捨て台詞 作家名:森本晃次