短編集39(過去作品)
四次元の世界というと、立体にさらに時間という軸がどこかに存在するものだと考えられている。きっと四次元からこの三次元を見ると、何か薄っぺらく感じるように思えてならない。
夢の世界の次元が違うのは分かるのだが、どの次元の世界なのだろう。人間が垣間見ることができる唯一の異次元、それが夢というものではあるまいか。
そういえば、SFや特撮映画などで創造される四次元の世界というのは、同じ場所にいても、違う空間にいるのだという考え方のように思える。
――声はするけど、姿は見えぬ――
それこそが四次元の世界の創造である。
どうしても熱っぽいと頭の中が理屈っぽくていけない。考えれば考えるほど感覚が麻痺してしまい、想像力が逞しくなり、あらぬ方向へ進展してしまうのだ。
熱っぽい時ほど、頭の回転が速いのはどうしてだろう? 深く考えていないからだろうか。それとも、一つのことを深く考えると、頭が痛くなってくることを分かっているからだろうか。どちらも間違えではないように思える。
夢の中の時間があっという間だったということを考えるのは、何も熱っぽい時だけではない。しかし、同じような夢を前にも見たことがあると感じるのは、熱っぽい時の方が圧倒的に確率は高い。
テレビコマーシャルを見ているという意識を感じると、ついついまわりの人の顔を見てしまう。自分が病院の待合室の中にいるのは分かっているのだが、コマーシャルに集中している時は、待合室が雑踏だなどと感じることはなかった。
――自分の世界に入り込んでいる時に似ている――
時々川端は、自分の世界に入り込んでしまっているのに気付いて、ハッとすることがある。自分の世界を作って入り込んでいる時には、入り込んでいるという意識はある。しかし、我に返ってしまった時に、本当に自分の世界に入り込んでいた意識があったかどうか疑問に思うのだが、それも一瞬のことで、入り込んでしまった世界の自分をまた思い出すことができるのだ。
それが夢との大きな違いだ。
夢は、違う空間で自分の世界を作るのだろう。毎回創造しているのか、それとも、夢の世界への入り口は、いつも同じところにあるのに、見えたり見えなかったりするに違いない。
「川端さん、どうぞ」
どれくらいの時間待ったのか、名前を呼ばれた瞬間、待合室が本当に雑踏だったのに気付く。
「は、はい」
ざわめきの中、ビックリしたように返事をしたが、それは、自分の世界からの脱却でもあった。
診察室に入ると、そこは別世界、薬品の匂いに包まれた部屋の中には白衣を着た人たちだけである。医者がゆったりとした椅子に腰掛けているだけで、看護婦は忙しく立ち回っている。
「どうぞ」
看護婦さんの言われるままに、目の前の丸椅子に腰掛ける。
――医者の座っている椅子とは雲泥の差だな――
などと、病人のくせに変なところに気が回った。
かなり栄養の行き届いた体格をしている医者が羨ましく見える。薄っすらと生えた口ひげに浮かんだ笑顔はいかにも優しそうである。
「どうされました?」
「あの、風邪を引いたみたいで、喉も痛いですよ」
喉の痛みは以前からの持病で扁桃腺肥大によるものだ。小さい頃に切っておけばよかったのだろうが、大人になってから切るというのは危険を伴うということで、そのままにしておいた。おかげで年に数回、扁桃腺で熱を出す。時には三十九度を超える高熱に魘されることもあり、仕事を何日か休むこともあった。
さすがに三十九度を超えると立っていられない。平熱が低いこともあって、少々の熱でも身体に与えるだるさは人よりも強いかも知れない。
その日は熱が高いわけではなかった。三十八度を超えるか超えないかというところなのだが、ある意味これが一番辛い。
身体を動かすのが億劫で、寒気を感じると震えが止まらなくなるのもこれくらいからである。
――無理すると、一気に熱が最高潮に達してしまう――
そういえば相当な体温で、無理して仕事に出かけて、一人で身体を動かすことができなくなってしまったのを思い出した。
家に帰るまで、体温計は見ないようにしている。見てしまえば最後、本当に動けなくなるからだ。そんな時は大抵三十九度を越えていて、家で体温を測ると、四十度近くになってしまってビックリする。
その記憶が三十八度くらいの熱を出した時によみがえるのだ。
――またぶっ倒れるんじゃないだろうか――
と考え、嘔吐や身体の節々の痛さに苛まれることとなる。
病院での医薬品の匂い、さらには、耳鳴りがしてきそうな空気の薄さを感じる診察室の独特な雰囲気は異様さを醸し出している。
「扁桃腺ですか。それはさぞやお辛いことでしょう。では胸を診ますので、服をまくってください」
と言い、川端が胸をはだけるようにまくると、左の手の平を胸に当て、右の指でトントンと叩いてみた。
――これで何が分かるのだろう――
実に不思議である。
歯医者に行った時に感じたことがあるが、実際に虫歯の治療を受けている患者は、実際に神経の通っている場所を治療されているので痛いのは当たり前である。しかし、他人の身体なので、痛いのが分かるはずのない医者に直接いじくられるのも考えてみれば恐ろしいものだ。自分では感じることのできない身体をいじくっているのだから、まるで手探り状態ではないか。これほど恐ろしいものもない。歯医者だけは信用できるところでなければ駄目で、それでもよほど痛くならないと行かないのもその思いがあるからだろう。
歯医者に限らず、医者はすべてがそうだ。内科の医者にしても外科の医者にしても、応急処置にしても患者を直接触るのだ。やはりそれだけしっかりとした教育を受け、経験を積むだけあって、尊敬もされるし、収入もいいのだろう。
いや、病気で行くのだから、患者は藁にもすがる気持ちになっている。医者を信頼しなければ病院など行けるものではない。
そう思ってはいても、医者嫌いな人は結構いるものだ。昔から医者が嫌いで、医者の悪口ばかりを言っていた友達がいたっけ。彼は今どうしているのだろう。
学生時代の友達だったが、身体が丈夫だった。風邪一つ引いたことがなく、学校を休んだこともない。言うだけのことはある。
もっとも、身体には人一倍気をつけていた。食べ物も身体に悪いと言われるものを食べなかったし、決して無理なことはしなかった。身体も毎日鍛えていて、それもこれも、
「俺は医者が嫌いだからな」
という理由だった。
だが、逆の人もいる。いつも風邪を引いていたり、どこかが痛いと言っているが、本人は医者が嫌いで、何とか親が宥めたり、怒ってみたりして病院に連れていっていた。
――どちらが厄介なのだろう――
最初は、身体が弱い人がまわりをてこずらせているので厄介だと思ったが、丈夫な人ほど、もし何か異変があっても気付かないのではないかと思えて恐ろしくなる。
本人に自覚がないのは恐ろしいことだ。何しろそれ以上にまわりが分からないからである。そんな時こそ分かるのが医者なのだが、本人が医者嫌いではどうしようもない。
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次