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短編集39(過去作品)

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「おばあちゃんの子供の頃に、鏡に吸い込まれた子供がいると話題になったことがあってね。その時はかなりな騒ぎになったものだったよ。何しろ鏡の前にその子の帽子が落ちていて、急にいなくなったんだからね」
「それでどうなったの?」
「鏡の前に帽子を置いたまま遊びにいって、かくれんぼをしていたらしいんだけれど、納屋に隠れてそのまま眠ってしまったらしいのね。よほど疲れていたんだろうけど、気がついたのが、次の日の昼過ぎだったから、その間の大騒ぎも本人からすればどこ吹く風。とんだ人騒がせだったのよ。でも、目が覚めなくて眠り続けたのは鏡の魔力だという人がいて、結局気持ち悪いまま、鏡のせいにされたというわけ」
 日本人は昔から小道具に神仏を宿らせるのが好きな人種である。特に鏡などは「三種の神器」の中にある「矢田の鏡」のように神秘的なものとして考えられていたのだろう。鏡を使った占いもあれば、祈祷する時の真ん中には必ず鏡がある。水晶玉と二大双璧といえるのではないだろうか。
 おばあちゃんは何が言いたかったのか今となっては分からない。あの時に心に何かが引っかかっていたのは分かっていたが、何が気になっていたのかまったく覚えていない。ひょっとして物忘れがひどくなった兆候は、すでにその時からあったのかも知れない。
――都合の悪いことや、自分にとって理解できないことは忘れてしまうのかも知れない――
 と考えると、忘れっぽいのも理屈に合ってくる。大人になるにつれて理解できないことが山ほどでき、頭の中を整理できない自分がいる。それをいかにも、
――私は何でも分かっています――
 という顔をしないといけないことに理不尽さを感じながら、汚い大人になりたくないというジレンマに襲われてしまう。特に男性から見た女性は理解できないことでも理解できるような顔をしないとあまりいい目で見られることはない。男性の目を意識しなければいけない自分に苛立っていた。
――そんな自分が鏡の中にいて、こちらを見つめているのかしら――
 と感じたことがある。鏡を見ていて、急に肩の荷が下りたような気分になることもあるのは、鏡の中の表情を自分なりに想像していたからかも知れない。
 千春は楽器をしない。楽器をする人は、左右の手で同時に違うことをできるらしい。
――私には絶対にできない――
 この思いが千春に楽器を断念させたといっても過言ではないだろう。
 例えばどちらかの手が熱くて、もう片方が冷たかったとする。その手を握ってみれば感じるのはどっちだろう? 熱い方? 冷たい方? お互いに感じ方を刺激しあって相殺されてしまうだろう。
 頭の中で、
――これは無理だ――
 と自分の中で納得してしまうと、それを取り除くのは至難の業だ。思い込みが激しい千春だからこそ感じることなのだ。鏡の中にいる自分に対して意識がないのも、どちらの世界もつかさどっている自分がいて、こちらを感じている時だけ意識があるのではないだろうか。途中中断しても繋がって感じるので、分からないだけだという飛躍した考え方をしてしまう。
 鏡を見ていると、今の世界を忘れがちになってしまう。それは楽器ができないのと同じで、左右で違うことをできないからだ。
 鏡の中の世界に入り込んでしまいそうな錯覚に陥ることがある。気がつけば身体が吸い寄せられるように傾きかけて、ハッとして我に返るのだ。
――どうしたことなの――
 と考えると、鏡の中の自分が微笑んでいるように思える。
 その笑顔にゾッとするものを感じ、背中にはじんわりと汗が滲んでいる。
――これが私の本性なのかしら――
 とっさに感じたが、第一印象で相手の心境を感じる千春には簡単に読み取ることのできない笑顔だった。
 だから毎日見なければ気がすまなくなるのだ。誰も口にしないが、毎日のように鏡を見ている理由とは身だしなみを気にしているからだという風に思われがちだが、千春のように自分の顔に魅せられて、ゾッとする表情であっても、見なければ不安になってしまうからではないだろうか?
 時々思うのは、鏡の向こう側が、本当に同じ時間のものを写しているのか分からなくなることである。どちらかの世界しか気にすることのできない千春は、鏡に写っている世界とこちらの世界を同時に感じることができない。
 もっとも子供の頃はできたように思えるのだ。それがいつできなくなったのか分からないが、少なくとも毎日鏡を見るようになった最初の頃はどちらも感じることができたように思えてならない。ただ、余計なことを気にしていなかっただけなのだ。
――純粋に自分の顔を鏡という媒体を通して写し出しているだけ――
 それ以外の何ものでもなかった。
 鏡を見ていて吸い寄せられるように感じるのは定期的なものだった。まったく何も感じずに、ただ鏡を見つめているだけのこともある。まるで心ここにあらずといった気分の時もある。
 鏡を見ていると、香ばしい香りを感じる。最初は分からなかったが、分かってしまうと
――なんだ――
 と、思わず苦笑いが零れそうになるのは、それが好きな香りだからだ。
――コーヒーの香り――
 と感じたが、喫茶店の前を通る時に感じる匂いを思い出している。それも馴染みの喫茶店。どこだったのだろう?
 いくつか馴染みの喫茶店を持っているが、最近はそのどこにも顔を出していない。コーヒーのおいしい店、落ち着いた雰囲気の店、明るさが魅力の店、それぞれで特徴がある。明るいだけの店に最初はよく行っていたが、一度落ち着いた店に顔を出すと、明るさだけでは補えない心の隙間があることに気付いた。
 その店にはなぜか鏡がなかった。あれば気になることはあっても、なくて気になるなど最初は信じられなかったが、きっと同じような雰囲気の店で鏡がある場所にないからだと考えれば辻褄が合う。
 どこの店だっただろう。鏡が不自然な場所にあるのを見て、
――こんなところに鏡がある――
 と感じたのを覚えている。覚えているくらいなので最近のことだったように思いがちだが、実際にはかなり前だったような気がする。何しろその喫茶店がどこだったか特定できないもどかしさを感じているからである。
 駅前だったのか、住宅街の入り口だったのか、中の雰囲気を思い出しただけでは、表の雰囲気に結びつかない。今までにはなかったことだ。
 元々、どこかでまどろんでいるというシチュエーションが頭に浮かんでくることが多い千春だった。それも自然にであって、違和感を感じることはない。まずは、店に入るところからだ。シチュエーションを思い浮かべるにはプロセスが必要で、その日の天気や、まわりの情景から、一つ一つの描写がうまく重なり合って、頭の中で組み立っていく。
 きっと誰もが同じような気持ちなのかも知れない。しかし、すべてを一瞬にして感じることから、プロセスの存在が忘れられがちで、いきなり店の中を思い浮かべてしまうことだろう。しかし描写というものをいつも冷静に感じている千春は、店の表から中に入るまでがきっと文章にできるほど組み立てることができるのだ。
 作文は得意だった。浮かんでくる情景をそのまま文字にしただけなのだが、
「文章を書くのは苦手だ」
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次