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短編集39(過去作品)

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空気が支配する世界



                  空気が支配する世界

――夢を見るということ――
 誰もが寝ていて見るものだということは分かっている。しかし、最後まで覚えている夢がないことに疑問を持っているという人は多いだろう。心の中で思っていても口に出すことはない。きっと、
――そう感じているのは自分だけなんだ――
 という思いがあるからに違いない。
 一人の男が迷い込んだ世界、そこは今まで考えたこともない世界だったが、ひょっとしたら想像できたかも知れない世界である。熱があったりした時、感じる眠りの浅さ、そこから広がる世界に誘ってもらうことにしよう……。

 季節の変わり目というのは、風邪を引きやすいものである。この間までコートを着ていたかと思ったのに、すでに、昼間は汗ばむような陽気になっているこの頃は、何を着ていいのか迷うばかりである。
 川端信之も、最近は身体のだるさを感じていて、それが何から来るものか分からないでいた。特にこの季節、朝晩と昼間の気温の差は歴然としていて、仕事が遅くなった時などは、身に沁みる寒さを感じながらの帰宅である。
 この時期は花粉症にはまだ早く、早い人はすでになっているのだが、まだ寒さがぶり返してきそうなのか、まだまだ花粉が散布するには、少し早そうだ。三寒四温の時期というが、まさしくその通りである。
 インフルエンザの流行りはピークを超えたが、花粉に気をつけながら、風邪も気にしなければいけないという、実に厄介な時期に差しかかっていることは事実だ。
 病院で薬をもらおうと行ってみると、待合室には人がいっぱい溢れていた。以前であれば老人がいっぱいいて、ずっと井戸端会議と化していたが、最近はサラリーマンから学生と普段とは違って本当に顔色の悪い人が本を読んだり、テレビを見たりと、各々の時間の使い方で待っている。
――こんな中にいたら、治るものも治らないな――
 と思わず苦笑してみたくなる。診察室からの独特な医薬品の匂いも漂ってきて、いくら最近は病院も綺麗になったとはいえ、さすがに待っている間に、すっかり病気モードに突入してしまう。
――病は気から――
 というが、まさしくそうだ。病院という雰囲気がたいしたことのない人でも、
――病気ではないか――
 という暗示を掛けてしまう。ちょうど午前中に行ったのだが、ブラインドを下ろしていても、日が入ってくるのだ。席は窓際しか空いておらず、そこに座ると、嫌でも背中に汗を掻いてしまうほどの暖かさを感じさせられる。
 風邪を引いているので、汗を掻くのはいいことなのだろうが、次第に意識が朦朧としてくる。昨日、きつくてあまり眠れなかったのも影響しているに違いない。頭がボーっとしてきて、意識が薄れてくるようだ。
 テレビがついているが、雑誌を読んでいる人がいても、集中してテレビを見ている人はどれだけいるだろう。川端にしても、目でブラウン管を追っているだけで、実際には内容など見ていない。
 テレビコマーシャルを見ている時というのがそうではないか。皆コマーシャルが始まると目はブラウン管に釘付けになっているが、あまり気にして見ているわけではない。何回でも同じCMを見ているはずなので当たり前のことなのだろうが、それでも目はブラウン管を追っているのだ。CMをテレビで見ている様をまわりから見ると、さぞや不思議な空気に包まれていることだろう。
 ブラウン管に釘付けになっている時の気持ちを思い出せと言われても難しい。集中しているくせに覚えていないのは、きっと何か他のことを考えているからだろう。しかもいつも同じようなことなのか、まったく違うことなのかも分からない。漠然と何かを考えているという気がしているだけである。
 世の中にはしっかり見ているつもりでも上の空というものが得てしてあるものだ。例えば電車に乗っていて、車窓から見える、流れるような風景。
――どこに焦点を合わせて見ているのだろう――
 と感じることがある。ほとんどの場合は気にすることもないのだが、気になることが稀にある。遠くに焦点を合わせて見ていると漠然と目で追っているだけだが、近くに焦点を合わせていると、あまりにも早いスピードで流れているので、一点を見つめてしまうと、目をカッと見開いているのに気付く。流れるように見ようとすると目を細めないと見えないに気付くが、それが顕著に表れるのは、線路を見下ろしている時だろう。
 無数に線路にまたがっている枕木は、一気に走りすぎるがごとくであるが、流れに沿って平行に伸びる線路は、まるで止まっているようである。太陽の光が反射して光って見える時は手前から先に向って進んでいく。それを見ていると、体感しているよりもさらなるスピードで電車が走っている錯覚に陥るのだ。
 短い間隔のものが一気に飛ぶように見えると、白く、そして止まったように見えることがある。勢いよくまわっている扇風機の羽根が次第にゆっくりと、しかも逆回転に見えることがあるが、その錯覚と同じ原理である。きっと、焦点を合わせないようにしようという意識が強く働いているからに違いない。
 そんな時に限って目を細めている。目が寄ってしまっているかも知れない。見えない時に目を細めてみたりしていると却って睫毛が邪魔をして見えないものであるが、焦点を合わせないようにしようという意識の表れだと考えれば、不思議なことでもない。
 体温が室温に近いのだろうか。それほど最初のような気持ち悪さはなくなってきた。
 普段からいろいろなことを考えている川端である。風邪を引いて熱っぽいと、余計に発想が飛躍するのも不思議のないことで、熱がある時など、怖い夢を見ることが多かった。
 しかも、夢を見ていて、
――前にも同じような夢を見たような気がする。あの時にも同じようなことを考えたのではなかったか――
 と思うのだ。
 気分が悪い時に見る夢は普段と違って繋がっているのだろう。しかもまるで昨日のことのように思えてくるから、
――以前にも見たことがあるような――
 と思えてくるのだ。
 夢というのは、覚えていないだけで、同じ夢を何度も繰り返して見ているのかも知れない。
――夢とは潜在意識が見せるもの――
 というではないか。同じ人間が見る夢、同じ意識が働いていれば作り上げる夢はおのずと同じようなものになっても不思議ではない。
 こんな話を聞いたことがある。
「夢というのは、実際には起きる前の寸前に見るものらしいんだよ。それも、ものの数秒ね。だから夢から覚めていく間は頭がボンヤリとしていて、目が覚めて夢を思い出そうとしてもなかなか思い出せない。夢には起きている時の時間の感覚が通用しないから、長い夢を見たのか短い夢を見たのかというのは、目が覚めてから思い出す時に感じるしかないんだ」
 分かったような分からないような話である。
 夢の世界というものを考えた時、薄っぺらいものに感じるのは、きっと時間の感覚がないからだろう。まるで平面の感覚、自分たちがいる三次元の世界の、どれか一つの感覚が欠如しているように感じるが、時間の超越は、まるで四次元のようだ。
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次