短編集39(過去作品)
また病気に限ったことではないが、自分のことが分からないというのが、一番怖い。本当に分からないのならまだしも、分かっているつもりでいるのが怖いのだ。
特に言われるのが、
――医者の不養生――
である。人のことは分かっても、案外自分が病気になっているのを分からないということであるが、一番目に付くはずのものに気付かない、「灯台下暗し」と似ているのではないだろうか。
川端も自分のことをあまり分かっていない一人である。いつも
――自分に悪いところなどどこにもないはずだ――
と思っている方で、人から指摘されれば反発してしまうような、変なところで意地を張ってしまうところがある。だがいつもいつも気を張っているわけにもいかず、時々まわりすべてを信じられないようになり、さらには自分も信じられないような状況に陥ることがある。いわゆる鬱状態である。
――人の笑顔など、見るのも嫌だ――
こう感じてしまうと完全に鬱状態である。だがそれが鬱状態の入り口ではない。鬱状態とは陥るまでに前兆があり、まわりを見ていて色が心なしか黄色がかってくるのを感じると、嫌な予感がしてくるのだ。
体調が悪くなる時もまわりの色が変わって見えることがある。身体に異変が起こるのだから、それも当たり前かも知れないが、鬱状態に陥る時と感じが似ている。頭がボーっとしてきて、意識が朦朧とする瞬間が定期的に訪れる。それが次第に短くなってくると、予感の的中率もグンと上がってくるのだ。
しかし、鬱状態と、体調が悪い時とで一番の違いは、体調の悪い時の方が精神的にまだ柔軟性がある。どちらも精神的に弱くなっていて、打たれ弱いかも知れないが、体調が悪い時は却って人の話を聞いたりしたいものである。心細さを自分で受け入れることができるからで、孤独感を癒したいと思うのだ。しかし鬱状態ではそうもいかない。
鬱状態になれば、自分がどんな精神状態なのか分かっているようなのだが、そこからの脱却が分からない。それだけに苛立ちも隠せないのだが、鬱状態の時に感じるのは、
――もう一人の自分である――
というよりも、主役はもう一人の自分といってもいい。気持ちが自分の身体を出て、客観的に自分を見つめているのだ。
幽体離脱という言葉があるが、少し違うかも知れない。身体の中だけで耐えられなくなった気持ちが表から見ることによって、少し和らげられるという感覚に近いだろう。
客観的に見ていると、他人が自分をどう見ているか何となく分かる時がある。却ってそれで鬱状態が深まることもあるくらいで、だからこそ、立ち直れる時期が分かったりするものだ。
鬱状態は定期的にやってくる。忘れた頃にやってくることもあるが、前兆を感じると、
――またか――
と思うのだ。
病気の時は客観的に見ることはない。痛い頭の中でいろいろ考えて、次第に麻痺してくる感覚にしたがって考えていることが多い。
特に病院などに来れば薬品の匂いや空気の違いで、自分の体調に酔ってしまう時もあるが、空気の違いを一番感じる瞬間でもあり、鼻腔が一番敏感になっているのは、病気の時なのかも知れない。
心の病気である鬱状態の時との共通点は、空気を読めるところかも知れない。読めるというよりも敏感に感じるという程度なのだが、空気というものの重さや匂いを普段は感じることがない。空気というと、まわりの人との間にしか存在しないものだという感覚だからだ。
「あいつは場の空気を読むのが下手だ」
とよく聞くが、それは無味無臭で、
――目に見えない雰囲気という圧力――
これを「空気」と表現しているに過ぎない。
そんな時にもう一人の自分を感じるなどできるはずもなく、もう一人の自分は、基本的に孤独感を感じる時に出てくるものなのだろう。
心の病の孤独感と、身体の病の孤独感、基本的には違うものだ。人恋しさを余計に感じるのは、身体の病の時である。
――誰かそばにいてほしいな――
心の病の時には感じることができない思いだ。
聴診器や、喉を触ったりした医者は、
「風邪ですな。お薬を出しておきますから養生してください」
との診断を下した。
一緒にいろいろウイルス性の風邪、菌による風邪と説明をしてくれたが、ほとんど頭に残っていない。聞いているうちに身体にだるさが感じてきて、背筋に重たさを感じた。
「あまりよく眠れないんですよ」
というと、
「それは風邪の時にはよくあること。あまり神経質にならない方がいいでしょう。そういう患者さんも多いので、別のお薬も出しておきましょうね。精神安定剤のようなものですから、必ず睡眠前に服用してください」
「ありがとうございました」
と頭を下げて診察室を出ようとすると、
「お大事になさいませ」
という看護婦の声が鸚鵡返しに聞こえた。あれだけさっきまで鬱状態を考えていたのがまるで嘘のように身体も軽くなってきた。その日は熱も高くないということで点滴を打つこともなく病院を後にした。やはり、医者に診てもらったということが安心感に繋がるのか、精神的にも楽になったようだ。
病院を出ると、汗ばむような暑さが容赦なく頭のてっぺんから降り注いでいる。
「ふぅ」
タオルハンカチで汗を拭きながら歩いていたが、もとより風邪を引いた状態で仕事に出るわけにもいかず、会社には休みの電話は入れていた。
「そうですか、気をつけてくださいね」
咳が出ているわけでもないのに、大袈裟に咳をしてみたのは、さすがにやりすぎだったかも知れない。電話に出た女の子の苦笑した様が目に浮かんでくるようだ。確かに声は病人の声だったので、それだけでもよかったのではないだろうか。
会社では今まで何度となく病欠しているので、さすがに気が引ける。病気になった時、どんな仕事であっても大変に感じるのは、それだけ精神的に弱くなっているからだろう。
――皆一生懸命に働いているんだ――
と思いながら、重い身体を引きずるように家路を急ぐ。急いでいるつもりでも、足が進んでいないのは、まだ熱があるせいだろう。途中コンビニエンスストアーに寄って冷たい飲み物を買い、さらに途中でお弁当を買って帰る。今までであればさほど苦にならなかったが、お弁当ができあがるのを待っているのは辛かった。
――今日は時間が経つのが遅いな――
仕事をしている時は午前中などあっという間である。
――時間にも空気があるのだろうか――
何ともおかしな考えである。時間に空気があるのか、空気に時間があるのか、どちらを考えているのか分からなくなる。
時間というものを感じる長さは、人によって違う。同じ人でも状況によって違う。体調の悪さで時間の違いを感じるのだ。重苦しい空気の時は時間が経つのが遅いように感じるが、却って後から考えると短かったように思う。空気にとって支配される時間の長さは、人間の感覚を超越しているようだ。
公園のベンチが見える。普段通っている道なのに、今まで公園のベンチなど意識したこともない。薄い青のベンチであるが、きっと色が真っ白のペンキ塗りたてに変わっても意識することはないだろう。
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次